真鍮とアイオライト 1

司書Y

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かの思想家が語るには

助けて 2

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 鈴に背を向ける。うちの方向へは行きたくない。万が一でも兄ちゃんやばあちゃんに俺が食われるところなんて見せられない。いや、そんな不気味なもの、他の誰にだって見せられない。
 だから、誰にも見られないようにあの赤い鳥居がある方向へと向かうことにした。朽ちた社に日が暮れてから来る人なんていないだろう。きっと、誰にも迷惑をかけずに済む。

「うわ」

 駆け出そうとした身体は、けれど、進むことができずに引き戻された。そのまま、力強い腕に抱きすくめられる。

「す……すず……君?」

 あまりのことに頭が混乱する。引き留められるくらいは想像の範囲内だったけれど、何が起こっているんだろう。

「……そんなこと言って、一人で行ってしまうなんてズルいです」

 鈴の吐息が耳朶を擽る。低い声は耳の奥まで撫でるように広がる。すごく、すごく、心地いい響きだ。
 こんな状況でなければずっと、聞いていたかった。

「鈴君。放せって……っ。あいつ。来る」

 獣はまだ、もがいている。けれど、明らかに憤怒の色が濃くなっていると感じる。そして、その顔がまた揺らいで、人の顔のように見えた。若い。女性の顔。どこかで見たことがある気がする。

「離しません」

 獣の顔と目が合った。それは、あのとき、鈴に好きだと言っていた女子高生の顔だった。
 それが、何を意味しているか、俺にはわからない。けれど、感じる。強くて暗い感情。彼女の視線には、俺に対する怒りとか、憎しみとか、嫌悪とか、たぶん嫉妬とか、そんな負の感情を全部混ぜてドロドロに溶かしたようなものが籠っていた。それは、悪意とか、敵意と同義のものだ。それに気づいて、俺は唐突に理解した。その感情が俺に向くのは、鈴が俺といるからだ。
 いや、鈴が悪いんじゃない。

「放せ! ただの友達にここまでしてやることないだろ。もう、いいから……同情や義務感ならほってお……」

 と、言葉は途中で途切れた。鈴の手が、俺の口を塞いだからだ。そっと、その指先が俺の唇に触れる。いつもの冷たい鈴の指。辛そうな顔にどきり。とする。

「同情でも。義務感でも。友情でもないです。月が綺麗だって、池井さん。どんな気持ちで言いました? 俺も、同じです」

 囁くように言って、また、鈴の腕が俺の背に回る。

「あなたが好きです。放っておけるはずない」

 耳元で囁かれた言葉に、堪える間もなく涙が零れた。
 嬉しいのか、怖いのか、分からない。そんなものをすっ飛ばして、ただ、震えた心が雫を零す。どんな綺麗ごとも、建前も、敵わない。ただ、鈴の一言で、俺の決意なんて全部吹き飛んで、もう、何があっても離れたくないって、思ってしまった。

「だから、放せなんて言わないでください。助けてって言ってください。そしたら、俺は……」

 耳元にため息のように鈴の声が聞こえる。

 なんでも、するから。

 と。
 その声に、逆らうことなんてできない。この気持ちをなかったことにすることも、もう出来そうもない。
 俺は思う。
 一番欲しいものが手に入る誘惑に、それが得難いものであればあるほど、逆らうことなんてできなくなるのが、人間なんだ。
 だから、せめて傷ついても、離れない。
 俺は覚悟を決めた。鈴が俺を助けてくれると言うなら、いや。好きだと言ってくれるなら、鈴は俺が守る。一番近くで。

「……鈴君。……助けて」

 だから、俺は言ったんだ。
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