真鍮とアイオライト 1

司書Y

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取り急ぎ付ける名もなく

取り急ぎ付ける名もなく 7

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 反応するみたいに、クロバの後ろの闇の色が濃くなる。鈴の表情は変わらない。無表情に近いけれど、目には、温度の高い炎のような仄かな光が見える。
 青い。炎。
 きっと、これが鈴の感情だ。

『池井さん。すぐ、終わるから』

 鈴の声はいつもより低い。今まで聞いたことのない響きだ。
 静かな怒り? 拒絶? いや、これは、挑発だ。そう感じた。鈴はクロバとの邂逅を平穏に終わらせる気などない。

『終わらせるだと?』

 きりきりと、巻き上げて弦のテンションが上がるみたいだ。
 指先で少し弾いただけで、切れる。終わる。それが、わかる。
 このままじゃ、なんかきっと、取り返しのつかないことになる。俺はそれが嫌だった。クロバは、ともかく、鈴には傷ついてほしくない。二人のにらみ合いに挟まれているだけで、胸が苦しい。

 …っていうか。

 俺は思う。
 苦しいのは胸じゃなくて、胃だ。胃が痛い。
 俺は地方公務員だぜ?
 こんな、ヤ〇ザ? チン〇ラ? とのゴタゴタたに成人しているとはいえ、学生さんを巻き込んで、怪我させたとか、そんなことになった日には、職場にいられない。司書は好きでやっている仕事だ。なれるまでに俺なりの紆余曲折を経ている。絶対に!辞めたくない。
 もちろん、鈴のことは心配だ。けど、さっき、話まとまりかけてなかったか? なんで、わざわざ喧嘩売ろうとするわけ?
 てか、そもそもなんで俺が景品扱いされてるわけ?

『ふっざけんな!!』

 上がり切ってしまったテンションは俺の中で、別の形で切れてしまった。
 思いっきり、クロバの脛を靴先で蹴りつける。多分、鈴のほうに集中していたからだろうけれど、無防備な脛にスニーカーの先がおもくそ刺さった。

『っっ!!!』

 痛みに手の力が緩んだ隙に思いっきり引っ張って腕を抜く。

『お前ら、いい加減にしろよ?』

 それから、驚いて固まっている鈴の手も振り払って、俺は腕組みをして、二人を睨みつけた。

『喧嘩したいなら、他所でやれ。俺は、明日、5連勤後の貴重な休みなんだ! 帰る!』

 そう宣言して、二人に背を向ける。

『あ。池井さん』

 呆気にとられていた鈴が、我に返って呼び止めてくる。その声に振り返ると、すごく困った顔で俺を見ていた。まるで、主人に怒られたワンコのようだ。

『あの。すみません。でも…や。なんて、言えばいいのか』

 最初、鈴を見た時、そのあと、図書館で見た時も、あまり、表情が豊かではない。というよりも、感情の起伏自体が少ない子なのだと思った。外のことに興味がなさそうで、物静かで、大人びていて、自分の決めたルールだけに従って生きているように見えた。
 けれど、名前を知ったあの日、すこし、印象が変わった。

『危険に。近づいて。欲しくなくて…その』

 鈴の綺麗な顔が困ったように歪む。そうさせているのが、俺なんだと思うと、なんだか申し訳ない気持ちになる。

『怒っていますか?』

 だから、怒りは、もう、萎んでいた。我ながら単純だと自嘲しながらも、鈴が自分を無駄遣いしないでくれるなら、それでいいと思ってしまう。

『…ちんぴらに喧嘩を売ったのは怒ってる。危ないことすんな。けど、助けてくれたのは。ありがとう』

 そう言って返した苦笑に、鈴が安堵の表情を浮かべる。

『じゃあ。帰ろか。鈴君、家近くだろ? 一緒に帰る?』

 俺がそう言うと、今度は鈴が嬉しそうに笑う。

『はい』

 俺なんかの言葉一つで、こんなふうに鈴の表情が変わるのが不思議だ。俺の何が気に入って、こんなふうに懐いてくれているのか。いや。懐いているというよりも、年上のくせに危なっかしい俺を心配してくれているのかもしれない。
 どちらにせよ、鈴が、俺にとって、ただの図書館司書と利用者さん。ではなくなっているのは確かだ。けれど、その関係にはまだ、名前がない。取り急ぎ、名前を付ける気もない。
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