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番外編 番犬と十七夜
猫(又)カフェにて 1
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平日の昼間。緑風堂のカウンターの内側に置いてある休憩用の椅子に座って、葉は頬杖をついていた。今日はまだカフェスペースをオープンしていないから客はいない。緑風堂の本業の方のお茶の販売はそもそも旅館や料亭、お食事処や甘味処への直接納入が主で店に客が来ることはあまりない。
数少ない客も近所の品の好いおばあちゃんやご贈答用を買っていくどこぞの会社の秘書風の人が多い。葉がもっと気軽にお茶を楽しんでほしいと、安価なものや、ハーブティを扱うようになって、夕方や休日には若い客も少しは増えたけれど、殆どは意識高い系の女性ばかりで、男性の客はカフェスペースに来る人が殆どだった。だから、カフェスペースがオープンする3時以前に若い男性客が来るなんてかなりのレアケースだと言える。
けれど、今日は一人。店内を見て回る客がいた。
『決まった?』
きょろきょろとお茶の棚を見回す青年に声をかける。お客に対する言葉としてはいささか乱暴かもしれない。けれど、振り向いた青年は全く気を悪くした様子はなかった。
『わかりません!』
葉の質問に対する答えとしては少しズレている答えを返したのは、古閑翔悟。誰の真似をしているのか、黒っぽいシャツにスラックス。開襟シャツの襟もとに狐火のような小さなタトゥーが見え隠れしている。肘の上まで捲った腕には真新しい包帯。顔には痛々しく絆創膏が貼られていた。
『それで、大丈夫なわけ?』
前歯が欠けた口元でにっこりと笑いかけられて、葉はため息を漏らす。
彼は客は客でも上得意の客のお使いだ。選ぶ茶葉の趣味がよくて、品もよくて、淹れ方もしっかり覚えて最高の飲み方で飲んでくれる本当の上得意。ただ、忙しい人で自分では来られないから、いつも使いを寄越す。その使いには大きく当たり外れがあるのだが、今日は完全に外れの日だった。
翔悟はとにかくこういう物覚えが悪くて、すぐに買って来いと命令された茶葉の名前を忘れてしまうのだ。それなら、メモでも取ればいいと、葉は思うのだが、メモをすぐになくすのも彼の得意技だった。
『どうしましょうか? 俺、今度こそオヤジに殺されますかね?』
物騒な物言いなのだが、緊張感はまるでない。別に許して貰えるのを期待しているわけではなくて、この人物は本気でオヤジこと、川和壱狼になら殺されても構わないと思っているらしい。
『君が殺される前に、シロがおじいちゃんに殴られるよ?』
もちろん、反社会組織の重要人物でありながら、この街の英傑と名高い川和壱狼はこのバカにお使いを頼むほど抜けてはいない。葉もよく知るその人物は何百手先まで見通せるような頭の切れる男だ。だから、おそらくはお使いを頼まれたのは、その孫の貴志狼だろう。けれど、ここに来るのが嫌で、翔悟にお使いを押し付けたのだ。
『アニキが!?』
今気づいたのかい!
と、口元まで出かかった突っ込みを葉は押しとどめる。
別に、このバカは悪気はないのだ。ただ、本当にバカなだけで。
もともと、翔悟は親の虐待を受けて、中学校すらまともに通っておらず、ふらふら、と、犯罪まがいのことをして生活をしていたところを貴志狼が拾ったらしい。それ以来、貴志狼の強火担を自称しているのだが、基本、貴志狼に迷惑をかけてばかりだった。
悪気はないのは分かっているから、怒るのはともかく追い出すことはできない。なんだかんだと面倒見のいい貴志狼なら、なおさらだ。
それが、すこし。いや、かなり葉には気に食わなかった。
数少ない客も近所の品の好いおばあちゃんやご贈答用を買っていくどこぞの会社の秘書風の人が多い。葉がもっと気軽にお茶を楽しんでほしいと、安価なものや、ハーブティを扱うようになって、夕方や休日には若い客も少しは増えたけれど、殆どは意識高い系の女性ばかりで、男性の客はカフェスペースに来る人が殆どだった。だから、カフェスペースがオープンする3時以前に若い男性客が来るなんてかなりのレアケースだと言える。
けれど、今日は一人。店内を見て回る客がいた。
『決まった?』
きょろきょろとお茶の棚を見回す青年に声をかける。お客に対する言葉としてはいささか乱暴かもしれない。けれど、振り向いた青年は全く気を悪くした様子はなかった。
『わかりません!』
葉の質問に対する答えとしては少しズレている答えを返したのは、古閑翔悟。誰の真似をしているのか、黒っぽいシャツにスラックス。開襟シャツの襟もとに狐火のような小さなタトゥーが見え隠れしている。肘の上まで捲った腕には真新しい包帯。顔には痛々しく絆創膏が貼られていた。
『それで、大丈夫なわけ?』
前歯が欠けた口元でにっこりと笑いかけられて、葉はため息を漏らす。
彼は客は客でも上得意の客のお使いだ。選ぶ茶葉の趣味がよくて、品もよくて、淹れ方もしっかり覚えて最高の飲み方で飲んでくれる本当の上得意。ただ、忙しい人で自分では来られないから、いつも使いを寄越す。その使いには大きく当たり外れがあるのだが、今日は完全に外れの日だった。
翔悟はとにかくこういう物覚えが悪くて、すぐに買って来いと命令された茶葉の名前を忘れてしまうのだ。それなら、メモでも取ればいいと、葉は思うのだが、メモをすぐになくすのも彼の得意技だった。
『どうしましょうか? 俺、今度こそオヤジに殺されますかね?』
物騒な物言いなのだが、緊張感はまるでない。別に許して貰えるのを期待しているわけではなくて、この人物は本気でオヤジこと、川和壱狼になら殺されても構わないと思っているらしい。
『君が殺される前に、シロがおじいちゃんに殴られるよ?』
もちろん、反社会組織の重要人物でありながら、この街の英傑と名高い川和壱狼はこのバカにお使いを頼むほど抜けてはいない。葉もよく知るその人物は何百手先まで見通せるような頭の切れる男だ。だから、おそらくはお使いを頼まれたのは、その孫の貴志狼だろう。けれど、ここに来るのが嫌で、翔悟にお使いを押し付けたのだ。
『アニキが!?』
今気づいたのかい!
と、口元まで出かかった突っ込みを葉は押しとどめる。
別に、このバカは悪気はないのだ。ただ、本当にバカなだけで。
もともと、翔悟は親の虐待を受けて、中学校すらまともに通っておらず、ふらふら、と、犯罪まがいのことをして生活をしていたところを貴志狼が拾ったらしい。それ以来、貴志狼の強火担を自称しているのだが、基本、貴志狼に迷惑をかけてばかりだった。
悪気はないのは分かっているから、怒るのはともかく追い出すことはできない。なんだかんだと面倒見のいい貴志狼なら、なおさらだ。
それが、すこし。いや、かなり葉には気に食わなかった。
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