真鍮とアイオライト 1

司書Y

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かの思想家が語るには

狩り 1

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 市役所に通じる大通りから、駅前通りにでると、いつも通りの道だった。大通りだから、街灯も多い。店にはまだ灯りがともって、昼間と同じように遠くまで見通すことができた。
 けれど、その灯りに縋って扉を開けようとしても、それはびくともしない。まるで、張りぼてでできた建物のように何故かのっべりとした雰囲気で、明かりがついているのもそういう絵がベニヤ板にでも描かれていて、立てかけてあるように見える。

 まだ、温かくなるまでには間があるから、木々には葉がなく寒々とした雰囲気を出してはいる。その様子も、一昨日、鈴と女の子を見かけて逃げてきたときと変わらない。変わらないのだが、作り物のように見える。
 たぶん、それは、その通りに誰もいないからだ。想像はしていたのだが、駅前通りに出ても人の姿を見つけることはできなかった。

 しん。と、静まり返った街に、俺の荒い呼吸音だけが聞こえる。
 走った距離は大したことはなかったはずだが、呼吸は確実に限界に近いことを知らせていた。身体のあちこちが悲鳴を上げている。
 痛い。
 苦しい。
 
 けれど、走るのをやめることは今回はできない。
 やめてしまったら、もう、二度と俺の日常には戻れないと確信できた。

 かしっ。かしっ。
 と、爪がアスファルトを掻く音がする。まだ、追ってきている。近づいているわけではない。けれど、引き離すことはできない。それが、追いつかれるよりも怖い。まるで、いつでも追いつくことができるのに、弄ばれているようだ。
 あいつは、狩りを楽しんでいる。
 そう思う。
 あえて簡単に捕食せず、逃げる俺を狩り立てる過程を楽しんでいる。暗くて、陰湿で、狂気じみた妄執のようなものを感じる。

 なんでだよ?

 声に出さずに思う。
 他人に見えないものが見えるけれど、こんなふうに完全に自分だけを標的にしている相手に出会ったことはない。大抵は、たまたま『見える人』に出会ったからついてきたとか、そこを通ったり、水辺に近づいたものを無差別に襲っているとか、そんなヤツらだった。
 けれど、こいつは多分違う。
 俺の名前を知っていたし、おそらくははじめから俺を狙って近づいてきた。まるで、誰かに命じられたように。
 そう考えてから、言いえて妙だと思う。
 この犬は主人に命じられて俺を処理しようとしている。きっと、俺のことを本当に消してしまいたいものが別にいて、そいつの敵意をこいつが代弁している。そう思うと、妙にしっくりと納得がいく気がした。もちろん根拠なんてない。ただ、何の前触れもなく、何の落ち度もなく、何の脈絡もなく、こんなものに命を狙われるなんて、思いたくないだけかもしれない。

「…あっ」

 そんな考え事をしていたからだろうか、俺は小さい段差に足を取られてしまった。怪我と疲労で身体が限界だったから、さっきは何とか持ちこたえたけれど、今度は姿勢を保つことができなくて、そのまま地面に倒れ込む。

「痛っ」

 すぐに起き上がろうとするけれど、身体が軋むように痛んで、俺は顔を顰めた。膝が震えて力が入らない。膝だけではない。指先も、肩も震えて、かちかち。と、合わない歯の根が音を立てる。
 怖い。
 きっと、顔を上げればすぐそこにあいつが来ている。もう、目の前で口を大きく開いているかもしれない。さっき、薄くなった匂いがまた、きつくなってきている。
 吐息も、足音も、近い。
 逃げなければと思っても、もう、走り出すどころか、立ち上がることもできない。それ以前にあの獣の姿を確認することすらできなかった。
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