真鍮とアイオライト 1

司書Y

文字の大きさ
上 下
15 / 392
絵本

絵本 6

しおりを挟む
『あの。これ』

 気付くと、眼鏡の青年が、カウンターの前まで来ていた。
 差し出しているのはさっきの絵本だ。

『返しておいてもらえますか?』

 言われている意味がよくわからなくて、俺は返事もせずにその顔を見上げた。
 本当に整った顔をしていると、間の抜けた感想が頭を過る。

『あのカートに戻したらダメんなんすよね? どこの場所だったかわかんなくなったんで、戻してもらってもいいですか?』

 反応のない俺に、青年は分かりやすく言い換えた。
 どうやら、ブックトラックに戻してもよかったものかわからずに、カウンターにいる俺に声をかけたらしい。

『…あ。はい。はい。承りました』

 慌てて返事を返す。呆けていたのが恥ずかしくて、声が上ずってしまったのが、さらに恥ずかしい。

『ひとつ。聞いていいすか?』

 そんな俺を気にもしていない様子で、青年が言う。
 彼は、きっと、あの夜フラッシュメモリを拾ってやった男のことなんて覚えていないだろう。自慢ではないけれど、俺は一度会っただけの人に覚えられるほどの特徴なんて殆ど持ち合わせていない。

『はい』

 だから、きっと、それは、図書館司書としての自分への質問だと思った。

『なんで、あそこに、椅子。置いたんすか?』

 だから、それは、なんだか、少し、ズレた質問のような気がした。

『…あ。えと。な…なんとなく』

 同時に、それは、彼が、あの少女のことが見えていないという意味なのだと分かった。
 分かったから、俺は言葉を濁した。殆ど初対面の相手に”自分以外の人に見えない女の子が見えたからです”とは、言えない。さすがにそれくらいの人生経験は積んでいる。人と違うことでいいことなんて殆どないのだから。

『…そ。すか』

 けれど、その嘘ともいえないようなごまかしに。彼の質問に誠実に答えないことに。罪悪感が湧き上がる。それは、その青年の表情がほんのわずかに、曇った気がしたからだ。 

『や。あの。きっと、あの場所が座りやすいと思って』

 変な奴だと思われたくない。
 けれど、誠実でありたい。
 そのせめぎあいの中で、出した妥協案は多分、答えにはなっていなかった。

『…そ。すか』

 でも、彼は僅かに笑った。
 それが、俺の答えが変だったからなのか、俺が馬鹿だと思ったのか、彼なりに納得したのか、理由は分からないけれど、よかったと。思う。
 だから、差し出された本を受け取って、俺は聞いてみた。

『君は? どうして、あの場所に椅子を置いたんですか?』

 俺の問いに、驚いた顔をして、少し思案気に視線を彷徨わせて、最後に微笑んで、彼は答える。

『きっと、あの場所が座りやすいと思って』

 その笑顔は年相応(彼の年齢を知らないけれど)に悪戯っぽくて、なんだか、安心したのを覚えてる。

『それじゃ。”また”』

 そう言って、青年は背中を向けた。今度は立ち止まることなく開いた自動ドアから出ていく。

『ありがとうございます』

 俺はその背中を頭を下げて見送った。

『…また?』

 それから、彼の言った言葉に首を傾げた。
 別に変な言葉ではない。きっと、また、図書館を利用してくれるという意味なんだろう。と、思うけれど、その言葉は、少しだけ違うニュアンスを水底の砂のように舞い上げた。

 ふと、目を落とす。
 俺の手の中の絵本。
 そのタイトルは…。

『たいせつなあなたへ』

 そのタイトルが少女だけでなく、俺にとっても何かを意味しているように感じた、秋の終わりの雨の夜の出来事だった。
しおりを挟む
感想 6

あなたにおすすめの小説

鬼上司と秘密の同居

なの
BL
恋人に裏切られ弱っていた会社員の小沢 海斗(おざわ かいと)25歳 幼馴染の悠人に助けられ馴染みのBARへ… そのまま酔い潰れて目が覚めたら鬼上司と呼ばれている浅井 透(あさい とおる)32歳の部屋にいた… いったい?…どうして?…こうなった? 「お前は俺のそばに居ろ。黙って愛されてればいい」 スパダリ、イケメン鬼上司×裏切られた傷心海斗は幸せを掴むことができるのか… 性描写には※を付けております。

放課後教室

Kokonuca.
BL
ある放課後の教室で彼に起こった凶事からすべて始まる

見ぃつけた。

茉莉花 香乃
BL
小学生の時、意地悪されて転校した。高校一年生の途中までは穏やかな生活だったのに、全寮制の学校に転入しなければならなくなった。そこで、出会ったのは… 他サイトにも公開しています

4人の兄に溺愛されてます

まつも☆きらら
BL
中学1年生の梨夢は5人兄弟の末っ子。4人の兄にとにかく溺愛されている。兄たちが大好きな梨夢だが、心配性な兄たちは時に過保護になりすぎて。

ハイスペックED~元凶の貧乏大学生と同居生活~

みきち@書籍発売中!
BL
イケメン投資家(24)が、学生時代に初恋拗らせてEDになり、元凶の貧乏大学生(19)と同居する話。 成り行きで添い寝してたらとんでも関係になっちゃう、コメディ風+お料理要素あり♪ イケメン投資家(高見)×貧乏大学生(主人公:凛)

【完結・BL】俺をフッた初恋相手が、転勤して上司になったんだが?【先輩×後輩】

彩華
BL
『俺、そんな目でお前のこと見れない』 高校一年の冬。俺の初恋は、見事に玉砕した。 その後、俺は見事にDTのまま。あっという間に25になり。何の変化もないまま、ごくごくありふれたサラリーマンになった俺。 そんな俺の前に、運命の悪戯か。再び初恋相手は現れて────!?

【完結】ぎゅって抱っこして

かずえ
BL
幼児教育学科の短大に通う村瀬一太。訳あって普通の高校に通えなかったため、働いて貯めたお金で二年間だけでもと大学に入学してみたが、学費と生活費を稼ぎつつ学校に通うのは、考えていたよりも厳しい……。 でも、頼れる者は誰もいない。 自分で頑張らなきゃ。 本気なら何でもできるはず。 でも、ある日、金持ちの坊っちゃんと心の中で呼んでいた松島晃に苦手なピアノの課題で助けてもらってから、どうにも自分の心がコントロールできなくなって……。

サンタクロースが寝ている間にやってくる、本当の理由

フルーツパフェ
大衆娯楽
 クリスマスイブの聖夜、子供達が寝静まった頃。  トナカイに牽かせたそりと共に、サンタクロースは町中の子供達の家を訪れる。  いかなる家庭の子供も平等に、そしてプレゼントを無償で渡すこの老人はしかしなぜ、子供達が寝静まった頃に現れるのだろうか。  考えてみれば、サンタクロースが何者かを説明できる大人はどれだけいるだろう。  赤い服に白髭、トナカイのそり――知っていることと言えば、せいぜいその程度の外見的特徴だろう。  言い換えればそれに当てはまる存在は全て、サンタクロースということになる。  たとえ、その心の奥底に邪心を孕んでいたとしても。

処理中です...