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番外編 番犬と十七夜
十七夜の憂鬱・番犬の溜息 3
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寒い。首元に手を当てて、貴志狼は今日何度目かになる身震いをした。
どちらかといえば貴志狼は寒さには強いほうだと思っている。けれど、今日は朝から何故かとても寒いと感じることが多かった。特に首元。着ていた服を脱いだかのように冷える。
かといって、マフラーを巻いても温かくなることもない。何かが足りないような喪失感がずっと付きまとって、失くしてしまったものを思い出したいし、取り戻したいけれど、それが何であるかすらわからない。
だから、貴志狼は、最初からイラついてはいた。
『まだかよ』
時計を確認して、貴志狼はさらに大きくため息をついた。さっき確認してから、まだ、五分も経っていない。まるで、時計の針が凍り付いたようだ。
朝から低く垂れこめた雲は隙間を見せることもなく、空を覆いつくしている。吐く息は白いし、コートを着込んでも冷気を遮ることができないから、間違いなく気温は零下だろう。
時計の針くらい凍り付かせてもおかしくない寒さだ。
と、らしくもない詩的な考えが浮かんで、貴志狼は、は。と、吐き捨てるように笑った。
時間は11時を少し回ったところだ。
どうしてこんなに時間が気になるのか、認めたくはないけれど、貴志狼自身にも分かっている。
葉が、あの男といるからだ。
どこから調べたのか、葉と晴興の待ち合わせの時間の情報を入手して、ご丁寧にも耳打ちしてきたのは翔悟だ。
普段、貴志狼は、組の連中を葉に近づけないようにしている。非常に気に食わないのだが、緑風堂の上得意の祖父のお使いも自ら買って出るくらいには気を使っている。
にもかかわらず。だ。いつのまにか、翔悟は葉とLINEのIDを交換していたらしい。そして、阿呆特有の無神経さをいかんなく発揮して、葉から今日のデート?の情報を聞き出したそうだ。
大体、葉は危機感がなさすぎる。周りの人間が、葉をどう思っているのかとか、どうしたいのかとか、全く気付いていない。翔悟に関しては、別に葉をどうしようとかそんなことは考えてはいないただの阿呆だけれど、正直、今までには危険なヤツも彼の周りにはいた。それこそ、ストーカーまがいの輩もいたのだ。
自分が番犬のように彼を守っていたことに感謝してほしいとも、気付いてほしいとも思わない。
けれど、自分がどれほどそう言う人間にとって魅力的なのかは気付いてほしい。
でないと、安心して他人に任せることなんてできそうにない。
『くそ』
悪態をついて、貴志狼は煙草を投げ捨てる。今時珍しい紙煙草だ。自宅の庭とはいえ、マナー違反ではあるが、いつも口うるさく注意する葉はいない。
きっと、これからはこんな時間が増えて、マナーも身体への悪影響も誰にも注意されないまま、ガラが悪い不健康なじじいになって、枯れ果てていくのだろう。貴志狼は思う。それが、自分にはお似合いだ。
葉には自分より相応しい人がいる。
そう考えてから、貴志狼は、また、ため息を吐く。それから、もう一本、煙草に火をつけようと箱を開けてから、中が空だということに気付いて、ぐしゃり。と、箱を握りつぶした。
もう、貴志狼本人も気付いていた。
だから、イラついてもいた。
いや、とうの昔に気付いてはいたのだ。
葉に相応しい自分であれたらと、望んでいること。本当は誰にも渡さずに、腕の中で守って、幸せにしたいのだということ。一生を共にする相手をたった一人選ぶのだとしたら、葉しか考えられないこと。
けれど、そうするには貴志狼はあまりに己に自信がなかった。
家のことも。人間性のことも。葉に一生消えない傷を残してしまったことも。
どれ一つとっても、あの完璧な男に敵わない。
だから、葉の隣を譲るのだと決めた。
決めたのだけれど、決めたはずなのに、諦めきれない自分が、さらにみっともなくて、余計にイラつく。
『これも…罰か?』
呟いた言葉も白く染まる。その吐息が空に昇るのを何とはなしに見上げると、ひら。と、何かが舞って、頬に触れた。一瞬遅れて、それが、雪だと気付く。殆ど反射的に、葉は大丈夫だろうかと考えて、ああ。もう、そんなことは自分の考えることではないのだ。と、また、自嘲の笑いが漏れた。
『ごめんな』
必要はないのだとしても、葉のことを考えるのをやめることはできそうにない。ポケットからスマートフォンを取り出して、画面を開く。LINEを起動させて、文章を打ち込む。それから、送信を押そうとして、貴志狼は手を止めた。自分の女々しさに嫌気がさす。
雪を言い訳にしているだけだ。
葉の不自由になった身体を言い訳にしているだけだ。
ただ、自分自身が繋がっていたいだけなのに。
ため息をついて、貴志狼はスマートフォンをポケットに戻した。
『アニキ。客人。到着しました』
翔悟の声をいつもなら喧しいと思うところだ。けれど、今日は何か救われたような気すらする、貴志狼だった。
どちらかといえば貴志狼は寒さには強いほうだと思っている。けれど、今日は朝から何故かとても寒いと感じることが多かった。特に首元。着ていた服を脱いだかのように冷える。
かといって、マフラーを巻いても温かくなることもない。何かが足りないような喪失感がずっと付きまとって、失くしてしまったものを思い出したいし、取り戻したいけれど、それが何であるかすらわからない。
だから、貴志狼は、最初からイラついてはいた。
『まだかよ』
時計を確認して、貴志狼はさらに大きくため息をついた。さっき確認してから、まだ、五分も経っていない。まるで、時計の針が凍り付いたようだ。
朝から低く垂れこめた雲は隙間を見せることもなく、空を覆いつくしている。吐く息は白いし、コートを着込んでも冷気を遮ることができないから、間違いなく気温は零下だろう。
時計の針くらい凍り付かせてもおかしくない寒さだ。
と、らしくもない詩的な考えが浮かんで、貴志狼は、は。と、吐き捨てるように笑った。
時間は11時を少し回ったところだ。
どうしてこんなに時間が気になるのか、認めたくはないけれど、貴志狼自身にも分かっている。
葉が、あの男といるからだ。
どこから調べたのか、葉と晴興の待ち合わせの時間の情報を入手して、ご丁寧にも耳打ちしてきたのは翔悟だ。
普段、貴志狼は、組の連中を葉に近づけないようにしている。非常に気に食わないのだが、緑風堂の上得意の祖父のお使いも自ら買って出るくらいには気を使っている。
にもかかわらず。だ。いつのまにか、翔悟は葉とLINEのIDを交換していたらしい。そして、阿呆特有の無神経さをいかんなく発揮して、葉から今日のデート?の情報を聞き出したそうだ。
大体、葉は危機感がなさすぎる。周りの人間が、葉をどう思っているのかとか、どうしたいのかとか、全く気付いていない。翔悟に関しては、別に葉をどうしようとかそんなことは考えてはいないただの阿呆だけれど、正直、今までには危険なヤツも彼の周りにはいた。それこそ、ストーカーまがいの輩もいたのだ。
自分が番犬のように彼を守っていたことに感謝してほしいとも、気付いてほしいとも思わない。
けれど、自分がどれほどそう言う人間にとって魅力的なのかは気付いてほしい。
でないと、安心して他人に任せることなんてできそうにない。
『くそ』
悪態をついて、貴志狼は煙草を投げ捨てる。今時珍しい紙煙草だ。自宅の庭とはいえ、マナー違反ではあるが、いつも口うるさく注意する葉はいない。
きっと、これからはこんな時間が増えて、マナーも身体への悪影響も誰にも注意されないまま、ガラが悪い不健康なじじいになって、枯れ果てていくのだろう。貴志狼は思う。それが、自分にはお似合いだ。
葉には自分より相応しい人がいる。
そう考えてから、貴志狼は、また、ため息を吐く。それから、もう一本、煙草に火をつけようと箱を開けてから、中が空だということに気付いて、ぐしゃり。と、箱を握りつぶした。
もう、貴志狼本人も気付いていた。
だから、イラついてもいた。
いや、とうの昔に気付いてはいたのだ。
葉に相応しい自分であれたらと、望んでいること。本当は誰にも渡さずに、腕の中で守って、幸せにしたいのだということ。一生を共にする相手をたった一人選ぶのだとしたら、葉しか考えられないこと。
けれど、そうするには貴志狼はあまりに己に自信がなかった。
家のことも。人間性のことも。葉に一生消えない傷を残してしまったことも。
どれ一つとっても、あの完璧な男に敵わない。
だから、葉の隣を譲るのだと決めた。
決めたのだけれど、決めたはずなのに、諦めきれない自分が、さらにみっともなくて、余計にイラつく。
『これも…罰か?』
呟いた言葉も白く染まる。その吐息が空に昇るのを何とはなしに見上げると、ひら。と、何かが舞って、頬に触れた。一瞬遅れて、それが、雪だと気付く。殆ど反射的に、葉は大丈夫だろうかと考えて、ああ。もう、そんなことは自分の考えることではないのだ。と、また、自嘲の笑いが漏れた。
『ごめんな』
必要はないのだとしても、葉のことを考えるのをやめることはできそうにない。ポケットからスマートフォンを取り出して、画面を開く。LINEを起動させて、文章を打ち込む。それから、送信を押そうとして、貴志狼は手を止めた。自分の女々しさに嫌気がさす。
雪を言い訳にしているだけだ。
葉の不自由になった身体を言い訳にしているだけだ。
ただ、自分自身が繋がっていたいだけなのに。
ため息をついて、貴志狼はスマートフォンをポケットに戻した。
『アニキ。客人。到着しました』
翔悟の声をいつもなら喧しいと思うところだ。けれど、今日は何か救われたような気すらする、貴志狼だった。
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