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かの思想家が語るには
怪物と戦うもの 3
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「鈴。さっきの言葉、前にも一文あるって、知ってる?」
菫に言ったかの思想家の言葉。
深淵を覗き込むものは、ひとしく深淵から覗かれる。
他人を呪う。歪な感情には、代価が求められる。彼女はそれがこんなにも重いと知らなかっただろう。
「?」
鈴は、気付いているのだろうか。菫のストラップを持ち去ったのが、もし、加護を受けた『あちら側』のものでなかった場合。加護を受けているようなものが、その辺をうろついていて自分や鈴や、『荒木田』が、気付かないわけがない。だから、可能性は一つに絞られる。
彼女に箱を渡した人間がいる。
そいつは言葉巧みに彼女を唆したのだろう。どうなるのか、わかっていたくせに。
菫に何かがあったとき、鈴はきっと、今回のような無茶をする。だから、余計に不安なのだ。
「『怪物を倒そうとするものは、その過程で自らが怪物にならぬよう、気をつけなければならない』」
その言葉にも、鈴は表情を大きく変えたりはしなかった。鈴としては珍しくない反応だ。別に葉の言葉を軽んじているわけではないし、その言葉が心に届いていないわけでもない。
「わかってる」
葉の顔を見た鈴の表情はいつもとあまり変わらない無表情だったけれど、葉にはわかった。
それでも、もう、心は決まってしまっているということなのだろう。
「ふうん。なかなかいい面構えになったじゃねえか」
がしがし。と、自分より高い位置にある鈴の頭を押さえつけるみたいに撫でてから、貴志狼が言った。乏しい表情だが長い付き合いの貴志狼にも、変化はわかったようだった。
「葉。鈴ももうガキじゃねえ。自分の大切なもんくらいは、自分で守るだろ。小姑みたいな心配すんな」
貴志狼には『あちら側』のことも、鈴や葉が背負わされているもののことも、何も話してはいない。それは葉にとっての救いだ。だから、貴志狼は何も知らない。それでも、きっと、何かを感じて、言ってくれた言葉に、葉は救われた気がした。
と。同時に、『小姑』にかちん。と、来る。
「誰が小姑だよ」
ぷう。と、頬を膨らます(三十手前の成人男性のすることか疑問だが)と、はは。と、貴志狼が笑う。そうやって、葉の心の負担を軽くしてくれる貴志狼が葉にとって必要なように、鈴にとっての菫ももう、欠くことができないものなのだ。
「あー。鈴早くいけ。お前、邪魔者」
しっし。と、手を振る貴志狼に苦笑いして、けれど、少し安堵したように鈴はまた、ぺこ。と、会釈して背を向けた。
「鈴。極道やってると人間やめたヤツなんていくらでもいる。そんでもな。お前が何になったって、俺たちの出来のわりい弟だ。頼れよ?」
貴志狼の言葉に振り向いた鈴は、今日初めて人間の言葉を聞きました。みたいな、驚いた顔をしていた。それは、菫に向ける表情とは違うけれど、とても、人間味のある表情だった。
「気が向いたら」
そう答えた鈴は笑っていた。それは、やっぱり菫に向ける笑顔とは違うけれど、安心した少年のような笑顔だった。
じゃ。と、軽く言って、鈴は出ていく。残された葉の心は少しだけ軽くなっていた。問題は一つも解決していないけれど、今は残酷な何かが二人の進む道に現れることのないよう、祈るしかない。
「『世界には君にしか歩むことのできない唯一の道がある。その道がどこへ行きつくのか問うてはならない。ひたすらに進め』だ」
葉の肩を抱いて、ぼそり。と、貴志狼が言った。
「……インテリヤクザ」
その胸に身体を預けて、葉も呟く。
春はもう、すぐそこに来ている。そんな夜の出来事だった。
菫に言ったかの思想家の言葉。
深淵を覗き込むものは、ひとしく深淵から覗かれる。
他人を呪う。歪な感情には、代価が求められる。彼女はそれがこんなにも重いと知らなかっただろう。
「?」
鈴は、気付いているのだろうか。菫のストラップを持ち去ったのが、もし、加護を受けた『あちら側』のものでなかった場合。加護を受けているようなものが、その辺をうろついていて自分や鈴や、『荒木田』が、気付かないわけがない。だから、可能性は一つに絞られる。
彼女に箱を渡した人間がいる。
そいつは言葉巧みに彼女を唆したのだろう。どうなるのか、わかっていたくせに。
菫に何かがあったとき、鈴はきっと、今回のような無茶をする。だから、余計に不安なのだ。
「『怪物を倒そうとするものは、その過程で自らが怪物にならぬよう、気をつけなければならない』」
その言葉にも、鈴は表情を大きく変えたりはしなかった。鈴としては珍しくない反応だ。別に葉の言葉を軽んじているわけではないし、その言葉が心に届いていないわけでもない。
「わかってる」
葉の顔を見た鈴の表情はいつもとあまり変わらない無表情だったけれど、葉にはわかった。
それでも、もう、心は決まってしまっているということなのだろう。
「ふうん。なかなかいい面構えになったじゃねえか」
がしがし。と、自分より高い位置にある鈴の頭を押さえつけるみたいに撫でてから、貴志狼が言った。乏しい表情だが長い付き合いの貴志狼にも、変化はわかったようだった。
「葉。鈴ももうガキじゃねえ。自分の大切なもんくらいは、自分で守るだろ。小姑みたいな心配すんな」
貴志狼には『あちら側』のことも、鈴や葉が背負わされているもののことも、何も話してはいない。それは葉にとっての救いだ。だから、貴志狼は何も知らない。それでも、きっと、何かを感じて、言ってくれた言葉に、葉は救われた気がした。
と。同時に、『小姑』にかちん。と、来る。
「誰が小姑だよ」
ぷう。と、頬を膨らます(三十手前の成人男性のすることか疑問だが)と、はは。と、貴志狼が笑う。そうやって、葉の心の負担を軽くしてくれる貴志狼が葉にとって必要なように、鈴にとっての菫ももう、欠くことができないものなのだ。
「あー。鈴早くいけ。お前、邪魔者」
しっし。と、手を振る貴志狼に苦笑いして、けれど、少し安堵したように鈴はまた、ぺこ。と、会釈して背を向けた。
「鈴。極道やってると人間やめたヤツなんていくらでもいる。そんでもな。お前が何になったって、俺たちの出来のわりい弟だ。頼れよ?」
貴志狼の言葉に振り向いた鈴は、今日初めて人間の言葉を聞きました。みたいな、驚いた顔をしていた。それは、菫に向ける表情とは違うけれど、とても、人間味のある表情だった。
「気が向いたら」
そう答えた鈴は笑っていた。それは、やっぱり菫に向ける笑顔とは違うけれど、安心した少年のような笑顔だった。
じゃ。と、軽く言って、鈴は出ていく。残された葉の心は少しだけ軽くなっていた。問題は一つも解決していないけれど、今は残酷な何かが二人の進む道に現れることのないよう、祈るしかない。
「『世界には君にしか歩むことのできない唯一の道がある。その道がどこへ行きつくのか問うてはならない。ひたすらに進め』だ」
葉の肩を抱いて、ぼそり。と、貴志狼が言った。
「……インテリヤクザ」
その胸に身体を預けて、葉も呟く。
春はもう、すぐそこに来ている。そんな夜の出来事だった。
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