真鍮とアイオライト 1

司書Y

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かの思想家が語るには

いなり餅 3

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 しん。と、不意に辺りが静まり返る。
 さっきまでの騒がしさが嘘のようだ。あたりにはやはり人の姿はない。けれど、あの臭い匂いも、マッチが燃えるような匂いももうしない。
 ただ、視線の先、道路の方から、頼りない街灯の明かりが少しだけ漏れてきていた。

 俺と鈴は、しばらく放心していた。手を握ったまま、立ち尽くす。
 言葉が見つからないとか、そういうのではなく、話そうと思いもしない。そんな感じだった。
 ただ、鈴の冷たい手が俺の体温で温かくなっていくのを感じて、生きているんだなと、実感できた。

「……池井さん」

 鈴が俺を呼ぶ。声が聞けてほっとする。
 ほっとしたら、途端に膝が震え始めた。膝だけじゃない。全身が震えて、情けなくも涙が溢れる。
 たぶん、この瞬間、ようやく助かったのだと実感できたからだ。緊張の糸が切れて、あちこちが痛む。脚からは力が抜けて、立っているのもやっとだった。

「あ……の。大丈夫ですか? や。大丈夫じゃ……ないですよね?」

 脱力してしまった俺を鈴の手が支えてくれる。心配そうに顔を覗き込む鈴の顔が涙で滲んだ。

「あ……だいじょ……」

 なんとか自分の足で立とうとするけれど、力が入らない。鈴だって疲れているだろう。と、考えてから、はっとする。
 バイクで転んだことを、忘れていた。バイクはともかく(これもおそらくは廃車レベルだと思うが)鈴は俺を庇ってくれていたんだ。それをしないと思い出すと、さっと血の気が引く。
 もし、深刻な怪我をしているのを隠しているだけならどうしよう。

 ばっ。と、顔を見上げると、鈴と目が合う。鈴は驚いたような表情で俺を見ていた。

「どうか、しました?」

 その顔が少しだけ赤らんでいるように見えるのは気のせいだろうか。

「怪我……」

 情けないけれど、声もまだ震えていた。

「怪我して……ない?」

 ようやくそれだけを言うと、鈴は俺の顔を見て、苦笑した。

「大丈夫です。頭は打ってないし、折れてるとかもなさそうだし。俺より池井さんの方が心配なんですけど」

 そ。と、鈴の手が俺の頬に触れる。

「痛いところとかありませんか?」

 正直、痛いところだらけだ。でも、そんなことどうでもいいくらいに、心臓の拍動が早くなる。
 鈴が触れている。俺の頬に。
 会わない間、会ったらどんな顔をすればいいのか考えてきた。答えが出なくて、会いたいくせに会えないことにほっとした。鈴が助けに来てくれたこと、言葉にできないくらいに嬉しかったし、あんな状況なのにすごく安心している自分がいた。鈴がいてくれれば大丈夫だと。

「俺も。大丈夫」

 すり。と、鈴の手に頬を擦り寄せる。無意識にしてしまってから、あ。と、思うけれど、鈴が少し驚いた顔をしてから、嬉しそうにしてくれたからどうでもよくなった。

「本当に間に合ってよかった」

 心の底から安堵したように、吐息をもらす鈴。きっと、鈴だって怖かっただろう。あんなものが平気な人間なんて、普通はいない。

「ありがと。また、助けられた」

 きっと、鈴がいなければ、助からなかった。素直にそう思う。

「いや。そうじゃなくて……違うんです。池井さんがこんな目に逢ったのは俺のせいなんです」

 けれど、俺の言葉に、鈴の表情は曇ってしまった。それから、何かを一瞬ためらった後、鈴は話し始めた。
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