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絵本
絵本 4
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雨音は静かに続いていた。
おそらく、10分ほどはそうして本に目を落としていたと思う。時計を確認すると、もうすぐ閉館時間だ。閉館の作業を始めたら、きっと彼女は驚いて消えてしまう。だから、ギリギリまでは閉館作業を始めたくはなかった。
そんなことを考えながら顔を上げると、絵本を収めてある書棚の間に人影が見えた。
随分と背が高い。
絵本用の書棚は子供の身長に合わせて高さが一メートルと少しほどしかないから、その人物はまるでお辞儀をするように腰を曲げて、書架を覗き込んでいた。
絵本の棚はタイトルのあいうえお順に並んでいるから、長い指先をラベルのあたりに彷徨わせて、小さく唇が動いている。その仕草は興味のある本を探しているというよりは、読みたい本が決まっていて、そのタイトルをたくさんの本の中から見つけ出そうとしているように見えた。
その横顔に見覚えがある。
よく知っているというわけではない。
ただ、簡単には忘れられないくらいに整った容姿をしていたからだ。あの池で不穏な声を聞いた夜。フラッシュメモリを拾ってくれたチタンフレームの眼鏡の青年。
あの日と違って、グレーのチェスターコートにブルーグレイのマフラーと、温かそうな出で立ちだけれど、間違いないと確信できる程度にはあの日の出来事も、彼の容姿も印象的だった。
俺が見ている先で、その彼の指先が止まる。それから、す。と、一冊の絵本を引き抜いた。その本の表紙を、次に背表紙をゆっくりと確認する。身長の割に小さな頭が僅かに頷いて、彼はそれを持ったまま歩き出した。
そこで、俺ははっとした。
その先にはあの子がいたからだ。
きっと、その足音に驚いて彼女は消えてしまう。
それでもまた、雨の日になれば、何もなかったかのように彼女は現れるのだけれど、それでも、驚かすのは可哀想だった。けれど、何と言って彼を止めていいのかはわからない。きっと、本当のことを話しても信じてもらえないどころか、変な目で見られるだろう。
言葉を発することができないで、眼鏡の青年の歩いて行く先にいる少女に目を移すと、少女は俺が見たことのない表情をしていた。
いつも、自動ドアの方ばかり見ている視線が、青年の方を向いている。
大きな瞳の長い睫毛を瞬かせている少女は、怯えているようには見えなかった。ただ、不思議そうに首を傾げて、歩いてくる青年を見ている。
そう。
見ている。
彼女には、俺が見えない。
けれど、彼女には彼が見えているようだった。
絵本を手に持ったまま、青年は少女の近くまで来てから、少しだけ辺りを見回し、近くにあった青い座面の小さな椅子を手に取って、俺が少女のために置いたオレンジの椅子のすぐ近くに置く。それから、そこに座った。
彼の長い脚にはその椅子はかなり低すぎるだろう。けれど、彼がそれを気に留める様子は全くなかった。
長い脚を、す。と、組んでその上に絵本を載せる。
まるで、それは、横にいる少女に見やすいようにしているように見えた。
それから、彼は、ゆっくりとした動きで表紙を開いた。
もしかしたら、彼には彼女が見えているんだろうか。
俺は思う。
でなければ、彼のような年頃の男性があんなところに座って絵本を開いているなんて、あまり出会える場面ではない。絵本に興味があったとしても、平均的な成人男性より明らかに身体的に優れている彼にとって、少なくても子供用の椅子の座り心地がいいとは思えない。
しかも、わざわざ椅子を彼女のそばまで移動させて座っている。
おそらく、10分ほどはそうして本に目を落としていたと思う。時計を確認すると、もうすぐ閉館時間だ。閉館の作業を始めたら、きっと彼女は驚いて消えてしまう。だから、ギリギリまでは閉館作業を始めたくはなかった。
そんなことを考えながら顔を上げると、絵本を収めてある書棚の間に人影が見えた。
随分と背が高い。
絵本用の書棚は子供の身長に合わせて高さが一メートルと少しほどしかないから、その人物はまるでお辞儀をするように腰を曲げて、書架を覗き込んでいた。
絵本の棚はタイトルのあいうえお順に並んでいるから、長い指先をラベルのあたりに彷徨わせて、小さく唇が動いている。その仕草は興味のある本を探しているというよりは、読みたい本が決まっていて、そのタイトルをたくさんの本の中から見つけ出そうとしているように見えた。
その横顔に見覚えがある。
よく知っているというわけではない。
ただ、簡単には忘れられないくらいに整った容姿をしていたからだ。あの池で不穏な声を聞いた夜。フラッシュメモリを拾ってくれたチタンフレームの眼鏡の青年。
あの日と違って、グレーのチェスターコートにブルーグレイのマフラーと、温かそうな出で立ちだけれど、間違いないと確信できる程度にはあの日の出来事も、彼の容姿も印象的だった。
俺が見ている先で、その彼の指先が止まる。それから、す。と、一冊の絵本を引き抜いた。その本の表紙を、次に背表紙をゆっくりと確認する。身長の割に小さな頭が僅かに頷いて、彼はそれを持ったまま歩き出した。
そこで、俺ははっとした。
その先にはあの子がいたからだ。
きっと、その足音に驚いて彼女は消えてしまう。
それでもまた、雨の日になれば、何もなかったかのように彼女は現れるのだけれど、それでも、驚かすのは可哀想だった。けれど、何と言って彼を止めていいのかはわからない。きっと、本当のことを話しても信じてもらえないどころか、変な目で見られるだろう。
言葉を発することができないで、眼鏡の青年の歩いて行く先にいる少女に目を移すと、少女は俺が見たことのない表情をしていた。
いつも、自動ドアの方ばかり見ている視線が、青年の方を向いている。
大きな瞳の長い睫毛を瞬かせている少女は、怯えているようには見えなかった。ただ、不思議そうに首を傾げて、歩いてくる青年を見ている。
そう。
見ている。
彼女には、俺が見えない。
けれど、彼女には彼が見えているようだった。
絵本を手に持ったまま、青年は少女の近くまで来てから、少しだけ辺りを見回し、近くにあった青い座面の小さな椅子を手に取って、俺が少女のために置いたオレンジの椅子のすぐ近くに置く。それから、そこに座った。
彼の長い脚にはその椅子はかなり低すぎるだろう。けれど、彼がそれを気に留める様子は全くなかった。
長い脚を、す。と、組んでその上に絵本を載せる。
まるで、それは、横にいる少女に見やすいようにしているように見えた。
それから、彼は、ゆっくりとした動きで表紙を開いた。
もしかしたら、彼には彼女が見えているんだろうか。
俺は思う。
でなければ、彼のような年頃の男性があんなところに座って絵本を開いているなんて、あまり出会える場面ではない。絵本に興味があったとしても、平均的な成人男性より明らかに身体的に優れている彼にとって、少なくても子供用の椅子の座り心地がいいとは思えない。
しかも、わざわざ椅子を彼女のそばまで移動させて座っている。
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