真鍮とアイオライト 1

司書Y

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番外編 番犬と十七夜

遅い応え 2

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 しゅぽん。
 そこで、また、LINEの通知音。無意識に目を向ける。

 熱でたりしてねえか?
 あいつにいいにくいなら、迎えに行ってやろうか?

 ぶっきらぼうなそのメッセージに、一瞬で、簡単に葉の涙腺は崩壊した。ほろり。と、零れた葉の本音。”迎えに来てくれる?”への、遅い答えがそこにあった。
 今日はきっと、離れられない大切な用事があるはずなのに。それでも、葉のことを考えていてくれたのだ。その言葉だけで、全部許せるくらいに、貴志狼が好きなのだと、実感できた。
 それから、やっぱり、貴志狼の隣を誰にも譲りたくないと思った。

『…ごめんなさい。僕。帰ります』

 だから、葉は深く晴興に頭を下げた。
 晴興には本当に申し訳ないと思う。ここまでしてくれて、あそこまで言ってくれた彼を、ここに置き去りにしようとしている自分に罪悪感はもちろん、ある。けれど、もう、時間がない。貴志狼が完全に手が届かなくなる前に、せめて貴志狼の顔を見て、思いだけは伝えたかった。

『…そうですか』

 まるで、全部分かっていたみたいに、晴興は穏やかな表情で呟いて、手を離した。
 不誠実なことを考えてしまった葉を詰ることも、告白に対する答えがこんなものであったことに怒ることもない。ただ、静かに頷いてくれた。

『あの。丸山さん』

 何と言って謝っていいのかわからずに、言葉が詰まる。
 そもそも、謝ることが正しいのかすらわからない。

『うん。分かってます。分かってて、今日誘いました』

 おそらくは、いろいろな葛藤を抱えていて、その上で、葉に好意を寄せてくれて、だからこそ、葉の気持ちにも気付いていて、それでもなお、優しくしてくれた。晴興のように強くなりたいと素直に思う。

『丸山さんは、完璧で。悪いところなんて何もなくて…。でも、僕は、欠けてるものばっかで…いや。そうじゃなくて。僕が…シロじゃないと…ダメで…』

 晴興が気に入らないわけでない。自分はそんなことを言えるような人間じゃない。ただ、貴志狼が好きだから、貴志狼以外では代わりにはなれないから。
 そう言いたかったけれど、伝わったかどうかわからない。声が詰まって、思ったことを口に出すことすらできなかった。

『知ってます。だから、泣かないで。大丈夫。あの番犬君は、あなたをなくすのを怖がっているだけだから。あなたがいなくならないとわかれば、素直になります』

 ポケットからいつの間にか出したハンカチを葉に渡して、晴興は微笑んだ。そんなふうに笑ってくれる晴興が切なくて、また、涙が零れる。自分の涙で晴興のものが汚れてしまうのが嫌だったけれど、そんな気持ちを察したのか、その手が葉の手に重なって、頬を伝う涙を拭いてくれた。

『さ。じゃ、送っていきますから、帰りましょう』

 晴興が今度は背に触れることなく、そっと促して駐車場へと誘導しようとするのを、葉は押しとどめた。首を横に振る。

『一人で。帰ります』

 晴興に申し訳ないという思いもあった。
 けれど、それ以上に、誰かに頼らずに、貴志狼のところに帰りたかった。それができないのに、事故の被害者としてではなくて、一人の人間として見てほしいなんて言えない気がしたからだ。

『でも』

 心配そうに晴興が言い募る。
 葉の足のことを考えれば当たり前だし、晴興に気を使っているのだろうと思われているのも当然だと思う。

『…自分の足で行かないと。言えない気がするから』

 だから、葉も、素直に本当のことを告げた。晴興には誠実に向き合いたい。

『…あ。いや。歩いて帰ろうなんて無謀なことは考えてないです。ちゃんと、タクシー自分でひろいます』

 それから、誤解されると困るからと、慌てて付け足す。いくら足を引きずると言っても、普段は一人で出かけることができないほどではない。誤解されていなければ、晴興が優しい人だとは言っても、葉を残して帰ることもできるだろう。

『わかりました』

 慌てた様子で言い訳をする葉にくすり。と、優しく微笑んで、晴興は傘を渡してくれた。

『これ。どうぞ。雪少し強くなってきたし、タクシー乗り場まで少しありますから』

 遠慮しようとする手に晴興が傘を握らせる。

『自分は車ですから大丈夫。それに…』

 そう言って、少し思案気に晴興は視線を彷徨わせた。

『ヒロインがどちらを選ぶか気になるので、映画は見ていきます』

 そう言って微笑む。まるで、今までのことがなかったことのように、自然に笑ってくれた。

『また、お茶をいただきに行きます。その時に、結果教えますね』

 ひらり。と、手を振って、晴興が背を向ける。
 その背中が映画館の人ごみに消えるまで見送って、葉はくるり。と、背を向けて、タクシー乗り場へと急いだ。
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