真鍮とアイオライト 1

司書Y

文字の大きさ
上 下
102 / 392
かの思想家が語るには

名前のない同級生 3

しおりを挟む
「薄情者。お前が好きだった図書委員の保科さんの電話番号手に入れてやったの俺だって忘れたのか?」

 保科さん。と、言う名前に俺ははっとした。それは、中学時代の初恋の相手の名前だ。電話番号を書いた紙をお守りのように持っていたのも事実だ。

「しかも、結局手に入れてやったのに電話できなかったの慰めてやったじゃん? 覚えてねえの?」

 恥ずかしい話なのだが、電話はできなかった。結局俺にはその勇気がなかった。

「…おい。大丈夫か? マジで酔ってんの? 顔色悪いぞ?」

 間違いない。そんなことまで知っているのは、仲がよかった証拠だ。
 なのに、名前が思い出せない。彼のいうことおり、かなり酔っているみたいだ。なんだか耳鳴りのような音がする。視野が狭くなった感覚。背中から何かにつられて宙に浮いているような、酔っている時の感覚。

「まあ、俺、中学卒業した後、県外だったから、同級会出るの初めてだし。電話番号の後は文化部のお前とはあんまり接点なかったしな。戌井だよ。戌井。出席番号近かったから、入学してすぐに仲良くなっただろ」

 戌井。という名前には、聞き覚えがある気がした。同級生にいた覚えがある。確か、何か運動部にいたはずだ。
 顔を見ると、戌井はにこ。っと、笑う。人懐こい笑顔だ。そう言えば、この笑顔には見覚えがある。

「戌井…? わり。俺、本気で酔ってるみたいだ。頭働かね」

 考えてみれば、中学時代の友人の中でも、名前を憶えていない相手も珍しくない。今日、同級会に来ていないメンバーの内の数人は名前どころかクラスにいたことすら覚えていない。中学時代の記憶なんてそんなもんかもしれない。特に、自分は変なものが見えることを他人に知られたくなくて、深い付き合いを避けていたところがあったから、接点のない人物なんて、本当に記憶になくてもおかしくない。

「いいよ。俺、県外の支社から今度こっちに転勤になったんだ。これからは同級会も参加するから、また、飲もうぜ」

 含みのない笑顔を返して戌井は答えた。
 その笑顔がぐにゃり。と、歪む。

「おい。池井!?」

 ぐら。と、頭が揺れて、倒れそうになって慌てて持ち直す。それから、頭を振って、意識を引き戻す。
 どうやら、本当にマズいレベルまで飲んでしまったみたいだ。明日は遅番とはいえ仕事がある。意識があるうちに家に帰らなければいけない。

「俺、そろそろ帰るわ。えと。会費は先払いだったからいいよな。わり。戌井。幹事に言っといて」

 そう言って、俺は立ちあがった。けれど、また、頭がぐらついて、思わずテーブルに手をつく。

「おい。一人じゃ無理だって。俺も明日仕事あるからもう帰るし、一緒に帰ろうぜ」

 悪いからいいと、断る間もなく、戌井はコートを着始める。正直、一人で帰れるか不安だったし、これ以上議論するのも億劫になって、俺は戌井の提案に頷いた。
 のろのろと、自分のコートを羽織って、席を立つ。他のメンバーはまだ、怪談話に夢中になっているようだ。隣座っていた池田に明日も仕事だから帰るな。と、小さな声で告げると、酔っていることを心配されたけれど、笑って大丈夫と答えて席を離れた。
 戌井の姿が見えない。先に店を出たのだと思って、あとを追う。
 ふと気づくと、あの黒い影は見えなくなっていた。
しおりを挟む
感想 6

あなたにおすすめの小説

鬼上司と秘密の同居

なの
BL
恋人に裏切られ弱っていた会社員の小沢 海斗(おざわ かいと)25歳 幼馴染の悠人に助けられ馴染みのBARへ… そのまま酔い潰れて目が覚めたら鬼上司と呼ばれている浅井 透(あさい とおる)32歳の部屋にいた… いったい?…どうして?…こうなった? 「お前は俺のそばに居ろ。黙って愛されてればいい」 スパダリ、イケメン鬼上司×裏切られた傷心海斗は幸せを掴むことができるのか… 性描写には※を付けております。

放課後教室

Kokonuca.
BL
ある放課後の教室で彼に起こった凶事からすべて始まる

見ぃつけた。

茉莉花 香乃
BL
小学生の時、意地悪されて転校した。高校一年生の途中までは穏やかな生活だったのに、全寮制の学校に転入しなければならなくなった。そこで、出会ったのは… 他サイトにも公開しています

4人の兄に溺愛されてます

まつも☆きらら
BL
中学1年生の梨夢は5人兄弟の末っ子。4人の兄にとにかく溺愛されている。兄たちが大好きな梨夢だが、心配性な兄たちは時に過保護になりすぎて。

ハイスペックED~元凶の貧乏大学生と同居生活~

みきち@書籍発売中!
BL
イケメン投資家(24)が、学生時代に初恋拗らせてEDになり、元凶の貧乏大学生(19)と同居する話。 成り行きで添い寝してたらとんでも関係になっちゃう、コメディ風+お料理要素あり♪ イケメン投資家(高見)×貧乏大学生(主人公:凛)

【完結・BL】俺をフッた初恋相手が、転勤して上司になったんだが?【先輩×後輩】

彩華
BL
『俺、そんな目でお前のこと見れない』 高校一年の冬。俺の初恋は、見事に玉砕した。 その後、俺は見事にDTのまま。あっという間に25になり。何の変化もないまま、ごくごくありふれたサラリーマンになった俺。 そんな俺の前に、運命の悪戯か。再び初恋相手は現れて────!?

【完結】ぎゅって抱っこして

かずえ
BL
幼児教育学科の短大に通う村瀬一太。訳あって普通の高校に通えなかったため、働いて貯めたお金で二年間だけでもと大学に入学してみたが、学費と生活費を稼ぎつつ学校に通うのは、考えていたよりも厳しい……。 でも、頼れる者は誰もいない。 自分で頑張らなきゃ。 本気なら何でもできるはず。 でも、ある日、金持ちの坊っちゃんと心の中で呼んでいた松島晃に苦手なピアノの課題で助けてもらってから、どうにも自分の心がコントロールできなくなって……。

幸せの温度

本郷アキ
BL
※ラブ度高めです。直接的な表現もありますので、苦手な方はご注意ください。 まだ産まれたばかりの葉月を置いて、両親は天国の門を叩いた。 俺がしっかりしなきゃ──そう思っていた兄、睦月《むつき》17歳の前に表れたのは、両親の親友だという浅黄陽《あさぎよう》33歳。 陽は本当の家族のように接してくれるけれど、血の繋がりのない偽物の家族は終わりにしなければならない、だってずっと家族じゃいられないでしょ? そんなのただの言い訳。 俺にあんまり触らないで。 俺の気持ちに気付かないで。 ……陽の手で触れられるとおかしくなってしまうから。 俺のこと好きでもないのに、どうしてあんなことをしたの? 少しずつ育っていった恋心は、告白前に失恋決定。 家事に育児に翻弄されながら、少しずつ家族の形が出来上がっていく。 そんな中、睦月をストーキングする男が現れて──!?

処理中です...