真鍮とアイオライト 1

司書Y

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夜が暗いから

夜が暗いから 4

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 誤解でなく、二人が誰にも知られる図に関係を育んでいるのだとしたら、知られたくないのが当たり前だ。そういう関係に寛容でない人は多い。こんな田舎の街では、特に口さがない人たちが多いのが実情だからだ。

「あの。鈴君。俺、別に。偏見とかないし…」

 彼は、きっと、風祭さんを守りたいんだろう。だから、俺は言った。応援は正直できない。けれど、邪魔する気もない。そうなのだとしたら、せめて自分は敵でない存在でいてあげたかった。

『あ。だから…あの。葉さんには好きな人がいて。店によく来る人で』

 俺の言葉の意味を理解したのか、鈴は一瞬とても困った顔をしてから、決意したように顔を上げた。

『だから、本当に葉さんとは従兄弟と、雇用関係以外には何にもないんです』

 俺の顔をじっと正面から見て、鈴が言う。
 ふと、その時、風祭さんの姿が頭を過った。
 茶葉をとるとき、背中を向けるとよく見える。足に絡まった鎖。引きずっている左足に絡まったそれは、どこかへ向かって伸びていた。それは、いつも同じ方向に向かっているわけではなくて、その時々で向かっている方向が違った。それは、もしかしたら、動いているもの(人)に繋がっていたからだろうか。

『そか。そか…。あの。もしかして。鎖の…』

 そう考えたら、思わず俺は口に出していた。

『あ。それです。その人』

 ぱ。と、表情を明るくして、鈴が応える。

『うん。それなら。わかる』

 確かに、あの鎖は風祭さんの足に絡まってはいるけれど、悪意のようなものが見えない。といっても、何度も言うようだが俺の感覚は全く当てにならないのだが。
 でも、都合がいいかもしれないけれど、今は信じてみようと思った。
 なんだか引っかかることはあるけれど、鈴の言葉も、自分の感覚も。

『よかった』

 ほっとしたように鈴は微笑む。その嬉しそうな笑顔が俺の方もう嬉しい。
 嬉しいけれど、その時が来てしまったみたいだ。
 俺の自宅が、もう、目の前に見えている。タイムリミットだ。

『ありがとな。こんなところまで送ってもらって』

 背の高い鈴の顔を見上げる。名残惜しい。昼の太陽ではなくて、暗い夜の中に浮かぶ三日月のような鈴。泣きたくなるくらいに綺麗で、鈴の表情を、もっと見ていたい。
 けれど、これ以上鈴の時間をもらう理由が思いつかなかった。

『いや。いいんです。好きでやってるんだし』

 俺の思いに気付いたわけでもないと思う。けれど、鈴は言ってくれた。それは、言い換えれば、好きでやってるからまた、会ってくれるということなんだろうか。
 そうだったら嬉しい。

『でも。明日も迎えに来てくれるなんて。やっぱ、申し訳ないし』

 嬉しいからこそ、間違ってはいけない。
 この距離を間違えなければ、一緒にいられる。
 ようやく、少しだけ、俺も、平静を取り戻すことができたのだろう。本当は迎えに来てほしい。というか、会いたい。けれど、面倒はかけたくないから、言った。

『あ。じゃあ。一つだけ。俺の、お願い、聞いてくれますか?』

 俺の言葉に、少し思案気な表情になって、それから、細くて節が高い指を一本立てて見せて、鈴が答えた。

『なに?』

 その仕草だけで鼓動がまた、早くなる。冷静に考えられなくなってしまう。

『LINEのID教えてもらっていいですか?』

『え?』

 鈴の言葉に俺は、呆けた。そういえば、連絡先を交換していなかった。利用者登録をしてもらっていたから、忘れていた。

『あ。いや。明日、家出るときに連絡入れるんで』

 少し目元が赤いような気がするのはきっと、通り過ぎた車のテールランプのせいだ。若干、”明日”のところで噛みかけたのもきっと、気のせいだ。

『あ。うん。そか。わかった』

 仕事用のトートバッグからスマホを出して、ラインを立ち上げる。それから、同じくスマホを出した鈴とIDを、交換した。きっと、鈴がものすごく嬉しそうに見えるのも、俺の願望を反映しているんだろう。きっと、そうに違いない。

『今度は。お礼するから。その。飯でも行こう』

 けれど、その表情に後押しされて、少しだけ、俺は鈴に近づいてみることにした。友達としてでも、これくらいなら許される。はずだ。

『いいっすね。寿司とかがいいです』

 そしたら、一瞬。驚いた顔をしてから、また、鈴が嬉しそうに笑う。俺の言葉が鈴を喜ばせたのが嬉しくて、俺の方も素直に笑えた。

『はあ? 厚かましすぎ』

 冗談まで言える。
 きっと、こうやって、やっていけばいい。これでも、充分に幸せだし、充分に楽しい。

『はは。じゃ。今日は帰りますね』

 これでいいんだ。と、自分に言い聞かせる。
 帰ってしまう鈴に、”また”と、言える。
 手を振って応えると、鈴もスマホを持ったままひらり。と手を振った。

『なんかあったら連絡ください』

 そして、背を向ける。す。と、姿勢よく伸びた綺麗な背中だ。鈴が向こうを向いた瞬間に泣きたくなったけれど、そんなの気のせいだと、わざと大袈裟に手を振った。
 振り返らないでほしい。うまく笑えていないから。
 振り返ってほしい。顔が見たいから。
 思いが鬩ぎ合う。

『や。あの』

 そんな思いに気付いたわけないのに、鈴は振り向いた。
 夜でよかったと、思う。
 暗かったから、きっと、鈴からは俺の顔までは見えなかったはずだ。

『何にもなくても、連絡ください』

 そう言い残して、今度は本当に、鈴は背中を向けて歩き出した。
 残された俺はというと、鈴の言葉が嬉しくて、切なくて、その背中をずっと見えなくなるまで見送っていた。
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