真鍮とアイオライト 1

司書Y

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司書Iの日常

司書Iの日常 3

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 あの日。あんなことがあってから、それでも多分、一時間以上は並んで流星群を見ていた。二人ではなく、あの女の人も含めた三人で。
 俺は何も話さなかったし、彼も何も話さなかった。
 ただ、彼女は少しだけ話をしてくれた。

 どうしてこんなところにいるのかわからない。
 自分が誰なのかわからない。
 何か大切なことを忘れていると思うけれど、思い出せない。
 確か、いつか、こうやって誰かと流星群を見た。
 星を差し出されたとき、何かが心を掠めた。
 それは、とても温かな気持ちだった。
 だから、もう少しこうしていたい。

 もう少しだけ。

 その言葉を聞きながら、ずっと星空を見上げていた。やっぱり、彼女は俺を”引っ張ろう”としたわけじゃなかった。ただ、勝手に俺が引っかかっただけだった。
 それを、誤解していなかった自分がなんだか嬉しかった。

 たぶん、5つくらいは流れる星を数えた頃だったと思う。ゆっくりと彼女の存在感が薄くなっていくのが分かった。凍てついた空気に白い吐息が溶けていくように、彼女は消えた。
 もしかしたら、リマ男みたいに次の日には元通りあの場所で星を見上げているかもしれないけれど、その時は消えた。

 それでも、隣でガードレールに身体を預けたままの背の高い青年は星を見ていた。彼女が消えたことには気付かなかったのか、最初から彼女のいることに気付いてなかったのか、やっぱり今回も分からなかった。

 それから、あと5つくらい流れる星を数えた頃、青年は”さむいすね”と、小さく身震いした。よく見ると、あまり厚着をしている感じではない。トレーナーにジーンズ。部屋着みたいな少しだけ厚手のフリースを羽織って、ポケットに手を突っ込んではいるが、確かに寒そうだ。
 俺の方はというと、ダウンジャケットに、マフラーに、手袋に、ホッ〇イロ。さらには帽子に、耳当てまでしている。

 だから、ホッカ〇ロと、マフラーを渡して帰らせたんだ。

 返すのは、図書館に持ってきてくれればいいから。

 って。

『これ。あざした』

 紙袋に入ったおそらくマフラーを差し出して、彼が言う。

『あ。うん。こっちこそ。あのときはありがとうございました』

 受け取ってから頭を下げると、彼は困ったように笑った。

『別に何もしてないんで』

 そう言ってから、彼は俺の方をじっと見ている。眼鏡の奥の目を少しだけ細めて何かを確認するみたいに。

『…いけい…すみれ?』

 その低い声が、呟いた言葉にはっとする。

 あの夜。お互いに名前を名乗ることはなかった。だから、彼の名前を知らないし、彼も俺の名前を知らないはずだ。
 メモリを拾ってもらった夜のことは覚えていたみたいなことを言っていたけれど、その男が、絵本を渡した図書館員だと繋がっていたかも怪しい。何と言っても暗かったから。それに、普通、よく通っているわけでもない図書館の司書なんて覚えていないだろう。

 それなのに。
 どうして、この青年は俺の名前を知ってるんだろう。少し怖くなる。けれど、その答えはすぐにわかることになった。

『って。読むんすか?』

 す。と、あの綺麗な指先が胸のIDカードを指さす。そこには写真付きで名前が書いてった。

『あ。そか。うん。そう』

 彼と会うときは大抵、変なことばかり起きている時だから、また、何か変なことに巻き込まれたのかとか、彼自身が何かソレ的なものなのかとか考えてしまっていた自分が恥ずかしくなる。

 てか、普通の一般的なその辺のヤロウにしては雰囲気がありすぎるんだよ。

 俺は思う。
 整った彫刻みたいな顔や容姿も、口数が多いわけでもないのに妙に印象に残る低い声も、少し思案気に視線を彷徨わせるときの仕草も、どこか世俗離れしたような表情も、同じくらいの歳ごろの男と比べると、もはや人間離れしていると言っても過言ではない。言ってて恥ずかしくなるけど。
 こういう物語の主人公みたいな人間て本当に存在しているんだと感心してしまうくらいだ。

『すみれ…か』
     
 その口がまた、俺の名前を呼んだ。

『それ…やめてください』

 思わず敬語になってしまう。 その名前は俺にとってはもっとも触れられたくない暗部だ。

『なんで? 間違ってました?』

 不思議そうに彼が言う。

『や。間違ってはいないけど…なんてか。俺みたいのについてていい名前じゃなくない?』

 何を血迷ったのか、この名前は父がつけたらしい。植物学者だった父は、かなりの天然で、子供に植物の名前をつけたかったらしいのだが、何故男の俺に桂とか、榊とか木の名前じゃなくて、菫にしたのかはいまだに謎だ。
 ちょっと、かなりおかしな人だったとは、母親であるばあちゃんの談だ。
 とにかく、この名前のせいで、子供の頃は散々揶揄われた。だから、親につけてもらった大事な名前なのだが、極力苗字以外を名乗らないようにしていた。

『似合ってますよ』

 さらり。と、そのイケメンはイケメンなセリフを吐く。
 やっぱり、イケメンはイケメンなんだ。
 と、平均的モブ男な俺は語彙が瀕死になったような感想しか浮かばなかった。きっと、俺が女の子ならここで七割くらいが恋に落ちていることだろう。落ちていなくても、フラグくらいは立ったと思う。
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