真鍮とアイオライト 1

司書Y

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取り急ぎ付ける名もなく

取り急ぎ付ける名もなく 3

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 俺にしか見えない人たちの半分くらいは、毎日同じところにいる。けれど、残り半分のうちのさらに半分くらいは突然に現れる。リマ男も、流星のお姉さんもそうだった。
 さらに残りの半分。こちらの存在に気付いていながら姿を隠しているヤツ。これが一番性質が悪い。リマ男たちのように、意図せず姿を見せてしまうだけの存在と違って、何かを企んでいる場合が多いから。
 そんなヤツらは俺に自分たちが見えていると分かると、大抵は悪意のこもったちょっかいを出してくる。
 だから、できるだけ関わらない。それが見える以外そいつらに何をしてやること(いい意味でも悪い意味でも)もできない俺の処世術のようなものだった。

『お前、随分と旨そうな匂いだ。食わせろ』

 けれど、その声は、そんな俺の考えを許してはくれなかった。
 気のせいにするにははっきり聞こえた。
 男の声だ。
 低くて太い。嫌でも大きくて、力強い身体を持っていると、想像できるような声。

 マジか。

 心の中で天を仰ぐ。正直関わり合いたくはない。
 俺はこんな深夜にコンビニなんて行こうと思ったことをここへ来て初めて心底後悔した。

 てか。
 何でも今日に限ってコンビニなんて行こうと思ったんだっけ?

 俺は思う。
 確か、そうだ。
 いなり寿司が食べたかったんだ。
 裏返しのやつ。辛子いなり。
 晩ごはんはちゃんと食べたんだけどな。それなのに、なんだか、無性に食べたくなって。
 特に好きってわけでもないのに、今夜に限ってどうして?
 いくら翌日が休みだって言ったって、やることは山積みだ。もう、大掃除だって、手を付けないといけない。
 ああそうだ。柔軟剤もうすぐなくなるって、ばあちゃん言ってた。

『おい。そこのひょろい小僧。食ってもいいんだな?』

 そう言われて、びくり。と、肩が揺れる。反応してしまってから、『あ、これ、知らんぷりしてたほうが、正解のやつだ』と、後悔する。いや、今更遅いか。どちらにせよ、もう、コイツは俺の意見はガン無視で、迷惑この上ないちょつかいを仕掛けてくると決めているんだ。
 後ろのものが、なんだとしても。こっち因果なんてつくりたくないのに。

『拒否せんなら、是認とみなすぞ?』

 声に僅かに混ざる苛立ちに、振り向く以外の選択肢を奪われる。びり。と、空気が変わって、後ろのヤツの大きさが体感で倍。いや、三倍にはなったように感じられた。
 その感覚はただその辺のウェイな人を怒らせた程度のそれとは全く違っていて、皮膚に直接針を刺すような冷たい、ぞっとするような感覚だった。

 それでもなお、振り返るのには覚悟か必要だった。
 こんな感覚は知らない。
 いろんなヒトやモノに会って来たけれど、初めて、本当の、本当にヤバいと思う。俺の躊躇なんて、けれど、ソイツにはどうでもいいことなんだろう。

『おい』

 声に苛立ちが増す。
 それから、肩を掴まれた。

『聞こえんワケではないだろう?』

 そのまま、ぐい。と引っ張られて、ソイツの方を向かせられる。
 
 確かに、声をかけられる寸前までは誰もいなかったはずなんだ。とはいっても、一般的な常識は、必ずしも俺の常識ではない。だから、人がいなかった場所に突然誰かがいたって、少しびっくりする程度だ。
 でも、ソイツを見て、俺は言葉を失った。

『やはり視えておるではないか』

 派手な男だった。
 あきらかにその筋のヒトってかんじの柄シャツに、同じ黒なのに就活用からは程遠い光沢のある黒スーツ。もちろん、ネクタイなんてもんはしていない。かわりに開襟シャツの隙間から、お絵かきが見える。あれはなんだろう? 赤黒い。炎だろうか。

 けれど、その武闘派なコーディネートに反して、男の容姿は暴力的とは言い難い。
 髪は夜の空のような黒髪で、きつめのツリ目が印象的だった。その目じりに僅かに朱色のラインが見える。気のせいかと思うほどなのだけれど、確かに見えた。
 背も高く、がっしりとしているけれど、体育会系と言う言葉が思い当たらないのは多分、その、端正と言っても差し支えない顔立ちのせいだと思う。

『おい。何か言わんか』

 不思議と、顔を見る前と声の印象が変わっている。
 あんなにヤバいと思っていたのに、まあ、関わりたくない手合いの男だという印象は変わらないけれど、命の危険は感じなくなっていた。

『わかった。もういい。腹が減って仕方がない。否がないなら、食うぞ』

 そう言って、男は今度は両手で俺の手首を掴んだ。
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