真鍮とアイオライト 1

司書Y

文字の大きさ
上 下
251 / 392
仮説とするには単純な

1 遠い激情 4

しおりを挟む
 なんとなく、想像はついていたのだ。
 きっと、取り返しがつかないくらいの事態になっていること。
 事態は一刻を争う。
 それでも、昨夜の菫には鈴と離れるという選択肢は存在しなかった。離れてはいけないと、強迫観念にも似た思いがあった。
 鈴と温もりを分け合って眠ったからこそ、今日の何でもない朝を迎えられたのだと、半ば確信のように思う。
 だから、後悔はしていない。
 後悔はしていないのだ。

 たぶん。

 鈴の家のリビングに入ると、一番初めに目についたのは、菫のトートバックだった。昨夜はいろいろあったから、リビングに置きっぱなしにして鈴の部屋に引っ込んでしまった。
 そして、そのトートバックの中身が恐怖の始まりだった。
 ヴヴヴ。と、振動するそれに、菫は戦慄した。そう。兄・椿からの鬼LINEの数々は最早一刻たりとも無視することはできない状態だった。何と未読の件数132件。その殆どすべてが椿からだ。

 普通に考えれば菫の歳の男性なら恋人と同棲している人だって珍しくない。しかも、おとといの晩はともかくとして、昨日の夜は鈴の家に来る前にちゃんと『鈴のところに泊まります』と、メッセージを送っておいた。電話にしなかったのはもちろんわざとだけれど、文句を言われる筋合いはない。
 兄の過保護は今に始まったことではない。父と母が離婚した頃から、兄は異常なまでに菫を心配するようになった。父と母に別々に引き取られるはずだったのが、二人一緒でなければ絶対に嫌だと兄が駄々をこねたから、二人とも父に引き取られ、祖母と暮らすことになったのだ。
 菫にとって、兄である椿は父であり、母であり、その上兄という存在だった。菫が今、人並みに生活できるのは全部椿のお陰だと思う。だから、兄が多少(?)過保護でも拒否できない。けれど、さすがに100件を超えるLINEメッセージを見ていると、殆ど狂気じみた執着にドン引きしてしまう。
 横から菫のスマホを覗き込んだ(もちろん、菫に許可を得てから)鈴もなんとも言えない表情をしていた。

「すみません。俺が、引き留めたせいで……」

 申し訳なさそうな顔をして、鈴が小さくなる。

「鈴のせいじゃない。一緒にいたかったのは俺も一緒だし。てか。兄ちゃんがおかしいんだよ」

 前職の時、人間関係に悩んで、誰にも相談できなくて、家に帰ってこられないくらい仕事を詰めて、心を病む寸前まで追い込まれて以来、椿の菫に対する過保護ぶりはさらにエスカレートしていた。無理矢理会社に押しかけて、奪うように菫を離職させてくれなかったら、本当にどうなっていたか分からない。
 椿は菫の少し真面目で、物事を深く考えすぎる上に、優しい性格に似つかわしくない強情で負けず嫌いなところをよく理解している。だから、恋愛においても一筋になりすぎてしまうところがあるのを心配しているのだ。
 だから、菫も理解してもらうために鈴のことはしっかり話した。
 幸いにも椿は同性愛には全く抵抗がないようだったけれど、何故か警戒が弱まるどころか、余計に溺愛ぶりに拍車をかけてしまっている気がする。

「……でも。一旦家に帰ってくる。着替えたいし。お昼までには買い物して戻ってくるから。そしたら、午後は一緒にいよう」

 ただ、菫にとって椿は大切な家族だ。
 菫を誰よりも大切に思ってくれているのは知っている。大切に思っているからこその束縛だということも理解している。行き過ぎなのは否定できないが、それでも、菫は兄が大好きだった。一番寂しくて辛かった時に一緒にいてくれた兄と祖母は菫にとっては鈴とは違った意味でかけがえのない人たちだった。
 だから、鈴とのことを有耶無耶にしてしまいたくない。

「俺、一緒に行って謝ります」

 心配そうな表情で鈴が言う。

「んー。大丈夫」

 大丈夫。とは言ったけれど、大丈夫。というよりも、鈴を連れて行く方が怖い。まさに火に油を注ぐというのがぴったりな状況に陥りそうな気がする。そうなったら、今日、もう一度外出するなんて無理だ。

「ちゃんと言いくるめて(?)くるから、心配しないで。兄ちゃん。うっさいけど、結局は、俺には甘いから」

 そう言って、菫は『今から帰る』と、LINEのメッセージを入れた。
 椿が最終的に菫の意志を完全に無視するようなことをしたことはない。だから、今回もどうにかなると菫は楽観的に考えていた。

 ただ、メッセージを送信してほんの数秒でかかってきた鬼電には最後まで出ることはなかった。
しおりを挟む
感想 6

あなたにおすすめの小説

鬼上司と秘密の同居

なの
BL
恋人に裏切られ弱っていた会社員の小沢 海斗(おざわ かいと)25歳 幼馴染の悠人に助けられ馴染みのBARへ… そのまま酔い潰れて目が覚めたら鬼上司と呼ばれている浅井 透(あさい とおる)32歳の部屋にいた… いったい?…どうして?…こうなった? 「お前は俺のそばに居ろ。黙って愛されてればいい」 スパダリ、イケメン鬼上司×裏切られた傷心海斗は幸せを掴むことができるのか… 性描写には※を付けております。

見ぃつけた。

茉莉花 香乃
BL
小学生の時、意地悪されて転校した。高校一年生の途中までは穏やかな生活だったのに、全寮制の学校に転入しなければならなくなった。そこで、出会ったのは… 他サイトにも公開しています

放課後教室

Kokonuca.
BL
ある放課後の教室で彼に起こった凶事からすべて始まる

4人の兄に溺愛されてます

まつも☆きらら
BL
中学1年生の梨夢は5人兄弟の末っ子。4人の兄にとにかく溺愛されている。兄たちが大好きな梨夢だが、心配性な兄たちは時に過保護になりすぎて。

秘花~王太子の秘密と宿命の皇女~

めぐみ
BL
☆俺はお前を何度も抱き、俺なしではいられぬ淫らな身体にする。宿命という名の数奇な運命に翻弄される王子達☆ ―俺はそなたを玩具だと思ったことはなかった。ただ、そなたの身体は俺のものだ。俺はそなたを何度でも抱き、俺なしではいられないような淫らな身体にする。抱き潰すくらいに抱けば、そなたもあの宦官のことなど思い出しもしなくなる。― モンゴル大帝国の皇帝を祖父に持ちモンゴル帝国直系の皇女を生母として生まれた彼は、生まれながらの高麗の王太子だった。 だが、そんな王太子の運命を激変させる出来事が起こった。 そう、あの「秘密」が表に出るまでは。

【完結・BL】俺をフッた初恋相手が、転勤して上司になったんだが?【先輩×後輩】

彩華
BL
『俺、そんな目でお前のこと見れない』 高校一年の冬。俺の初恋は、見事に玉砕した。 その後、俺は見事にDTのまま。あっという間に25になり。何の変化もないまま、ごくごくありふれたサラリーマンになった俺。 そんな俺の前に、運命の悪戯か。再び初恋相手は現れて────!?

ハイスペックED~元凶の貧乏大学生と同居生活~

みきち@書籍発売中!
BL
イケメン投資家(24)が、学生時代に初恋拗らせてEDになり、元凶の貧乏大学生(19)と同居する話。 成り行きで添い寝してたらとんでも関係になっちゃう、コメディ風+お料理要素あり♪ イケメン投資家(高見)×貧乏大学生(主人公:凛)

【完結】ぎゅって抱っこして

かずえ
BL
幼児教育学科の短大に通う村瀬一太。訳あって普通の高校に通えなかったため、働いて貯めたお金で二年間だけでもと大学に入学してみたが、学費と生活費を稼ぎつつ学校に通うのは、考えていたよりも厳しい……。 でも、頼れる者は誰もいない。 自分で頑張らなきゃ。 本気なら何でもできるはず。 でも、ある日、金持ちの坊っちゃんと心の中で呼んでいた松島晃に苦手なピアノの課題で助けてもらってから、どうにも自分の心がコントロールできなくなって……。

処理中です...