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番外編 番犬と十七夜
騎士の本分 4
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『事故にあって。こんなふうになって。シロはいつもそばにいてくれたけど。いつも、心配そうな顔で、申し訳ないって顔で』
思えば、葉が事故の日のことを話すのは初めてかもしれない。
貴志狼は思う。
それが、事故の忌まわしい記憶を思い出したくないからだと思っていた。
『でも、僕は…シロが笑ってる顔が見たくて…。
杖とかつくと、すぐに来て”ごめん”って言う顔するから、使いたくなくて。できないことがあると、心配かけるから、できるだけできそうにないことには近づかないようにした。
映画とか。本当はもっと、シロと行きたかったけど、優先席とか使わないといけないと、シロが傷つくかなって。言えなかった』
また、しゃくりあげる声が大きくなる。泣いているのだと思うと、何かしてやりたくても、どうしていいかわからない。けれど、そんなふうに戸惑っていたことが、さらに葉を傷つけていたのだろうか。
『僕の足が動かないのは、シロせいじゃない。
僕はシロに償ってほしいわけでも、心配させたいわけでもない。
けど。どうしても、そばにはいてほしいから。僕が頑張って普通の人と同じようにできるようにしないとって思って。
でないと、シロは笑ってくれない。けど、頑張ってもうまくできない。うまくできたと思っても…シロは笑ってくれない…でも、笑ってほしい。
だから…』
そこで、葉は声を詰まらせた。もういいと、言ってやりたかったけれど、ここで葉の気持ちを聞かなければ、後悔する気がした。
『ホットケーキ。笑ってくれたの。シロの心からの笑顔。最後だったから。また、笑ってほしくて。カフェ始めた。
あんまり。甘いの好んで食べてはくれないから。試作って言えば、食べてくれるかなって思って』
後悔と。罪悪感。
確かに、貴志狼は葉の前で笑うことを忘れていた。葉がそんなふうに考えていたなんて考えてもいなかった。
葉を傷つけた自分には、葉に笑いかけてもらう資格も、それに笑顔を返す資格ももうないのだと思っていた。
ただ、葉が生きるのに困ることがないよう、支えることしか許されないと思っていた。
『でも、もう、いいや。シロの笑ってるの。見られたから。もう、いい。シロがやめたほうがいいって言うなら、やめる。だから…』
そこで、言葉を区切って葉はまた、身体を離して、貴志狼の顔を見た。涙は乾いてはいなかったけれど、笑ってくれていた。
『今日みたいに。いつも、笑って?』
静かに雪が降る。まるで、世界に二人きりになったようで、心細いけれど、幸せだと感じる。
『ああ』
その笑顔に笑顔を返すと、安心したようにまた、葉は身体を預けてくれた。
後悔も、罪悪感も、消えてはくれない。
葉の足が動かないのは、自分のせいだと、貴志狼は今でも思っている。これからも、ずっと思って行くだろう。
ただ、葉が幸せになれるなら、自分も幸せになるのは、許されるのかと、今は思える。葉のためになら、葉が望んでくれるなら、きっと貴志狼も笑っていられる。
そんな、二人の未来を、思い描くことができた。
『アニキ~っ!』
遠くから、聞き慣れた声がして、貴志狼はため息を吐く。もう少しでいいから、世界に二人しかいないと錯覚していたかった。しかも、邪魔者が翔悟だったことに苛立ちが増す。おそらくは、祖父・壱狼の差し金だとは思うが、こいつのガセネタのせいで、葉が危険な目に逢ったのは間違いない。
『葉さん大丈夫っすか?』
誰のせいだと思ってんだ。と、言いかけて、やめる。抱き上げた葉が小さくくしゃみをしたからだ。身体の震えも大きくなっている気がする。
『大丈夫じゃねえ。風呂準備できてんのか?』
無遠慮に葉の顔を覗き込もうと、貴志狼の周りをぐるぐる回る邪魔者を片手で押しのけて、貴志狼は訊ねた。さっき、葉と合流した後にLINEを入れておいたから、準備はしてあるはずだ。
『もちろんっす。離れのアニキの部屋の方に…』
敬礼をして見せる翔悟にわざと大きなため息をついて、家の正面の門を見ると、何人か若い衆が雪かきをしている。まだ、客は帰っていないようだ。敦に見とがめられて、面倒なことになるのはごめんだったし、遠慮という言葉の存在を知らないような馬鹿どもに捕まって、葉を見世物にしたくなかった。だから、貴志狼は家の正面門を避けて、自室に近い裏門から敷地に入る。
『おい。離れには誰も近づくんじゃねえぞ』
鳥の雛みたいについてくる翔悟にしっし。と、追い払うジェスチャーをすると、何故か満面の笑みで見返してきて、心底腹が立った。
『おっけーっす。誰も近づけません!』
親指立てて力説されて、殺意が湧くが、もう、貴志狼は無視することに決めて、離れのドアを閉めた。
思えば、葉が事故の日のことを話すのは初めてかもしれない。
貴志狼は思う。
それが、事故の忌まわしい記憶を思い出したくないからだと思っていた。
『でも、僕は…シロが笑ってる顔が見たくて…。
杖とかつくと、すぐに来て”ごめん”って言う顔するから、使いたくなくて。できないことがあると、心配かけるから、できるだけできそうにないことには近づかないようにした。
映画とか。本当はもっと、シロと行きたかったけど、優先席とか使わないといけないと、シロが傷つくかなって。言えなかった』
また、しゃくりあげる声が大きくなる。泣いているのだと思うと、何かしてやりたくても、どうしていいかわからない。けれど、そんなふうに戸惑っていたことが、さらに葉を傷つけていたのだろうか。
『僕の足が動かないのは、シロせいじゃない。
僕はシロに償ってほしいわけでも、心配させたいわけでもない。
けど。どうしても、そばにはいてほしいから。僕が頑張って普通の人と同じようにできるようにしないとって思って。
でないと、シロは笑ってくれない。けど、頑張ってもうまくできない。うまくできたと思っても…シロは笑ってくれない…でも、笑ってほしい。
だから…』
そこで、葉は声を詰まらせた。もういいと、言ってやりたかったけれど、ここで葉の気持ちを聞かなければ、後悔する気がした。
『ホットケーキ。笑ってくれたの。シロの心からの笑顔。最後だったから。また、笑ってほしくて。カフェ始めた。
あんまり。甘いの好んで食べてはくれないから。試作って言えば、食べてくれるかなって思って』
後悔と。罪悪感。
確かに、貴志狼は葉の前で笑うことを忘れていた。葉がそんなふうに考えていたなんて考えてもいなかった。
葉を傷つけた自分には、葉に笑いかけてもらう資格も、それに笑顔を返す資格ももうないのだと思っていた。
ただ、葉が生きるのに困ることがないよう、支えることしか許されないと思っていた。
『でも、もう、いいや。シロの笑ってるの。見られたから。もう、いい。シロがやめたほうがいいって言うなら、やめる。だから…』
そこで、言葉を区切って葉はまた、身体を離して、貴志狼の顔を見た。涙は乾いてはいなかったけれど、笑ってくれていた。
『今日みたいに。いつも、笑って?』
静かに雪が降る。まるで、世界に二人きりになったようで、心細いけれど、幸せだと感じる。
『ああ』
その笑顔に笑顔を返すと、安心したようにまた、葉は身体を預けてくれた。
後悔も、罪悪感も、消えてはくれない。
葉の足が動かないのは、自分のせいだと、貴志狼は今でも思っている。これからも、ずっと思って行くだろう。
ただ、葉が幸せになれるなら、自分も幸せになるのは、許されるのかと、今は思える。葉のためになら、葉が望んでくれるなら、きっと貴志狼も笑っていられる。
そんな、二人の未来を、思い描くことができた。
『アニキ~っ!』
遠くから、聞き慣れた声がして、貴志狼はため息を吐く。もう少しでいいから、世界に二人しかいないと錯覚していたかった。しかも、邪魔者が翔悟だったことに苛立ちが増す。おそらくは、祖父・壱狼の差し金だとは思うが、こいつのガセネタのせいで、葉が危険な目に逢ったのは間違いない。
『葉さん大丈夫っすか?』
誰のせいだと思ってんだ。と、言いかけて、やめる。抱き上げた葉が小さくくしゃみをしたからだ。身体の震えも大きくなっている気がする。
『大丈夫じゃねえ。風呂準備できてんのか?』
無遠慮に葉の顔を覗き込もうと、貴志狼の周りをぐるぐる回る邪魔者を片手で押しのけて、貴志狼は訊ねた。さっき、葉と合流した後にLINEを入れておいたから、準備はしてあるはずだ。
『もちろんっす。離れのアニキの部屋の方に…』
敬礼をして見せる翔悟にわざと大きなため息をついて、家の正面の門を見ると、何人か若い衆が雪かきをしている。まだ、客は帰っていないようだ。敦に見とがめられて、面倒なことになるのはごめんだったし、遠慮という言葉の存在を知らないような馬鹿どもに捕まって、葉を見世物にしたくなかった。だから、貴志狼は家の正面門を避けて、自室に近い裏門から敷地に入る。
『おい。離れには誰も近づくんじゃねえぞ』
鳥の雛みたいについてくる翔悟にしっし。と、追い払うジェスチャーをすると、何故か満面の笑みで見返してきて、心底腹が立った。
『おっけーっす。誰も近づけません!』
親指立てて力説されて、殺意が湧くが、もう、貴志狼は無視することに決めて、離れのドアを閉めた。
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