真鍮とアイオライト 1

司書Y

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かの思想家が語るには

今夜は最高の夜だ 3

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 一息。
 鈴が息を吸い込む。
 なんだかすごく、その瞬間が長く感じる。

 もしかしたら、後悔しているのかなとか、思う。
 それから、全部冗談でした。とか、言われたら死ねるな。なんて考える。
 それとも、やっぱり、王道の夢オチかな? そしたら、きっと、俺は布団から半分はみ出して、鈴の声とは程遠いきんきん。と、うるさい音がする目覚まし時計に起こされるんだ。

 なんであったにせよ、鈴に面と向かってフラれたらどうやって立ち直ればいいのかな?

 鈴の気持ちに、百億分の一でも期待できていたときとも、むやみやたらに兄ちゃんに反対されていただけの時とも、ただの会話を盗み聞きしていた時とも違う。鈴自身に言われたら、納得しなくちゃいけない。
 鈴を好きになったと自覚してから、散々悩んだし、たくさん泣いた。こんなふうに誰かを好きになって、それが自分の世界の全部みたいになる日が来るなんて思っていなかった。

 ほんの数秒。鈴が覚悟を決めるみたいに、間を置くから、俺はいろんなことを考えてしまった。なんだか、まるでこれから死刑宣告を受けるみたいだ。

「池井さん。あなたが好きです」

 鈴の声は低くてよく響く。最初からすごく耳に心地いい声だと思った。
 その声が、自分にこんなことを言う日が来るなんて、どうして想像できただろう。たとえ、信じられないくらいのイケメンだって、自分がその人を好きになることすら想像していなかった。
 でも、今、確かに、鈴がこんな俺に告白してくれた。

 鈴は少しだけ俺の反応を待ってから、そ。と、俺の両手を片方ずつ、鈴の両手で握った。

 いつも冷たい鈴の手。今日も少し冷たい。大きい手に包み込まれると、鼓動まで聞こえてくるような気がする。それが、壊れるくらいに早い自分の鼓動と同じ速さであるような錯覚。その錯覚は居ても立っても居られなくて、今すぐにでも走り出してしまいそうな衝動に代わる。

「俺と付き合ってほしいです」

 でも、鈴が続けてそう言ったから、俺の足からは完全に力が抜けてしまった。鈴の手を握ったまま、ぺたん。と、座り込んでしまう。

 つきあう?

 そんなこと、現実には考えてなかった。いや、考えていなかったわけではない。けれど、子供が将来の夢をオリンピックで金メダル! と言っているのと同じレベルの妄想だ。

「い……池井さん? 大丈夫ですか?」

 座り込んだ俺の顔を鈴が心配そうにのぞき込む。

 この人と付き合えるってこと?
 一人占めして。
 特別に優しくして。
 甘やかして。
 四六時中、好きでいてもいいってこと?

 考えただけでかっ。と。顔が熱くなった。いきなり喉の奥が痛くなって、視界がぼやける。
 自分が泣いていると気付いたのは、地面に落ちた雫のあとが目に入ったからだ。

「池井さん……その。迷惑でした? そうだったら、きっぱり断ってください。池井さん優しいから、気を使ってくれたら、勘違いしてしまいそうだから」

 そんなことを言ってふ。と、寂しそうに笑う鈴。自分もそうだったから気付いてなかったけれど、鈴の手も小さく震えていた。
 きっと、鈴だって俺と同じように悩んだんだと、その表情で分かる。鈴があんまりにも出来過ぎた王子様だから、不安なんてないと勘違いしていた。
 でも、違った。
 鈴は俺よりも年下で。まだ、学生で。人付き合いが得意ではなくて。愛想笑いが苦手で。感情表現も苦手で。真面目で、優しいただの男だ。

「……でも。迷惑はかけないから。今までみたいに……友達ではいた……」

「俺も好きだ」

 だから、真摯に、真っ直ぐに伝えてくれた言葉には、俺も真剣に答えないといけない。
 ぎゅ。と、鈴の手を握り返す。それから、そのまま、立ち上がる。完全に足から力が受けていると思っていたけれど、驚くほどすんなり立ち上がることができた。

「何の取柄もないし、鈴君には釣り合わないけど……俺は。鈴君の……恋人になりた…、い」

 鈴の目を見て、そう言うと、言葉が終わらないうちに、鈴の腕に包み込まれた。

「……ああ。も。今日は、最高の日だ」

 耳元に鈴の声が聞こえる。その声が少し震えている。
 それが、堪らなく可愛いと思った。
 だから、俺も、精一杯、鈴の背中に手を回して、抱きしめた。

 鈴の肩越しに見える月が、とても綺麗な夜の出来事だった。
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