真鍮とアイオライト 1

司書Y

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かの思想家が語るには

理不尽すぎるだろ 4

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 とりあえず、命に別条がないことを理解してくれたのか、おじいさんは俺から離れて、軽トラックを確認しに行く。俺は、その背中を見つめていた。止めたほうがよかったのかもと、思ったのは後になってからだったが、何の疑いもなくおじいさんは大丈夫。と、信じていた。

 狙われたのは俺自身だ。

 言葉にすると、中二病の思い込みのようにしかみえない。けれど、何故か俺はそう確信していた。

 影の中に消えていったもの。『よくないもの』であることは、もう、間違いない。それが、俺に何か『よくない感情』を持っている。しかも、物理的な力を伴って『よくないこと』を起こそうとしている。

「菫ちゃん。軽トラの運転手逃げたんか? 誰も乗ってねえぞ?」

 トラックの中を確認したおじいさんが言う。俺は首を横に振った。”人”が逃げたのは見ていない。俺は殆どずっとトラックを見ていた。けれど、そこから去ったのはあの黒い影だけだ。

「おかしいな。サイドブレーキ引いてあるぞ?」

 その言葉にぞっとする。ちょっと、押したら動くというものですらない。たとえ坂道であっても、どうやっても、動かなかったはずのものだ。
 それが、何を意味するのか、分かってしまった。
 図書館の脚立が倒れたくらいのことは、気のせいとか偶然とかで片付けることができた。書架の影の中に消えていったものも、気のせいとか見間違いとか、思い込もうとしていた。
 けれど、今回はそうはいかない気がする。

 一歩間違えば。ではなく、明確な殺意を感じる。

 一気に今度は指先が冷えてきた。指先が震える。
 さっきまで、『引っ張られてもいい』なんて、考えていたはずなのに、心が怖いと感じる前に、身体がSOSを発しているのが自分で分かった。

「菫ちゃん? 大丈夫か?」

 恐らく、青白い顔で震える俺は自分で想像する以上に情けなく見えていたのだろう。けれど、心配するおじいさんの声が遠い。

 にやにやと笑う黒い影。あれがしたことなんだろうか。
 おおよそ、いいものには見えなかった。
 けれど、命の危険に晒されるような覚えはない。
 ただ、その姿が見えただけだ。それだけで、命まで狙われるんだろうか。

「理不尽すぎんだろ……?」

 呟くけれど、それがそういうものであることも、同時に理解している。世界は理不尽にできているもんだ。でなければ、こんな変な目が存在するはずがない。
 こんなものが存在するのだから、ただ見えると言うだけで殺されかけることだってあり得る。

「……どうにか……しないと」

 どうしたらいいかなんてわからなかった。いや、わかってはいる。いつもしていたようにするしかない。

 逃げる。

 それだけだ。
 霊能者だとか、悪霊払いだとか、お札だとか、呪文だとか、神様とか、悪魔とか、そんなのない。あったとしても、知らない。だから、やつらが諦めるまで逃げるしかない。それが俺にとって唯一出来る対処法だった。
 ずっと、そうしてきたし、これからも、そうするんだろう。

 ちりん。

 ふと、また、小さな音が聞こえた。

 あの鈴は失くしたはずなのに。

 そう思う。
 その音色が、鈴がくれたあの鈴の音と同じだったから。いや、似ていただけかもしれない。

「すず……」

 呟くと、鈴の顔が心に浮かぶ。
 助けてほしいと、思ってから、馬鹿なことを考えてしまったと、また、恥ずかしくなる。
 鈴は俺に見える目のことを何も言わなかった。それは、俺が知らなくていいことだからだ。それとも、知られたくないことかも知れない。どちらにせよ、このことで鈴に助けてほしいなんて言えないし、危ないと分かっているんだから、話すことすらできない。
 話してしまったら、きっと優しい鈴は助けてくれようとするだろう。『友達』なら、尚更だ。もし、それで鈴になにかあったら。と、想像するだけで、苦しくなる。

 だから、言えない。
 だから、言わない。

 そう、心に決めた。

 遠くから、救急車のサイレンの音が聞こえる。それは長閑な晴れた冬の日には妙に似つかわしくない音だった。
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