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仮説とするには単純な
4 すみれのしおり 1
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松林脇にある小さな駐車スペースに置いた菫の車に戻るまで、鈴は何もしゃべらなかった。ただ、菫の腕を引いて、早足に歩いていく。菫と鈴の歩幅は全然違うから、ついていくのがやっとだ。引っ張られ続けている腕が痛い。けれど、それを言葉にすることが菫にはできなかった。
鈴は怒っている。
鈴を怒らせているのは自分だ。
と、理解していたからだ。
そして、鈴を不快にさせた罰が腕の痛みで済むなら安いものだと思うからだ。
何故、鈴が黒羽のことをそこまで嫌うのか、警戒するのか分からない。単に菫がソレ系の面倒事に巻き込まれやすいからなのか、菫が思っているよりずっと狐という存在が危険なものなのか、それとも、もっと他に理由があるのか、聞いてみたら答えてくれるのだろうか。
答えてくれるのだとしても、今は聞けない。
もし、関係ないとか言われたら、しばらくは立ち直れそうもない。それどころか、忠告を無視するなんて、面倒見きれないと、愛想を尽かされたら、しばらくどころの話ではなく、立ち直れる気がしない。
腕を引き歩く鈴の横顔を盗み見る。整った顔には表情がない。鈴にしてみれば通常運転なのだが、負い目がある菫から見るとなんだか、怖い。
菫にはいつも優しい鈴。普段はバイト先でも愛想笑いの一つもしないのに、菫がおはよう。と、言うだけで嬉しそうに笑う。
だから、本当はわかっていた。
鈴が怒っている理由が、菫に好意を持っているとわかっている相手に、菫が不用意に近づいたからなのだと。
ただ、信じるには自信がなさすぎだった。
鈴のような完璧な男性が菫のようなごく普通のなんの取り柄もない男にそこまで執着しているなんて、想像するのもおこがましい。身の程知らずにも程がある。そんなわけ無いだろ。と、言ってもらえれば、なんだやっぱり。と、安心できるくらいだ。
けれど、多分、間違いようもなく、菫の妄想は現実と同じ形をしているのだろう。
「オッカムの剃刀……」
ぼそり。と、口をついたのはある哲学者の名前を持つ理論だった。多分、これが一番単純な仮説だと菫にだってわかっていた。
「え?」
それは鈴に向かって言った言葉ではない。ただの独り言だ。いや、口に出していたことだって、鈴が立ち止まったから気付いたくらいだ。
「あ……や」
ごめん。と、言いかけて口を噤む。
それが鈴の望んでいる言葉ではないことは、知っていたし、言ってしまうと黒羽に会いに行ったことに他の意味ができてしまう気がしたからだ。
「……あの」
けれど、他の言葉は何も思いつかなかった。言い訳するような何も、菫にはない。ただ、ほんの僅かに触れた唇の感触が、罪悪感になって何もないのだと言い訳をしてしまいそうだった。
鈴は怒っている。
鈴を怒らせているのは自分だ。
と、理解していたからだ。
そして、鈴を不快にさせた罰が腕の痛みで済むなら安いものだと思うからだ。
何故、鈴が黒羽のことをそこまで嫌うのか、警戒するのか分からない。単に菫がソレ系の面倒事に巻き込まれやすいからなのか、菫が思っているよりずっと狐という存在が危険なものなのか、それとも、もっと他に理由があるのか、聞いてみたら答えてくれるのだろうか。
答えてくれるのだとしても、今は聞けない。
もし、関係ないとか言われたら、しばらくは立ち直れそうもない。それどころか、忠告を無視するなんて、面倒見きれないと、愛想を尽かされたら、しばらくどころの話ではなく、立ち直れる気がしない。
腕を引き歩く鈴の横顔を盗み見る。整った顔には表情がない。鈴にしてみれば通常運転なのだが、負い目がある菫から見るとなんだか、怖い。
菫にはいつも優しい鈴。普段はバイト先でも愛想笑いの一つもしないのに、菫がおはよう。と、言うだけで嬉しそうに笑う。
だから、本当はわかっていた。
鈴が怒っている理由が、菫に好意を持っているとわかっている相手に、菫が不用意に近づいたからなのだと。
ただ、信じるには自信がなさすぎだった。
鈴のような完璧な男性が菫のようなごく普通のなんの取り柄もない男にそこまで執着しているなんて、想像するのもおこがましい。身の程知らずにも程がある。そんなわけ無いだろ。と、言ってもらえれば、なんだやっぱり。と、安心できるくらいだ。
けれど、多分、間違いようもなく、菫の妄想は現実と同じ形をしているのだろう。
「オッカムの剃刀……」
ぼそり。と、口をついたのはある哲学者の名前を持つ理論だった。多分、これが一番単純な仮説だと菫にだってわかっていた。
「え?」
それは鈴に向かって言った言葉ではない。ただの独り言だ。いや、口に出していたことだって、鈴が立ち止まったから気付いたくらいだ。
「あ……や」
ごめん。と、言いかけて口を噤む。
それが鈴の望んでいる言葉ではないことは、知っていたし、言ってしまうと黒羽に会いに行ったことに他の意味ができてしまう気がしたからだ。
「……あの」
けれど、他の言葉は何も思いつかなかった。言い訳するような何も、菫にはない。ただ、ほんの僅かに触れた唇の感触が、罪悪感になって何もないのだと言い訳をしてしまいそうだった。
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