真鍮とアイオライト 1

司書Y

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仮説とするには単純な

3 思春期みたいな 4

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「菫さん!」

 黒羽の言葉の最後の部分は、聞こえてきた声に遮られた。

「鈴」

 顔を上げるのと、腕をぐい。と、引かれたのは同時だった。バランスを崩して引かれたほうに倒れ込むと、そのまま強く抱きしめられる。

「この人に触るな」

 ぎゅ。と、強く菫を抱きしめているのは、鈴だった。走ってきたのか息が荒い。

「減るもんでもなかろうが」

 ふん。と、鼻で笑って、黒羽が答える。

「お前に触られたら減るんだと前に言っただろう。覚えていないのか? 鳥頭」

 鈴は、大抵菫以外の誰に対してもフラットだ。恐らく、かなり懐いている葉や貴志狼に対してもほぼほぼ無だ。
 それなのに、黒羽に対しては違う。誰が見てもすぐに分かるくらいに敵対心を露にする。最初からそうだった。

「菫さん。何かされませんでした? 大丈夫ですか?」

 おそらくは、十人中九人までは、鈴の様子を見れば、その理由がわかるだろう。むしろ、分からない方がおかしい。けれど、その理由が分からなくて、菫は戸惑っていた。

「大丈夫。てか、なんでここにいること……」

「鈴が鳴って。また、無理矢理連れてこられたんですか?」

 ここには近づかない方がいいと、鈴からは忠告を受けていた。それに、大抵ここへ来るときはどこでも〇アで直通だった。だから、鈴はそんなふうに聞いたのだと思う。

「……や。その」

 けれど、菫は自分でここへ来たのだ。鈴の忠告を無視して。
 菫だって近づかない方がいいとは思っている。それでも、言い訳をするならノートは大事だったし、狐が致命的に危険なものだとは思っていなかった。

「俺が『呼んだ』」

 腕組みをして、にやり。と、笑みを浮かべて黒羽が言う。
 それが、嘘なのだと、菫は知っていた。

「あー。勘違いするなよ? 忘れもんを返してやっただけだ」

 黒羽の言葉に、鈴が疑わし気な視線を投げる。
 狐は化かす性質の生き物だと、菫は思っているし、黒羽も自分をして嘘つきだと言った。けれど、その嘘がどんな意味を持っているのか、菫は気付いてしまった。
 そして、それを、鈴は知らない。

「本当ですか?」

 一瞬考えてから、鈴は菫に聞いた。黒羽の言葉を信用できなかったのだろう。

「あ」

 菫は自分の意志でここへ来た。けれど、忘れ物を返してもらったのは本当だ。
 ちらり。と、黒羽を見ると、黒羽は視線だけで答える。『そうしとけ』と、聞こえたような気がした。

「……それは」

 そうだ。と、答えるのが楽だとはわかっていた。きっと、菫がそう答えたら鈴は信用してくれるだろうし、元々鈴と黒羽の仲は良くない。今更、少し菫にちょっかいをかけたところで、これ以上関係性は悪くなりようがない。レシピノートは返してもらったのだから、全部嘘でもない。だから、そうだ。と、答えてしまおうと、一瞬だけ思った。

「違う」

 でも、口から出たのは否定だった。

「レシピノートなくしたのに気付いて、自分から来たんだよ。大事なものなんだ。ここしか思い当たらなかったから」

 黒羽は菫の言葉にため息を吐いた。『言わんでいいことを……』と言外に語っているような表情だ。
 菫だってそう思う。

「返してもらったのはホント」

 ただ、鈴に嘘をつきたくない。それが、多分一番の理由。

「ここに……近づかない方がいいって、俺、言いましたよね?」

 ぴり。と、空気に鋭角な何かが混ざったような気がした。

 怒ってる?

 菫は思う。
 鈴を怒らせるだろうことは、わかっていた。それでも、肯定できなかったのには、もう一つ理由がある。黒羽に゙罪を着せるようなやり方に酷く嫌悪感があったからだ。
 そして、豪快で皮肉屋のその男が、そんな嘘を吐くのが意外だったし、それが誰のためなのか、何のためなのか、考えると菫は少し怖かった。
 黒羽のたくらみが。ではない。その優しい嘘を受け入れてしまう自分が。だ。

「うん」

 だから、菫が素直に答えると、直ぐに空気は元に戻った。代わりに菫から視線を逸らし、鈴は黒羽を見ていた。視線が交錯する。

「ごめん。鈴を煩わすようなことじゃないって思って……のぶ……あ。や……黒羽が持ってて返してくれたし」

 黒羽の名前を『のぶ』と呼んでしまってから、はっとして、菫はすぐに言い直した。言い直してから、言い直したことを後悔する。この場面で多分一番に鈴を不快にさせたのはきっと、この言い直しだ。

「帰ろう」

 びく。と、身体を強張らせてから、鈴が菫の手を乱暴に握る。

「……あ」

 否。と、言う暇はなかった。
 腕を引かれるまま、鈴に従う。
 振り向くと、ゾッ。とするような冷たい目で、黒羽は鈴を見ていた。だから、菫は黒羽にも何も言えなかったのだった。
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