85 / 392
番外編 番犬と十七夜
騎士の本分 3
しおりを挟む
『葉』
呼吸音しか聞こえないのが、不安になって、貴志狼は身体を預けてくたり。と、脱力している人に、躊躇いがちに声をかけた。
『ん?』
小さく吐息のような疑問符が返ってくる。そんな小さな声にも貴志狼は安堵した。葉が確かに腕の中に存在しているのだと確信できるからだ。
『寒いか? も、着くから、風呂入るまで寝るなよ?』
する。と、僅かにその背中を撫でながら言うと、ぎゅ。と、首に掴まる手に力が籠った。
その腕が微かに震えていたから、貴志狼はさらに足を早める。
『ん』
また、吐息のような小さな答え。けれど、機嫌が悪いわけではないことは分かる。どちらかというと、甘えている時の声だ。それが証拠に、預けている頭がすり。と、遠慮がちにすり寄ってくる。
葉は完全に無自覚だろう。けれど、そんな仕草が堪らなく庇護欲を掻き立てる。わかりやすく表現するなら、可愛い。
『シロ』
そんなことを考えていると、今度は葉の方から名前を呼ばれた。
『ん?』
さっきの葉と同じように答える。そんなふうに短く答えた葉の気持ちが分かった気がした。
きっと、葉も同じ気持ちだったのだ。
葉は貴志狼の。貴志狼は葉の。声が聴きたい。近くで聞こえるその声を邪魔したくない。だから、最小限で答える。そういうことなのだ。
『も。一度言って』
ぐ。と、脱力していた腕に力が籠る。身体を離して、その榛の色の瞳がすぐ近くで貴志狼の顔を見つめてきた。
『好きだ』
何を。と、聞かなくても、葉が望んでいる言葉がわかる。請われるままに答えると、驚いた表情の後で、薄暗い街灯でも分かるくらいに頬が上気して、それから、へにゃ。と、幸せそうに表情が崩れた。
『うん。僕も』
葉を意識し始めた頃と何も変わらない笑顔。随分と遠回りだったけれど、やっと、手に入れた。
もう、誰にも遠慮せず、思いを伝えてもいい。抱きしめたければ抱きしめてもいい。思う存分甘やかして、自分がいたいだけそばにいてもいい。葉が望むままにそばにいていい。
ずっと、押し込めていた思いは、溢れてしまったら、止められなかった。
片手で葉を抱えたまま、片手で頭や肩に積もった雪をはらってやる。それから、その細い頭を引き寄せてキスをした。
さっきは、不意打ちで、しかも、微かに触れただけだから、分からなかった。しかし、夢にすら見たほどの葉の唇は冷たかったけれど、思ったよりずっと、柔らかかった。
『…うあ』
触れるだけの初恋みたいなキスのあと、唇が離れると、葉は顔をこれ以上ないくらいに赤く染めて、なんだかよくわからない感嘆の声を漏らした。
『どうしよ。一生分、幸運使い果たした』
泣き笑いのような顔で葉が続ける。その顔がまた、堪らなく可愛く思えて、貴志狼は思わず微笑んだ。
『あ…笑った』
そうすると、葉は心底嬉しそうに笑って、貴志狼の頬を両手で包み込むように触れる。その手は冷え切って冷たかったけれど、貴志狼には心地よく感じられた。
『事故の日のこと。覚えてる?』
葉の問いに貴志狼は頷く。忘れられるはずがない。何度も何度も夢にも見た。辛くて声を上げながら目覚めて、夢だったらと期待を何度も裏切られた。その日のことを忘れるはずがない。
『シロは覚えてないかもだけど。あの日。シロが家に遊びに来てさ。うちの母さんが、ホットケーキ作ってくれたんだ』
頬から手を離し、また、貴志狼の肩に身体を預ける葉。キスの後立ち止まっていたから、貴志狼も歩き始める。耳元を擽る葉の囁きは心地いい。静かに降る雪はその小さな声を邪魔することはなかった。
『僕もやりたいって、駄々こねて。やらせてもらったけど、ひっくり返すの失敗して、変な形になって。僕が拗ねてたら、シロがさ。美味いって言ってくれて。まん丸の満月よりかけていた方が好きだって言ってくれて。すごく…嬉しかった』
正直な話、そんなことがあったことを貴志狼は覚えてはいない。その後の事故のことが衝撃的すぎて、確か葉の家に遊びに行った帰り、離れがたくて途中まで葉が見送ってくれた日だったことは覚えているけれど、その前に何があったのかまでは記憶にはなかった。
呼吸音しか聞こえないのが、不安になって、貴志狼は身体を預けてくたり。と、脱力している人に、躊躇いがちに声をかけた。
『ん?』
小さく吐息のような疑問符が返ってくる。そんな小さな声にも貴志狼は安堵した。葉が確かに腕の中に存在しているのだと確信できるからだ。
『寒いか? も、着くから、風呂入るまで寝るなよ?』
する。と、僅かにその背中を撫でながら言うと、ぎゅ。と、首に掴まる手に力が籠った。
その腕が微かに震えていたから、貴志狼はさらに足を早める。
『ん』
また、吐息のような小さな答え。けれど、機嫌が悪いわけではないことは分かる。どちらかというと、甘えている時の声だ。それが証拠に、預けている頭がすり。と、遠慮がちにすり寄ってくる。
葉は完全に無自覚だろう。けれど、そんな仕草が堪らなく庇護欲を掻き立てる。わかりやすく表現するなら、可愛い。
『シロ』
そんなことを考えていると、今度は葉の方から名前を呼ばれた。
『ん?』
さっきの葉と同じように答える。そんなふうに短く答えた葉の気持ちが分かった気がした。
きっと、葉も同じ気持ちだったのだ。
葉は貴志狼の。貴志狼は葉の。声が聴きたい。近くで聞こえるその声を邪魔したくない。だから、最小限で答える。そういうことなのだ。
『も。一度言って』
ぐ。と、脱力していた腕に力が籠る。身体を離して、その榛の色の瞳がすぐ近くで貴志狼の顔を見つめてきた。
『好きだ』
何を。と、聞かなくても、葉が望んでいる言葉がわかる。請われるままに答えると、驚いた表情の後で、薄暗い街灯でも分かるくらいに頬が上気して、それから、へにゃ。と、幸せそうに表情が崩れた。
『うん。僕も』
葉を意識し始めた頃と何も変わらない笑顔。随分と遠回りだったけれど、やっと、手に入れた。
もう、誰にも遠慮せず、思いを伝えてもいい。抱きしめたければ抱きしめてもいい。思う存分甘やかして、自分がいたいだけそばにいてもいい。葉が望むままにそばにいていい。
ずっと、押し込めていた思いは、溢れてしまったら、止められなかった。
片手で葉を抱えたまま、片手で頭や肩に積もった雪をはらってやる。それから、その細い頭を引き寄せてキスをした。
さっきは、不意打ちで、しかも、微かに触れただけだから、分からなかった。しかし、夢にすら見たほどの葉の唇は冷たかったけれど、思ったよりずっと、柔らかかった。
『…うあ』
触れるだけの初恋みたいなキスのあと、唇が離れると、葉は顔をこれ以上ないくらいに赤く染めて、なんだかよくわからない感嘆の声を漏らした。
『どうしよ。一生分、幸運使い果たした』
泣き笑いのような顔で葉が続ける。その顔がまた、堪らなく可愛く思えて、貴志狼は思わず微笑んだ。
『あ…笑った』
そうすると、葉は心底嬉しそうに笑って、貴志狼の頬を両手で包み込むように触れる。その手は冷え切って冷たかったけれど、貴志狼には心地よく感じられた。
『事故の日のこと。覚えてる?』
葉の問いに貴志狼は頷く。忘れられるはずがない。何度も何度も夢にも見た。辛くて声を上げながら目覚めて、夢だったらと期待を何度も裏切られた。その日のことを忘れるはずがない。
『シロは覚えてないかもだけど。あの日。シロが家に遊びに来てさ。うちの母さんが、ホットケーキ作ってくれたんだ』
頬から手を離し、また、貴志狼の肩に身体を預ける葉。キスの後立ち止まっていたから、貴志狼も歩き始める。耳元を擽る葉の囁きは心地いい。静かに降る雪はその小さな声を邪魔することはなかった。
『僕もやりたいって、駄々こねて。やらせてもらったけど、ひっくり返すの失敗して、変な形になって。僕が拗ねてたら、シロがさ。美味いって言ってくれて。まん丸の満月よりかけていた方が好きだって言ってくれて。すごく…嬉しかった』
正直な話、そんなことがあったことを貴志狼は覚えてはいない。その後の事故のことが衝撃的すぎて、確か葉の家に遊びに行った帰り、離れがたくて途中まで葉が見送ってくれた日だったことは覚えているけれど、その前に何があったのかまでは記憶にはなかった。
0
お気に入りに追加
30
あなたにおすすめの小説

鬼上司と秘密の同居
なの
BL
恋人に裏切られ弱っていた会社員の小沢 海斗(おざわ かいと)25歳
幼馴染の悠人に助けられ馴染みのBARへ…
そのまま酔い潰れて目が覚めたら鬼上司と呼ばれている浅井 透(あさい とおる)32歳の部屋にいた…
いったい?…どうして?…こうなった?
「お前は俺のそばに居ろ。黙って愛されてればいい」
スパダリ、イケメン鬼上司×裏切られた傷心海斗は幸せを掴むことができるのか…
性描写には※を付けております。

見ぃつけた。
茉莉花 香乃
BL
小学生の時、意地悪されて転校した。高校一年生の途中までは穏やかな生活だったのに、全寮制の学校に転入しなければならなくなった。そこで、出会ったのは…
他サイトにも公開しています

淫愛家族
箕田 はる
BL
婿養子として篠山家で生活している睦紀は、結婚一年目にして妻との不仲を悩んでいた。
事あるごとに身の丈に合わない結婚かもしれないと考える睦紀だったが、以前から親交があった義父の俊政と義兄の春馬とは良好な関係を築いていた。
二人から向けられる優しさは心地よく、迷惑をかけたくないという思いから、睦紀は妻と向き合うことを決意する。
だが、同僚から渡された風俗店のカードを返し忘れてしまったことで、正しい三人の関係性が次第に壊れていく――

ハイスペックED~元凶の貧乏大学生と同居生活~
みきち@書籍発売中!
BL
イケメン投資家(24)が、学生時代に初恋拗らせてEDになり、元凶の貧乏大学生(19)と同居する話。
成り行きで添い寝してたらとんでも関係になっちゃう、コメディ風+お料理要素あり♪
イケメン投資家(高見)×貧乏大学生(主人公:凛)

【完結・BL】俺をフッた初恋相手が、転勤して上司になったんだが?【先輩×後輩】
彩華
BL
『俺、そんな目でお前のこと見れない』
高校一年の冬。俺の初恋は、見事に玉砕した。
その後、俺は見事にDTのまま。あっという間に25になり。何の変化もないまま、ごくごくありふれたサラリーマンになった俺。
そんな俺の前に、運命の悪戯か。再び初恋相手は現れて────!?

【完結】ぎゅって抱っこして
かずえ
BL
幼児教育学科の短大に通う村瀬一太。訳あって普通の高校に通えなかったため、働いて貯めたお金で二年間だけでもと大学に入学してみたが、学費と生活費を稼ぎつつ学校に通うのは、考えていたよりも厳しい……。
でも、頼れる者は誰もいない。
自分で頑張らなきゃ。
本気なら何でもできるはず。
でも、ある日、金持ちの坊っちゃんと心の中で呼んでいた松島晃に苦手なピアノの課題で助けてもらってから、どうにも自分の心がコントロールできなくなって……。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる