真鍮とアイオライト 1

司書Y

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かの思想家が語るには

助けて 4

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「黒刃乃介征伸」

 俺が、その言葉を口にした瞬間だった。空気が変わった。という、表現がもっとも適切だと思う。本当にその場の空気が変わった。
 まるで、何かが。いや、大気が燃えるような熱? 違う。それは熱ではないけれど、確かに空気が燃えていると、分かる感覚。
 音でも、匂いでも、色でもない。熱ですらない。未分化な何かが燃焼の証を肌に伝えてきた。

「呼んで。命令するんです。来い。と」

 鈴が言う。

「黒刃乃介征伸。来い」

 鈴に言われたとおりにした。その時だ。
 どん。
 と、大きな衝撃。地面から赤い炎が沸き立つ。焦げた匂い。さっきまでの感覚的なものではない。完全に本物の炎がそこにある。そして、その中心に、それがいた。

「あー。おっせえ。呼ぶの遅すぎ」

 それは、あの晩、いなり寿司をもらって、喜んでいた男だった。あの日はどうみても、ウェイ系というか、チンピラというか、とにかく派手な服装だったけれど、今日は違う。
 神官が祭祀で着るような格好。浄衣というのだろうか。全身白で統一された平安貴族が着るような衣装を着ている。烏帽子?は、かぶっていなくて、弄ぶように手にひっかけているが、よく知りはしなくても、俗に神官と呼ばれる人たちの衣装なのだと分かる。
 目元には前回は微かに見える程度だったアイシャドウのような赤い線が濃く引かれて、顔色は病的に白い。もしかしたら、化粧をしているのかと思う。
 その姿は男の軽薄な言動にはそぐわない。けれど、大きな体躯と絶妙なバランスを保っている端正な顔立ちには似合っていた。

「待ちくたびれて、忘れるとこだった」

 そう言って、男はぎろり。と、黒い獣を見据える。
 それから、気の抜けたような表情になった。

「は? これか? ……おまっ。バカにしとるんか?」

 荒い息を吐いて、今にもとびかかってきそうな顔で牙をむき出しにする女子高生。の、顔を持つ獣。顔の方向が僅かにずれて斜めの方向を向いているのが、気味の悪さを増長している。牙からは相変わらず汚らしい涎が滴って、あたりに臭気を撒き散らしていた。その目が左右が別々の方向を見てぎょろぎょろと動くのも、生理的な嫌悪感を煽ってくる。

「というか。お前。こんなのくらいどうにかなるだろう。俺に雑魚掃除させる気か?」

 びし。と、鈴を指さして男。黒刃は言った。

「お前と違って、俺はごく普通の人間なんだ。あんな面倒くさいの相手にできるか。大体、お前、池井さんに借りがあるだろ? さっさと返して、二度と出て来るな」

 その指先を不快そうに睨んて、鈴が答える。何のことを話しているかはよくわからないが、二人の仲が最悪なのは分かる。基本的に感情を表に出さない鈴にしては珍しく、明らかに嫌いという感情を全く隠していない。

「おま……ホント、ガキのくせ……」

「じゃぁあああまあぁだぁぁ。どぉおおけえぇぇ。」

 黒刃の言葉を遮るように獣が吠えた。狩りの邪魔をされたのがお気に召さなかったらしい。全身の毛を逆立てて、威嚇するように吠えた先は、今度は俺ではなくて、黒刃相手だった。
 と、同時にまるで、獣が焦っているかのように見えた。そのさまは小型犬が威嚇しているようだ。

「じゃぁぁまぁするぅなぁらあ。ころころころころぉすう」

 そう言った、獣の口がかぱり。と、大きく裂けたその瞬間だった。

「貴様、誰に口をきいているかわかっておろうか?」

 ぐん。と、黒刃が腕をあげて、下ろす。ただそれだけの仕草で、獣は地面にひれ伏した。いや、ひれ伏したのではない。地面に叩きつけられて、半分以下の厚さになった。
 手は当たってはいない。けれど、その形がまるで巨大な手で押しつぶされているかのような形に見える。

「道理もわきまえぬ小童が」

 直接触れているわけではない。けれど、獣の足に血管が浮くほどの力を込めても、立ち上がることはおろか、頭を上げることすらできなかった。メリメリ。と、嫌な音をさせて、さらに獣は薄くなる。

「いいだろう。このゴミは俺が片付けてやる。
 が。
 ゴミを片付けた程度で、借りを返したことにしては末代までの恥だ」

 言いながら、黒刃は両手をぐ。と、柏手を打つように併せた。その途端、少し離れたところにいた黒い獣が今度は縦に潰れる。おそらくは三分の一程度の厚さになっているだろう。それから、さして力を加えるでもなく何かをこねて丸めるような仕草をすると、その動きに合わせて、獣は金属音のような不快な叫びをあげながら、ボールのように丸く潰れていった。血の一滴も零さずに。

「これはサービスだ。次はもっとまともなヤツに命狙われろよ?」

 ゴルフボール大まで丸められた獣をぽい。と、口に放り込んで、咀嚼することもなく飲み込んでから、何もなかったかのように、黒刃が言う。言ってから、マズ。と、呟いたのは、味のことを言っていたのだろうか。美味いわけがないと思うのは俺だけではないと思う。
 とにかく、不穏当な物言いに本当なら反論したいところだけれど、目の前で起こったことがあまりに現実離れし過ぎて、言葉にはならず、俺はただ、口をぱくぱくさせるしかなかった。
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