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かの思想家が語るには
温もりを受け取って 2
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「池井さん」
鈴の声は低くてよく通る。いわゆるイケボというやつだ。耳に心地よくて、いつまでも聞いていたくなる。
けれど、つい、言うとおりにしてしまいそうになるのは、彼の声が耳に心地いいからだけでではない。
「あ。えと。なに?」
顔を見上げると、鈴はすごく真剣な顔をしていた。
「飲み過ぎとか…気を付けてください。もし、飲んだら、俺。迎えとかも全然行きますから。いや。その…あんなふらふらで、ほかのヤツに送らせたりしないで……ほしい。です」
言われた意味がよくわからない。けれど、俺は頷いた。鈴の声は言う通りにしたくなる不思議な魅力がある。からだと、思う。まるで、送らせているほかの誰かに嫉妬しているみたいなんて、おこがましすぎることなんて考えてない。だったら、嬉しいなんて、考えているわけがない。
「ありがと。頼むかも……あ。でも。お礼はちゃんとするよ?」
考えてはいないけれど、勝手に幸せになってしまう気持ちを誤魔化しきれない。だから、多分、かなり締りのない笑顔になってしまっていたと思う。でも、その笑顔には、鈴の極上の笑顔が返ってきた。
「あの。じゃあ、今月のどっかで、映画付き合ってもらえませんか? 南座でスタンリー・キューブリックの特集してて、『シャイニング』リバイバルしてるんです。一緒に行きませんか?」
南座は、全国的にもちょっとは名が知れた古い映画館だ。誰が見るんだ? と、聞きたくなるような古い成人向け映画や、古典の名作映画のリバイバルを上映している。汚くて狭いけれど、古典の名作映画の方は何度か見に行ったこともあった。成人向けの方は正直タイトルがアレ過ぎて萎えそうで見に行ったことはない。
「いいね。『シャイニング』久しぶりだ。スティーブン・キング好きだし」
ホラーや怪談が好きなのは、元を正せば人には見えない何かが見えるようになったからだ。それまでは、怖いものなんて大っ嫌いで、テレビの心霊特集を見て眠れなくなって兄ちゃんの布団に潜り込むなんてざらにあった。
それが、変なものを見るに至って、これは何だろうと、知りたくなった。だから、怪談や都市伝説の類を読み漁った。そうしているうちに、見えているものよりも物語の面白さにはまって、散歩をしながら怪談朗読を聞くようになっていた。
もちろん、ホラー映画も大好きだ。動画投稿サイトの心霊動画には稀にガチのものが混じっているけれど、映画は純粋な創作が殆どだ。だから、古いものから新しいものまでかなり、見込んだと、自負していた。
「じゃ。決まりで」
嬉しそうに鈴が言う。
怪談やホラーが好きなことは、鈴には話したことがある。あくまで創作として、と、前置きした上でだが。創作とわかっているから、楽しめると力説したから、変なものが見えることを俺に黙っているのかな? と、ふと考える。
こんな変な目? いや、脳のバグを持っているのを好ましく思っている人なんて、中二のガキくらいだろう。毎日変なものを見せられ続けたら、うんざりするのが普通だ。
ましてや、それを他人に自慢することなんて俺ならしない。除霊できますとか、救ってあげられますとか、特殊能力があるなら話は別かも知れないけれど、今まで自称見えるとか、祓えるとか言う人に、俺が見ているものが見えたためしはなかった。
もしかしたら、俺とは全然違う世界が見えているのかもしれないけれど、そうだとしたら、それは全く俺の世界と違う法則で存在しているだろうから、話しても仕方ない。全面的に否定されるなら、人間関係を築く上では話さないほうが上手くいくと思う。
「えっと。水曜日休みでしたよね? 22日どうですか? 俺も、レポートの提出終わってるはずだし」
スマホを確認していた鈴が顔を上げた。視線が合う。この目には、自分と同じものが見えてるんだろうか。そうだったら、いいのに。と、思う。思ってから、そう思った自分に驚く。
こんなふうにプラス方面の感情を持って、自分の体質(?)を考えたことなんてなかった。もし、鈴がそうなら、この変な体質も悪くない気がしてくる。
「池井さん?」
考え事をしていたら、返事が遅れてしまって、鈴が顔を覗き込んでくる。
「あ。ごめん。いいよ。22日。うん」
変なことを考えていたことを知られたくない。鈴がどう思って体質のことを隠しているのかわからないけれど、知られたくないものを無理に知ろうとしているとは思われたくない。鈴のことなら知りたいと思うけれど、詮索するようなみっともないやつだと思われたくない。
ただ、今でなくても、鈴が話したくなったら、話してくれればいいな。と、思う。信じて話せるような関係になれればいいと思う。
「じゃあ、上映時間確認したらまた連絡しますね」
嬉しそうに笑う鈴。さっきの無表情とはまったく違う。
今日は偶然に鈴に会えて幸運だった。鈴と一緒に映画、嬉しい。笑ってくれるのも嬉しい。悩みは多いけれど、今日はいいことばかりが起こる日だ。俺は思う。酔いも手伝ってふわふわ。と、多幸感。
繋いだ鈴の手が、俺の体温を受け取って、温かくなっていくのが、なんだかものすごく得難いもののように思える。
いつまでも、鈴がこんなふうに自分に笑いかけてくれればいいな。
そんなふうに思う夜は、静かに更けていった。
鈴の声は低くてよく通る。いわゆるイケボというやつだ。耳に心地よくて、いつまでも聞いていたくなる。
けれど、つい、言うとおりにしてしまいそうになるのは、彼の声が耳に心地いいからだけでではない。
「あ。えと。なに?」
顔を見上げると、鈴はすごく真剣な顔をしていた。
「飲み過ぎとか…気を付けてください。もし、飲んだら、俺。迎えとかも全然行きますから。いや。その…あんなふらふらで、ほかのヤツに送らせたりしないで……ほしい。です」
言われた意味がよくわからない。けれど、俺は頷いた。鈴の声は言う通りにしたくなる不思議な魅力がある。からだと、思う。まるで、送らせているほかの誰かに嫉妬しているみたいなんて、おこがましすぎることなんて考えてない。だったら、嬉しいなんて、考えているわけがない。
「ありがと。頼むかも……あ。でも。お礼はちゃんとするよ?」
考えてはいないけれど、勝手に幸せになってしまう気持ちを誤魔化しきれない。だから、多分、かなり締りのない笑顔になってしまっていたと思う。でも、その笑顔には、鈴の極上の笑顔が返ってきた。
「あの。じゃあ、今月のどっかで、映画付き合ってもらえませんか? 南座でスタンリー・キューブリックの特集してて、『シャイニング』リバイバルしてるんです。一緒に行きませんか?」
南座は、全国的にもちょっとは名が知れた古い映画館だ。誰が見るんだ? と、聞きたくなるような古い成人向け映画や、古典の名作映画のリバイバルを上映している。汚くて狭いけれど、古典の名作映画の方は何度か見に行ったこともあった。成人向けの方は正直タイトルがアレ過ぎて萎えそうで見に行ったことはない。
「いいね。『シャイニング』久しぶりだ。スティーブン・キング好きだし」
ホラーや怪談が好きなのは、元を正せば人には見えない何かが見えるようになったからだ。それまでは、怖いものなんて大っ嫌いで、テレビの心霊特集を見て眠れなくなって兄ちゃんの布団に潜り込むなんてざらにあった。
それが、変なものを見るに至って、これは何だろうと、知りたくなった。だから、怪談や都市伝説の類を読み漁った。そうしているうちに、見えているものよりも物語の面白さにはまって、散歩をしながら怪談朗読を聞くようになっていた。
もちろん、ホラー映画も大好きだ。動画投稿サイトの心霊動画には稀にガチのものが混じっているけれど、映画は純粋な創作が殆どだ。だから、古いものから新しいものまでかなり、見込んだと、自負していた。
「じゃ。決まりで」
嬉しそうに鈴が言う。
怪談やホラーが好きなことは、鈴には話したことがある。あくまで創作として、と、前置きした上でだが。創作とわかっているから、楽しめると力説したから、変なものが見えることを俺に黙っているのかな? と、ふと考える。
こんな変な目? いや、脳のバグを持っているのを好ましく思っている人なんて、中二のガキくらいだろう。毎日変なものを見せられ続けたら、うんざりするのが普通だ。
ましてや、それを他人に自慢することなんて俺ならしない。除霊できますとか、救ってあげられますとか、特殊能力があるなら話は別かも知れないけれど、今まで自称見えるとか、祓えるとか言う人に、俺が見ているものが見えたためしはなかった。
もしかしたら、俺とは全然違う世界が見えているのかもしれないけれど、そうだとしたら、それは全く俺の世界と違う法則で存在しているだろうから、話しても仕方ない。全面的に否定されるなら、人間関係を築く上では話さないほうが上手くいくと思う。
「えっと。水曜日休みでしたよね? 22日どうですか? 俺も、レポートの提出終わってるはずだし」
スマホを確認していた鈴が顔を上げた。視線が合う。この目には、自分と同じものが見えてるんだろうか。そうだったら、いいのに。と、思う。思ってから、そう思った自分に驚く。
こんなふうにプラス方面の感情を持って、自分の体質(?)を考えたことなんてなかった。もし、鈴がそうなら、この変な体質も悪くない気がしてくる。
「池井さん?」
考え事をしていたら、返事が遅れてしまって、鈴が顔を覗き込んでくる。
「あ。ごめん。いいよ。22日。うん」
変なことを考えていたことを知られたくない。鈴がどう思って体質のことを隠しているのかわからないけれど、知られたくないものを無理に知ろうとしているとは思われたくない。鈴のことなら知りたいと思うけれど、詮索するようなみっともないやつだと思われたくない。
ただ、今でなくても、鈴が話したくなったら、話してくれればいいな。と、思う。信じて話せるような関係になれればいいと思う。
「じゃあ、上映時間確認したらまた連絡しますね」
嬉しそうに笑う鈴。さっきの無表情とはまったく違う。
今日は偶然に鈴に会えて幸運だった。鈴と一緒に映画、嬉しい。笑ってくれるのも嬉しい。悩みは多いけれど、今日はいいことばかりが起こる日だ。俺は思う。酔いも手伝ってふわふわ。と、多幸感。
繋いだ鈴の手が、俺の体温を受け取って、温かくなっていくのが、なんだかものすごく得難いもののように思える。
いつまでも、鈴がこんなふうに自分に笑いかけてくれればいいな。
そんなふうに思う夜は、静かに更けていった。
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