真鍮とアイオライト 1

司書Y

文字の大きさ
上 下
25 / 392
取り急ぎ付ける名もなく

取り急ぎ付ける名もなく 2

しおりを挟む
 買い物を済ませて、コンビニを出ると、駐車場には車は一台もなかった。もちろん、俺自身も車で来たわけではなかったし、店内には客が一人もいなかったから、別におかしいことなんて何もない。
 ただ一台だけ、店の陰になるような場所にある駐輪場に店員さんのだと思われるスクーターがとまっている。
 内側の自動ドアと、二重になったサッシの入り口をくぐると外の冷気がまるで壁のように立ちはだかる。俺は、その壁に一瞬だけ躊躇ってから、マフラーをきゅ。と、巻き直して、そこに頬を埋めて歩き出した。

 完全に冬と言って差し支えない寒さだ。寒くるなるという天気予報は当たっていたらしい。 ほう。と、吐き出した吐息が白く残って空気に溶けた。

『さむ』

 肩をすくめて俺は呟く。
 歩き出してまだ、さほど経っていないのに頬の感覚が鈍り始める。買ったものを詰めたエコバックは肩から掛けて、両手はポケットに突っ込んでいる。もちろん、中には貼れないホッ〇イロが、入っていることは言うまでもない。

 寒い。
 けれど、俺は買い物に出てきたこと自体は後悔していなかった。

 歩きながら思う。

 歩くことは好きだ。それが、昼であっても夜であっても。
 春であっても、夏であっても、秋であっても、冬であっても。
 だから、寒くても、真夜中でも、歩きたくなったら、歩く。
 いつもなら、怪談朗読を聞き流すのだけど、今夜はなんとなくそんな気分になれなくて、静かに低く呻るような夜の音を聞いていた。

 だから、気付いたのだと思う。
 ちりん。と、小さく鳴る鈴の音に。

 俺は立ち止まって、周りを見回す。
 街頭はまばらだけれど、ないわけではない。冬の夜は空気が澄んでいて、いつもより遠くまで見渡せるような気がした。振り返った街並みには、まだ人の灯す光が瞬いているし、行く道のずっと先にある山はいつも通り黒いシルエットになって佇んでいる。
 別にこれと言って、何も無い。もちろん、異変はと言う意味では、だ。

 片側一車線の道路は大きく左にカーブしながら、登り坂になっている。カーブの内側には何軒か寄り添うように民家が建っていて、その高い生け垣が遮って、曲がった先までは見えなくなっている。
 右手は松林が続いている。それほどひしめき合っているという印象はないのだか、その中は暗くてよくは見えない。

 ぎぎ。
 と、何者かもわからない鳥のような声が聞こえて、俺はびくり。と、身体を竦めた。
 けれど、それも、田舎ではよくあることだ。そんなことで、びっくりしてしまった自分自身に恥ずかしくなって、俺は何でもないふりを装って、進行方向に向きなおり、再び歩き出そうとした。

『食わせろ』

 そう聞こえたような気がして立ち止まる。さっきの鳥の声より驚いていいはずなのに、俺はどちらかというと『は?』と、呆けてしまった。その声がしてきたのが、さっきまで振り返って見ていた方向だったからだ。常識的に、理論的に考えてそんなはずがない。
 さっきまでは、誰も、何もいなかったんだから。

 いやいやいや。そんなわけないでしょ。誰もいなかったし。
 うん。そう。気のせい。気のせい。

 立ち止まってしまったけれど、心の中で自分にそう言い聞かせる。そうしておいた方がいい。それは、経験上知っていた。
しおりを挟む
感想 6

あなたにおすすめの小説

鬼上司と秘密の同居

なの
BL
恋人に裏切られ弱っていた会社員の小沢 海斗(おざわ かいと)25歳 幼馴染の悠人に助けられ馴染みのBARへ… そのまま酔い潰れて目が覚めたら鬼上司と呼ばれている浅井 透(あさい とおる)32歳の部屋にいた… いったい?…どうして?…こうなった? 「お前は俺のそばに居ろ。黙って愛されてればいい」 スパダリ、イケメン鬼上司×裏切られた傷心海斗は幸せを掴むことができるのか… 性描写には※を付けております。

放課後教室

Kokonuca.
BL
ある放課後の教室で彼に起こった凶事からすべて始まる

見ぃつけた。

茉莉花 香乃
BL
小学生の時、意地悪されて転校した。高校一年生の途中までは穏やかな生活だったのに、全寮制の学校に転入しなければならなくなった。そこで、出会ったのは… 他サイトにも公開しています

4人の兄に溺愛されてます

まつも☆きらら
BL
中学1年生の梨夢は5人兄弟の末っ子。4人の兄にとにかく溺愛されている。兄たちが大好きな梨夢だが、心配性な兄たちは時に過保護になりすぎて。

ハイスペックED~元凶の貧乏大学生と同居生活~

みきち@書籍発売中!
BL
イケメン投資家(24)が、学生時代に初恋拗らせてEDになり、元凶の貧乏大学生(19)と同居する話。 成り行きで添い寝してたらとんでも関係になっちゃう、コメディ風+お料理要素あり♪ イケメン投資家(高見)×貧乏大学生(主人公:凛)

【完結・BL】俺をフッた初恋相手が、転勤して上司になったんだが?【先輩×後輩】

彩華
BL
『俺、そんな目でお前のこと見れない』 高校一年の冬。俺の初恋は、見事に玉砕した。 その後、俺は見事にDTのまま。あっという間に25になり。何の変化もないまま、ごくごくありふれたサラリーマンになった俺。 そんな俺の前に、運命の悪戯か。再び初恋相手は現れて────!?

そんなの真実じゃない

イヌノカニ
BL
引きこもって四年、生きていてもしょうがないと感じた主人公は身の周りの整理し始める。自分の部屋に溢れる幼馴染との思い出を見て、どんなパソコンやスマホよりも自分の事を知っているのは幼馴染だと気付く。どうにかして彼から自分に関する記憶を消したいと思った主人公は偶然見た広告の人を意のままに操れるというお香を手に幼馴染に会いに行くが———? 彼は本当に俺の知っている彼なのだろうか。 ============== 人の証言と記憶の曖昧さをテーマに書いたので、ハッキリとせずに終わります。

【完結】ぎゅって抱っこして

かずえ
BL
幼児教育学科の短大に通う村瀬一太。訳あって普通の高校に通えなかったため、働いて貯めたお金で二年間だけでもと大学に入学してみたが、学費と生活費を稼ぎつつ学校に通うのは、考えていたよりも厳しい……。 でも、頼れる者は誰もいない。 自分で頑張らなきゃ。 本気なら何でもできるはず。 でも、ある日、金持ちの坊っちゃんと心の中で呼んでいた松島晃に苦手なピアノの課題で助けてもらってから、どうにも自分の心がコントロールできなくなって……。

処理中です...