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錨草と紫苑
4 ワンピースと菫 3
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きー。
と、金属音が響く。その方向に鈴は振り返った。それが、車のブレーキ音だということにはすぐに気づいた。
「酔っ払いが! 死にてえのか!?」
ドスの効いた大声が後に続く。鈴の視線の先には一台のSRV車が止まっていた。けれど、言いたいことを言うと、すぐに発車し、角の向こうに見えなくなる。
車が去ると、その場所には見慣れた人影が、地面に倒れ込んでいるのが見えた。
「菫さん!」
気付くのと同時に駆け出す。
一瞬で心臓が冷えるのを感じた。車に接触したのだろうか。
「あ……」
駆け寄ってくる鈴に気付いて、菫も振り返った。それから、少しだけバツの悪そうな表情になる。
「大丈夫ですか? 怪我無いですか?」
目の前まで駆け付け、その表情の意味も考えずに鈴は座り込んで、菫の肩に触れた。
「……うん。大丈夫」
言葉通り、見た限りでは菫に大きな怪我はないようで、ほっとする。安堵すると、今度は菫の表情が優れないことが気になった。
痛みに耐えるとか、疲れているとか、そんな顔ではない。きっと、夜の暗さが落とす影でもない。こんな表情をいつか、見たことがある気がする。
「ぼーっとしてた」
言い訳するように言って、菫はへらり。と、少し困ったような笑顔を浮かべた。いつも、鈴に向けてくれる柔らかい表情とは違う。何かを隠しているように思えて、さっきまで靄がかかっていた心に明確に小さな痛みが刺さった。
「……立てますか?」
けれど、鈴にはその菫の表情の意味を聞き出すほどの勇気も、菫の感情を推し量るほどの器用さもなかった。もどかしい。
代わりに、できる限り平静を装って、手を差し伸べると、菫は素直にその手を取る。その手がとても温かかったことと、仕草に躊躇がなかったことがせめてもの救いだった。
「……痛っ」
立ち上がる手助けをしようと、ぎゅ。と、菫の手を握ると、不意に、菫が顔を顰めた。慌てて手を離すと、掌が擦りむけて血が滲んでいた。
「あ。すみません。気付かなくて。車ぶつかったんですか? 他に痛いところとか……」
手を離して、腕を握りなおして菫を立たせて、車通りが多い車道脇から移動する。相変わらず困ったような顔をしてはいるけれど、菫はどこかが痛む素振りを見せることはなかった。ただ、外見ではわからなくても、怪我をしている可能性はある。
「ありがと。ホント大丈夫。ぶつかったりしてない。怪我も擦りむいただけ」
ぎこちない笑顔を浮かべる菫にまた、心がある場所を針先で突かれるような小さな痛み。けれど、それには気付かれないよう、努めて冷静に、ズボンについた埃を払いながら全身を確認したが、他に傷になっている場所はないようだった。
「考え事してたから、車に気付いてなくてさ。全く意識してなかったからびっくりして。はは。ビビりすぎかって」
言い訳めいた言葉を早口で言ってから、菫は急に押し黙ってしまった。じっと掌を見つめている。その手に自分の手を重ねて、掌を確認する。決して酷い傷ではない。ただ、傷口が汚れている。
と、金属音が響く。その方向に鈴は振り返った。それが、車のブレーキ音だということにはすぐに気づいた。
「酔っ払いが! 死にてえのか!?」
ドスの効いた大声が後に続く。鈴の視線の先には一台のSRV車が止まっていた。けれど、言いたいことを言うと、すぐに発車し、角の向こうに見えなくなる。
車が去ると、その場所には見慣れた人影が、地面に倒れ込んでいるのが見えた。
「菫さん!」
気付くのと同時に駆け出す。
一瞬で心臓が冷えるのを感じた。車に接触したのだろうか。
「あ……」
駆け寄ってくる鈴に気付いて、菫も振り返った。それから、少しだけバツの悪そうな表情になる。
「大丈夫ですか? 怪我無いですか?」
目の前まで駆け付け、その表情の意味も考えずに鈴は座り込んで、菫の肩に触れた。
「……うん。大丈夫」
言葉通り、見た限りでは菫に大きな怪我はないようで、ほっとする。安堵すると、今度は菫の表情が優れないことが気になった。
痛みに耐えるとか、疲れているとか、そんな顔ではない。きっと、夜の暗さが落とす影でもない。こんな表情をいつか、見たことがある気がする。
「ぼーっとしてた」
言い訳するように言って、菫はへらり。と、少し困ったような笑顔を浮かべた。いつも、鈴に向けてくれる柔らかい表情とは違う。何かを隠しているように思えて、さっきまで靄がかかっていた心に明確に小さな痛みが刺さった。
「……立てますか?」
けれど、鈴にはその菫の表情の意味を聞き出すほどの勇気も、菫の感情を推し量るほどの器用さもなかった。もどかしい。
代わりに、できる限り平静を装って、手を差し伸べると、菫は素直にその手を取る。その手がとても温かかったことと、仕草に躊躇がなかったことがせめてもの救いだった。
「……痛っ」
立ち上がる手助けをしようと、ぎゅ。と、菫の手を握ると、不意に、菫が顔を顰めた。慌てて手を離すと、掌が擦りむけて血が滲んでいた。
「あ。すみません。気付かなくて。車ぶつかったんですか? 他に痛いところとか……」
手を離して、腕を握りなおして菫を立たせて、車通りが多い車道脇から移動する。相変わらず困ったような顔をしてはいるけれど、菫はどこかが痛む素振りを見せることはなかった。ただ、外見ではわからなくても、怪我をしている可能性はある。
「ありがと。ホント大丈夫。ぶつかったりしてない。怪我も擦りむいただけ」
ぎこちない笑顔を浮かべる菫にまた、心がある場所を針先で突かれるような小さな痛み。けれど、それには気付かれないよう、努めて冷静に、ズボンについた埃を払いながら全身を確認したが、他に傷になっている場所はないようだった。
「考え事してたから、車に気付いてなくてさ。全く意識してなかったからびっくりして。はは。ビビりすぎかって」
言い訳めいた言葉を早口で言ってから、菫は急に押し黙ってしまった。じっと掌を見つめている。その手に自分の手を重ねて、掌を確認する。決して酷い傷ではない。ただ、傷口が汚れている。
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