真鍮とアイオライト 1

司書Y

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かの思想家が語るには

狩り 3

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 バイクに乗って、鈴の背中に掴まっている間、色々な思いが頭の中を通り過ぎて行った。
 何処で変化したのか分からなかったけれど、いつの間にか、景色は普段の景色に戻っていた。人の姿も、車もちらほら見える。ただ、向かっているのが鈴や俺の家がある方角、つまりは住宅地の方だから、だんだん店舗やオフィスは少なくなって、人もまばらになっていった。

 後ろを振り返る。
 あいつの姿はない。けれど、なんだかまだ、匂う。あの鉄錆のような生臭い匂い。人でない生き物の体臭。獣臭さがついてきている気がする。
 きっと、鈴もそれに気付いている。だから、バイクを止めない。

 一体、どうやったら、どこまで逃げたら、あんなものから逃げきれるんだろう。

 俺は思う。
 あれは今まで見てきたものとは違う。
 正直、俺には逃げ切れる自信なんてない。それは、乗り物に乗っていても同じだ。やつらの早いとか遅いとかは物理的な速度ではない。その気になれば何もない場所から突然に現れることだってできる。だから、姿が見えなくなったって、逃げ切れるというわけではない。
 今、追いつかれていないのには多分、速度ではない別の意味がある。

 そんな相手から、鈴はどうやって逃げ切ろうとしているのか。何か策があるような言い方をしていた。『少しの我慢』と。けれど、それが何のことを言っているのか、俺には全く分からない。
 前を向いたままバイクを操る鈴の方を見る。もちろん、フルフェイスのヘルメットをかぶっているから、顔なんて見えない。それでも、その中にあるだろう整った顔を想像する。

 思えば、最初から鈴は不思議だった。
 池に引っ張られた夜も。流星群の夜も。図書館の少女を見送った夜も。ガラの悪いいなり好きに絡まれたときも。
 俺が引っ張られそうになると、いつも、鈴は気付いてくれた。彼らには黒い獣のような俺個人に対する明確な敵意はなかったかもしれない。それでも、俺は助かったのは事実だ。考えてみると、鈴が現れるタイミングは、あまりに出来過ぎだった気がする。
 偶然だろうか。
 そう思ってから、偶然以外のなんだっていうんだ。と、思う。
 もちろん、運命なんて、中二病全開のことは言わない。ただ、もしかしたら、鈴は何らかの方法で俺に目に見えないものたちが近づいていることを知ることができるんじゃないか。だとしたら、鈴はすごく雑で胡散臭い言い方かもしれないけれど、いわゆる霊能者とか言うやつなんだろうか。

 仮にそうだったとして、それなら何故それを隠していたのか。俺に何かを望んでいるなら、助けたことで恩を売ればいいのに。
 それとも、本当にただ、放っておけないだけだったんだろうか。そうだったとしても、本当のことを話して注意を促す方が簡単な気がする。

 分からないことだらけだった。
 鈴は触れられる場所に(というよりもバイクに乗っているのだから、抱きついて)いるのに、鈴のことが何も分からない。

 それでも、俺は鈴が怖いとは思わなかった。もし、鈴が俺が持っている何かを欲しがっているなら、全部あげても構わない。それが裏切りだとも思わない。

 だから、知りたい。
 鈴のこと。

 鈴の背中にぎゅ。と、しがみつく。今なら、寄り添っていても、許される。
 本当はこうやってずっと、一緒にいられたらいい。けれど、俺がこの危険から逃れることができたら、きっと、鈴は、あの子の元へ帰ってしまうだろう。
 だから、今だけ。

 もしかしたら、そんなことを願ってしまった罰が当たったのかもと、俺は思う。不意に横から飛び出してきた何か反射的に避けたバイクはバランスを崩して転倒してしまった。浮き上がったバイクに引っ張られるように、身体が宙に浮く。
 マズい。
 と、思ったのは、一瞬。なすすべもなく投げ出されることしかできなくて、俺は覚悟もできないままぎゅ。と、目を閉じた。
 しかし、その後に来るはずの痛みや、衝撃は俺の思っていたのとはまったく違っていた。かわりに、何かに包まれる感覚。
 一瞬遅れて、金属がアスファルトをこする音。
 恐る恐る目を開けると、すぐ目の前に、鈴がつけていたヘルメットが見える。そこで、はじめて俺は鈴が自分を抱いているのだと気付く。鈴が庇ってくれたから、衝撃も痛みも覚悟していたほどではなかったんだ。

「鈴君!」

 慌ててヘルメットを脱ぎ捨てる。それから、縺れる手で鈴のヘルメットも外す。頭に外傷がないことにほっとするけれど、鈴は苦し気に顔を顰めていた。
 鈴の身体に触れる。
 服には裂けているところはあるけれど、身体には見た目に大きな怪我はない。けれど、最悪骨折していても、見た目に分かるとは限らないから、油断はできない。

「鈴君。どこか、痛い? 大丈夫か?」

 俺の声は、自分でも分かるくらいに震えていた。
 怖い。
 鈴にもしものことがあったらと思うと、自分があの獣に襲われている時よりも怖かった。

「…だい…じょうぶ。です」

 形の良い眉が歪む。けれど、鈴は笑ってくれた。きっと、俺が情けない顔をしているから、安心させようとしてくれているんだと、分かる。
 それが、嬉しくて、怖い。

「立て…ますか? もう少しだから」

 鈴は俺の手を取って、立ち上がろうとして、また、顔を顰める。
 怖い。
 怖い。
 自分のせいで、大好きな人が傷つくなんて、そんなこと、映画やドラマの中だけの出来事だと思っていた。現実にそれを目の前に突きつけられるのが、こんなに怖いことだったなんて、思いもよらなかった。

 もしかしたら、自分のせいで鈴が深刻な怪我をするかもしれない。最悪死んでしまうことが。

 背筋をぞ。と、寒気が走る。考えるだけでも、震えるほど怖い。絶対にそんなことがあってはいけないと思う。

「も、いいよ」

 だから、俺は、鈴の手を振り払った。
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