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夏夜
今、しよう? 1
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ドアを閉める。
家の中はしん。と、静かだった。
鈴が一人暮らしなのは菫も知っている。だから、何も連絡無しに押しかけることができた。もちろん、連絡しなかったのは、わざとではないけれど。
キツネの悪戯(?)がなければ、仕事終わりに連絡して、なにかつまみと酒とケーキを買ってお邪魔するつもりだった。ケーキは葉に頼んで緑風堂横の自宅に取りにいかせてもらう約束までしていた。あとでとりに行けなくなったと、詫びのLINEを入れなければと思う。
とにかく、今日のために、菫は準備をしてきたのだ。それがまさか人外に台無しにされるなんて思ってもいなかった。
ドアを閉めると、ぎゅ。と、抱いていた菫の身体を離して、代わりに鈴は菫の手を握る。それから、かなり適当に靴を脱いで、揃えることもしないで廊下に上がった。菫はせめて靴を揃えることくらいはしたがったけれど、鈴が手を離してくれないから、促されるままに鈴のあとに従う他なかった。
鈴は何も言わない。
不快に感じているから、というわけではないだろう。でも、何も言ってくれないと、少し不安になる。
結局、何も言わないまま、鈴は廊下の突き当りのドアを開けた。
そこは、おそらく北島家のリビングと思われる場所だった。白い壁紙の10畳ほどの広さの部屋で、明るい色のフローリングに落ち着いた緑色のソファセットが置いてある。突き当りの壁は全面収納になっていて、中央には大型のテレビ。足下は明かり取りの窓になっていた。
ソファテーブルの上には飲みかけのカップが置かれたままだ。慌てて出かけようとしていたのか、案外面倒臭がりで、後で片付ける気だったのか、どちらにせよ意外な感じがして、そんな側面も知ることができたことが、嬉しい。
ふと、視線を移すと、入ってきた扉の脇に飾り棚があって、その上に数葉の写真が飾ってあった。少し色褪せた写真の中で、鈴によく似た男性と少し気の強そうな女性。たぶん、ご両親。と、小学生くらいの少女。鈴とはあまり似てはいないけれど、驚くほど整った顔をしている。それから、もう一人。あの公園でみた少女のような男の子が笑っている。
「それ……あんま見ないでください」
ぱた。と、写真立てを伏せて、鈴は言った。
「ガキの頃とか……恥ずかしいです」
手を握ったまま、恥ずかしそうにそっぽを向く年下の恋人が可愛くないなんてあり得るだろうか? あるはずがない。でも、それを言ったら、怒らせてしまうかな。と、思う。
いつもなら、それでもいい。でも、今日はなんだかそんな時間が勿体ない気がして、菫はまた、視線を移した。
あまりきょろきょろと見回すのも不躾かなとは、思う。鈴を車で送ったことはあっても、家に上がるのは初めてで、何もかもが気になってしまう。
初めて訪れたその場所はそこら中に鈴の匂いがして落ち着かなかった。
付き合い始めて数か月。休みを併せるのは難しかったけれど、うちが近いこともあって、ほんの少しでも時間が合えばできるだけ会うようにしていた。無理をしているわけではない。ただ、会いたかった。
鈴もデートはできなくても頻繁に図書館に顔を出してくれたり、仕事が終わるのを待って二人で緑風堂でおしゃべりをしたり、人気のない夜の公園で手を繋いだり、中学生の交際みたいだったけれど、そんな時間もたまらく幸せだった。
ただ、菫には心配なこともあった。
家の中はしん。と、静かだった。
鈴が一人暮らしなのは菫も知っている。だから、何も連絡無しに押しかけることができた。もちろん、連絡しなかったのは、わざとではないけれど。
キツネの悪戯(?)がなければ、仕事終わりに連絡して、なにかつまみと酒とケーキを買ってお邪魔するつもりだった。ケーキは葉に頼んで緑風堂横の自宅に取りにいかせてもらう約束までしていた。あとでとりに行けなくなったと、詫びのLINEを入れなければと思う。
とにかく、今日のために、菫は準備をしてきたのだ。それがまさか人外に台無しにされるなんて思ってもいなかった。
ドアを閉めると、ぎゅ。と、抱いていた菫の身体を離して、代わりに鈴は菫の手を握る。それから、かなり適当に靴を脱いで、揃えることもしないで廊下に上がった。菫はせめて靴を揃えることくらいはしたがったけれど、鈴が手を離してくれないから、促されるままに鈴のあとに従う他なかった。
鈴は何も言わない。
不快に感じているから、というわけではないだろう。でも、何も言ってくれないと、少し不安になる。
結局、何も言わないまま、鈴は廊下の突き当りのドアを開けた。
そこは、おそらく北島家のリビングと思われる場所だった。白い壁紙の10畳ほどの広さの部屋で、明るい色のフローリングに落ち着いた緑色のソファセットが置いてある。突き当りの壁は全面収納になっていて、中央には大型のテレビ。足下は明かり取りの窓になっていた。
ソファテーブルの上には飲みかけのカップが置かれたままだ。慌てて出かけようとしていたのか、案外面倒臭がりで、後で片付ける気だったのか、どちらにせよ意外な感じがして、そんな側面も知ることができたことが、嬉しい。
ふと、視線を移すと、入ってきた扉の脇に飾り棚があって、その上に数葉の写真が飾ってあった。少し色褪せた写真の中で、鈴によく似た男性と少し気の強そうな女性。たぶん、ご両親。と、小学生くらいの少女。鈴とはあまり似てはいないけれど、驚くほど整った顔をしている。それから、もう一人。あの公園でみた少女のような男の子が笑っている。
「それ……あんま見ないでください」
ぱた。と、写真立てを伏せて、鈴は言った。
「ガキの頃とか……恥ずかしいです」
手を握ったまま、恥ずかしそうにそっぽを向く年下の恋人が可愛くないなんてあり得るだろうか? あるはずがない。でも、それを言ったら、怒らせてしまうかな。と、思う。
いつもなら、それでもいい。でも、今日はなんだかそんな時間が勿体ない気がして、菫はまた、視線を移した。
あまりきょろきょろと見回すのも不躾かなとは、思う。鈴を車で送ったことはあっても、家に上がるのは初めてで、何もかもが気になってしまう。
初めて訪れたその場所はそこら中に鈴の匂いがして落ち着かなかった。
付き合い始めて数か月。休みを併せるのは難しかったけれど、うちが近いこともあって、ほんの少しでも時間が合えばできるだけ会うようにしていた。無理をしているわけではない。ただ、会いたかった。
鈴もデートはできなくても頻繁に図書館に顔を出してくれたり、仕事が終わるのを待って二人で緑風堂でおしゃべりをしたり、人気のない夜の公園で手を繋いだり、中学生の交際みたいだったけれど、そんな時間もたまらく幸せだった。
ただ、菫には心配なこともあった。
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