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市立図書館地下書庫奥、由緒正しき……
4 扉の奥
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もちろん、物理法則にのっとって話をするなら、その先には免震設備の地下構造部、何本かの柱と基礎を繋ぐ巨大なゴムの構造物があるはずだ。けれど、そこには森林が広がっていた。
正確に言うなら、切れ目が見えないほど先までただ一種の木の林が続いている。この匂いにも、落ち葉にも、木そのものにも見覚えがある。松だ。植物に詳しくなくても、大抵の人は見知っているおなじみの木がどこまでも続き、夕日に染まるオレンジの木漏れ日を地面に落としている。
綺麗な場所だった。
「……は?」
けれど、それは、盆地の底のような場所にあるお世辞にも大都市とは言えない地方都市の市民センターの地下書庫のドアを開けた先にある景色ではない。いや、あってはいけない場所だった。
「なに? これ??」
後ろを振り返ると、すでにドアは消えていた。
「……うそ。だろ?」
やっぱり、自分の感覚は当てにならない。
菫は思う。
あの扉は開けてはいけないものだったのだ。
いや、普通に考えれば、開けてはいけないことくらいは菫にだってわかっていた。それでも、扉から伝わってきたのは『悪意』ではなかった。それでは何なのかと聞かれると、菫は答えに困る。強いて言うなら、『覚えておいてほしい』という、切実な欲求。
人が死んだとき、周りの人は悲しみその人のことを考える。けれど、時が流れて、いつしか、その人たちのことを考えることはなくなる。そして、死んだ人を知るもの、そのことを考えるものがいなくなったとき、人はもう一度死ぬ。
この景色を見せているなにかは、いま、まさに死を迎えようとしているのかもしれない。だから、誰かに見せようとした。
「これを覚えていろってこと?」
菫は呟いた。こんなことが起これば、菫にとって忘れがたい思い出となるだろう。この先忘れることなどない。それだけのインパクトはあった。
けれど、これを見せている人物(?)が、覚えておいてほしいのはそんなことなのだろうか。緩やかな死が止められないとしても、せめて、そこに在ったことだけでも残したいという意志のようなものを感じた。感じたような気がした。それも、あてにならない錯覚だったかもしれない。
扉はなくなってしまった。だから、菫は一歩踏み出してみた。
ふか。と、松場が降り積もった地面は柔らかかった。道はなかったけれど、地面には下草が生い茂ることもなく、まばらに生えた日影を好む草だけがちらほらと生えている。そのほかには、ただ、松林がどこまでも広がる。
何故か、ひどく、懐かしい気がした。アタイズム。共同幻想とでもいうのだろうか。多分、これは、菫の記憶ではなくて、この街に住む同じ文化に育った人間が共通して持つ懐かしさだ。
図書館に勤めているからというわけではないけれど、菫も知っている。菫の住む市はかつて広大な松林があった場所だ。今では殆どその名残はないけれど、ほんの一部分だけ、まだそれが残っている場所がある。鈴とよく待ち合わせをするコンビニの近くだ。きっと、在りし日の松林は、こんな風景だったのだろう。
柔らかな落ち葉を踏みしめて歩く。
しん。と、静まり返った松林。人の気配はない。ただ、何かがいる気配はある。
それは、目に見えないものではなくて、カラスだったり、ネズミだったり、リスや、イタチだたり。ヤマバトや、キツネや、タヌキや、シカ。こんな森に相応しい生き物たちの小さな足音や息遣いだ。視界の端にささ。と、何かが通り過ぎる。けれど、そちらを向くと何もいない。目に見えないものたちと似てはいるが、居てはいけないものがいるという歪みのようなものがない。こんな非常識な状況なのにそれらは自然そのものだった。
正確に言うなら、切れ目が見えないほど先までただ一種の木の林が続いている。この匂いにも、落ち葉にも、木そのものにも見覚えがある。松だ。植物に詳しくなくても、大抵の人は見知っているおなじみの木がどこまでも続き、夕日に染まるオレンジの木漏れ日を地面に落としている。
綺麗な場所だった。
「……は?」
けれど、それは、盆地の底のような場所にあるお世辞にも大都市とは言えない地方都市の市民センターの地下書庫のドアを開けた先にある景色ではない。いや、あってはいけない場所だった。
「なに? これ??」
後ろを振り返ると、すでにドアは消えていた。
「……うそ。だろ?」
やっぱり、自分の感覚は当てにならない。
菫は思う。
あの扉は開けてはいけないものだったのだ。
いや、普通に考えれば、開けてはいけないことくらいは菫にだってわかっていた。それでも、扉から伝わってきたのは『悪意』ではなかった。それでは何なのかと聞かれると、菫は答えに困る。強いて言うなら、『覚えておいてほしい』という、切実な欲求。
人が死んだとき、周りの人は悲しみその人のことを考える。けれど、時が流れて、いつしか、その人たちのことを考えることはなくなる。そして、死んだ人を知るもの、そのことを考えるものがいなくなったとき、人はもう一度死ぬ。
この景色を見せているなにかは、いま、まさに死を迎えようとしているのかもしれない。だから、誰かに見せようとした。
「これを覚えていろってこと?」
菫は呟いた。こんなことが起これば、菫にとって忘れがたい思い出となるだろう。この先忘れることなどない。それだけのインパクトはあった。
けれど、これを見せている人物(?)が、覚えておいてほしいのはそんなことなのだろうか。緩やかな死が止められないとしても、せめて、そこに在ったことだけでも残したいという意志のようなものを感じた。感じたような気がした。それも、あてにならない錯覚だったかもしれない。
扉はなくなってしまった。だから、菫は一歩踏み出してみた。
ふか。と、松場が降り積もった地面は柔らかかった。道はなかったけれど、地面には下草が生い茂ることもなく、まばらに生えた日影を好む草だけがちらほらと生えている。そのほかには、ただ、松林がどこまでも広がる。
何故か、ひどく、懐かしい気がした。アタイズム。共同幻想とでもいうのだろうか。多分、これは、菫の記憶ではなくて、この街に住む同じ文化に育った人間が共通して持つ懐かしさだ。
図書館に勤めているからというわけではないけれど、菫も知っている。菫の住む市はかつて広大な松林があった場所だ。今では殆どその名残はないけれど、ほんの一部分だけ、まだそれが残っている場所がある。鈴とよく待ち合わせをするコンビニの近くだ。きっと、在りし日の松林は、こんな風景だったのだろう。
柔らかな落ち葉を踏みしめて歩く。
しん。と、静まり返った松林。人の気配はない。ただ、何かがいる気配はある。
それは、目に見えないものではなくて、カラスだったり、ネズミだったり、リスや、イタチだたり。ヤマバトや、キツネや、タヌキや、シカ。こんな森に相応しい生き物たちの小さな足音や息遣いだ。視界の端にささ。と、何かが通り過ぎる。けれど、そちらを向くと何もいない。目に見えないものたちと似てはいるが、居てはいけないものがいるという歪みのようなものがない。こんな非常識な状況なのにそれらは自然そのものだった。
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