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番外編 番犬と十七夜
遅い応え 1
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その音に救われたような気がした。
『葉さんのスマホですよね? 確認どうぞ』
晴興がいつもの笑顔に戻ってそう言ってくれたから、さらにほっとして、葉はスマホを見た。
相手は翔悟だ。
晴興と映画に来ているのを知っているはずなのに、送ってきていることにため息が出る。どうせ、ろくなことじゃないだろうという予想は、予想を軽く超えて最悪の内容だった。
アニキの婚約者さん。
めちゃ美人っす。
と、メッセージ。続いて、表示された画像は、川和の本宅の玄関先と思われる場所だった。艶やかな和服の女性が映っている。翔悟の言葉通り、かなりの美人だ。多分、まだ、10代かそうでなければ20代初め。隣にいるのは、50代くらいの男性で、おそらくは父親だろう。
明らかに隠し撮りだと思われる。視線がこちらを向いてはいない。見つかったら、翔悟はただじゃすまないだろう。
けれど、そんなことはどうでもよかった。
女性と男性の奥に貴志狼の姿が見える。珍しくネクタイを締めて、真面目くさった顔をして、おそらくは手前側の二人をお出迎えしているのだろうと想像がついた。
貴志狼が正装をして客人を迎えるなんてめったにない。と。思う。実際には組のことはあまり詳しくないから、仲良くなった貴志狼の舎弟たちから聞いた話なのだが、貴志狼はそう言った表に出る仕事は避けているらしい。
その貴志狼が無視できない相手であることは間違いない。
連合の有力者で、婚約者の父親なら当然か…。
そんなふうに思っていると、さらにメッセージが送られてきた。
これから会食っす。俺たちは暇っす。
その後は、アニキもお嬢とデートらしっすよ。
そのメッセージに思わず息を飲む。
翔悟が送ってきた当たり前の流れが現実なのだと心に浸透して、貴志狼の隣に並ぶのはこの人なのだと思うと、胸が潰れてしまいそうだった。
分かっていたことなのだけれど、何一つ敵うところがない。彼女は貴志狼に必要なものをすべて持っている。
若さも。美しさも。子供を産める身体も。後ろ盾も。誰もが持っているまともに動く脚も。完璧というの言葉は、欠けがない完全な球体のことを言うけれど、彼女はまさにそんな人に見えた。欠けだらけの歪な葉とは違う。
それが、余計に、辛い。
自分にないものを求めてしまう自分自身が酷く惨めで、涙が零れそうになった。
本当に、貴志狼は手の届かない人になってしまった。そんな絶望感に侵食される。
数日悩み続けて、泣き続けて、葉は疲れ切っていたのだと思う。もう、貴志狼のことで苦しんだり、泣いたりするのが辛かった。どうにでもなってしまえと、考えるのを放棄したくなっていた。全部、忘れてしまいたかった。
『葉さん』
声をかけられて、葉ははっとした。
一瞬、完全に晴興の存在を失念していた。
『あ。…すみません。なんでもないです』
慌てて視線を逸らす。瞳の端に溜まる涙を見られたくない。
けれど、その腕を掴まれて、少し強引に晴興の方に顔を向けさせられる。
『えと? 丸山…さん?』
晴興は真っすぐに葉を見ていた。とても、真剣な眼差しだった。
『俺にしてください』
絞り出すように、晴興が言う。意味が分からなくて、じっと見つめると、晴興は眉を寄せてから、もう一度ゆっくりと口を開いた。
『川和さんより、俺を選んで下さい。俺なら、あなたに辛い思いをさせたりはしない』
強引に掴んでいた手を離して、葉の左手をその両手で握って、ゆっくりと言葉を選ぶように晴興は言った。その言葉は、手は、暖かくて心が揺れる。
貴志狼に思いが届くことはない。
今は、辛くて、他の誰かに縋りたい。
『すぐに好きになってほしいなんて言わない。ゆっくりでいい。でも、笑ってほしい』
晴興の優しさが伝わって、じん。と、目の奥が熱くなる。こんなに優しい人が自分を思ってくれている。しかも、葉の気持ちを待つとまで言ってくれている。それがどんなに贅沢なことなのか、葉にだってわかっていた。
もし、ここで、自分が頷いたら。そんなこと考える。
それから、それがすごく悪いことのような気がした。葉のことだけを考えてくれている晴興に対しても、ずっと、貴志狼のことだけを考えてきた自分の気持ちに対しても。
でも。
葉は思う。こんな思いがずっと続いていくことが怖くなっているのも事実だった。振り返ってくれない貴志狼の背中が怖い。その視線の先にいるのがあの女性だと思うと、おかしくなりそうだ。
そんな思いにこの先耐えられるんだろうか。
それならいっそ。今は恋愛感情はないけれど、この優しい人に誠実に向き合っていったほうがいいのではないのか。そうすれば、いつか。
『葉さんのスマホですよね? 確認どうぞ』
晴興がいつもの笑顔に戻ってそう言ってくれたから、さらにほっとして、葉はスマホを見た。
相手は翔悟だ。
晴興と映画に来ているのを知っているはずなのに、送ってきていることにため息が出る。どうせ、ろくなことじゃないだろうという予想は、予想を軽く超えて最悪の内容だった。
アニキの婚約者さん。
めちゃ美人っす。
と、メッセージ。続いて、表示された画像は、川和の本宅の玄関先と思われる場所だった。艶やかな和服の女性が映っている。翔悟の言葉通り、かなりの美人だ。多分、まだ、10代かそうでなければ20代初め。隣にいるのは、50代くらいの男性で、おそらくは父親だろう。
明らかに隠し撮りだと思われる。視線がこちらを向いてはいない。見つかったら、翔悟はただじゃすまないだろう。
けれど、そんなことはどうでもよかった。
女性と男性の奥に貴志狼の姿が見える。珍しくネクタイを締めて、真面目くさった顔をして、おそらくは手前側の二人をお出迎えしているのだろうと想像がついた。
貴志狼が正装をして客人を迎えるなんてめったにない。と。思う。実際には組のことはあまり詳しくないから、仲良くなった貴志狼の舎弟たちから聞いた話なのだが、貴志狼はそう言った表に出る仕事は避けているらしい。
その貴志狼が無視できない相手であることは間違いない。
連合の有力者で、婚約者の父親なら当然か…。
そんなふうに思っていると、さらにメッセージが送られてきた。
これから会食っす。俺たちは暇っす。
その後は、アニキもお嬢とデートらしっすよ。
そのメッセージに思わず息を飲む。
翔悟が送ってきた当たり前の流れが現実なのだと心に浸透して、貴志狼の隣に並ぶのはこの人なのだと思うと、胸が潰れてしまいそうだった。
分かっていたことなのだけれど、何一つ敵うところがない。彼女は貴志狼に必要なものをすべて持っている。
若さも。美しさも。子供を産める身体も。後ろ盾も。誰もが持っているまともに動く脚も。完璧というの言葉は、欠けがない完全な球体のことを言うけれど、彼女はまさにそんな人に見えた。欠けだらけの歪な葉とは違う。
それが、余計に、辛い。
自分にないものを求めてしまう自分自身が酷く惨めで、涙が零れそうになった。
本当に、貴志狼は手の届かない人になってしまった。そんな絶望感に侵食される。
数日悩み続けて、泣き続けて、葉は疲れ切っていたのだと思う。もう、貴志狼のことで苦しんだり、泣いたりするのが辛かった。どうにでもなってしまえと、考えるのを放棄したくなっていた。全部、忘れてしまいたかった。
『葉さん』
声をかけられて、葉ははっとした。
一瞬、完全に晴興の存在を失念していた。
『あ。…すみません。なんでもないです』
慌てて視線を逸らす。瞳の端に溜まる涙を見られたくない。
けれど、その腕を掴まれて、少し強引に晴興の方に顔を向けさせられる。
『えと? 丸山…さん?』
晴興は真っすぐに葉を見ていた。とても、真剣な眼差しだった。
『俺にしてください』
絞り出すように、晴興が言う。意味が分からなくて、じっと見つめると、晴興は眉を寄せてから、もう一度ゆっくりと口を開いた。
『川和さんより、俺を選んで下さい。俺なら、あなたに辛い思いをさせたりはしない』
強引に掴んでいた手を離して、葉の左手をその両手で握って、ゆっくりと言葉を選ぶように晴興は言った。その言葉は、手は、暖かくて心が揺れる。
貴志狼に思いが届くことはない。
今は、辛くて、他の誰かに縋りたい。
『すぐに好きになってほしいなんて言わない。ゆっくりでいい。でも、笑ってほしい』
晴興の優しさが伝わって、じん。と、目の奥が熱くなる。こんなに優しい人が自分を思ってくれている。しかも、葉の気持ちを待つとまで言ってくれている。それがどんなに贅沢なことなのか、葉にだってわかっていた。
もし、ここで、自分が頷いたら。そんなこと考える。
それから、それがすごく悪いことのような気がした。葉のことだけを考えてくれている晴興に対しても、ずっと、貴志狼のことだけを考えてきた自分の気持ちに対しても。
でも。
葉は思う。こんな思いがずっと続いていくことが怖くなっているのも事実だった。振り返ってくれない貴志狼の背中が怖い。その視線の先にいるのがあの女性だと思うと、おかしくなりそうだ。
そんな思いにこの先耐えられるんだろうか。
それならいっそ。今は恋愛感情はないけれど、この優しい人に誠実に向き合っていったほうがいいのではないのか。そうすれば、いつか。
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