真鍮とアイオライト 1

司書Y

文字の大きさ
上 下
13 / 392
絵本

絵本 4

しおりを挟む
 雨音は静かに続いていた。

 おそらく、10分ほどはそうして本に目を落としていたと思う。時計を確認すると、もうすぐ閉館時間だ。閉館の作業を始めたら、きっと彼女は驚いて消えてしまう。だから、ギリギリまでは閉館作業を始めたくはなかった。
 そんなことを考えながら顔を上げると、絵本を収めてある書棚の間に人影が見えた。

 随分と背が高い。
 絵本用の書棚は子供の身長に合わせて高さが一メートルと少しほどしかないから、その人物はまるでお辞儀をするように腰を曲げて、書架を覗き込んでいた。
 絵本の棚はタイトルのあいうえお順に並んでいるから、長い指先をラベルのあたりに彷徨わせて、小さく唇が動いている。その仕草は興味のある本を探しているというよりは、読みたい本が決まっていて、そのタイトルをたくさんの本の中から見つけ出そうとしているように見えた。

 その横顔に見覚えがある。
 よく知っているというわけではない。
 ただ、簡単には忘れられないくらいに整った容姿をしていたからだ。あの池で不穏な声を聞いた夜。フラッシュメモリを拾ってくれたチタンフレームの眼鏡の青年。
 あの日と違って、グレーのチェスターコートにブルーグレイのマフラーと、温かそうな出で立ちだけれど、間違いないと確信できる程度にはあの日の出来事も、彼の容姿も印象的だった。

 俺が見ている先で、その彼の指先が止まる。それから、す。と、一冊の絵本を引き抜いた。その本の表紙を、次に背表紙をゆっくりと確認する。身長の割に小さな頭が僅かに頷いて、彼はそれを持ったまま歩き出した。

 そこで、俺ははっとした。
 その先にはあの子がいたからだ。
 きっと、その足音に驚いて彼女は消えてしまう。
 それでもまた、雨の日になれば、何もなかったかのように彼女は現れるのだけれど、それでも、驚かすのは可哀想だった。けれど、何と言って彼を止めていいのかはわからない。きっと、本当のことを話しても信じてもらえないどころか、変な目で見られるだろう。

 言葉を発することができないで、眼鏡の青年の歩いて行く先にいる少女に目を移すと、少女は俺が見たことのない表情をしていた。
 いつも、自動ドアの方ばかり見ている視線が、青年の方を向いている。
 大きな瞳の長い睫毛を瞬かせている少女は、怯えているようには見えなかった。ただ、不思議そうに首を傾げて、歩いてくる青年を見ている。
 そう。
 見ている。
 彼女には、俺が見えない。
 けれど、彼女には彼が見えているようだった。

 絵本を手に持ったまま、青年は少女の近くまで来てから、少しだけ辺りを見回し、近くにあった青い座面の小さな椅子を手に取って、俺が少女のために置いたオレンジの椅子のすぐ近くに置く。それから、そこに座った。
 彼の長い脚にはその椅子はかなり低すぎるだろう。けれど、彼がそれを気に留める様子は全くなかった。
 長い脚を、す。と、組んでその上に絵本を載せる。
 まるで、それは、横にいる少女に見やすいようにしているように見えた。
 それから、彼は、ゆっくりとした動きで表紙を開いた。

 もしかしたら、彼には彼女が見えているんだろうか。
 俺は思う。
 でなければ、彼のような年頃の男性があんなところに座って絵本を開いているなんて、あまり出会える場面ではない。絵本に興味があったとしても、平均的な成人男性より明らかに身体的に優れている彼にとって、少なくても子供用の椅子の座り心地がいいとは思えない。
 しかも、わざわざ椅子を彼女のそばまで移動させて座っている。
しおりを挟む
感想 6

あなたにおすすめの小説

鬼上司と秘密の同居

なの
BL
恋人に裏切られ弱っていた会社員の小沢 海斗(おざわ かいと)25歳 幼馴染の悠人に助けられ馴染みのBARへ… そのまま酔い潰れて目が覚めたら鬼上司と呼ばれている浅井 透(あさい とおる)32歳の部屋にいた… いったい?…どうして?…こうなった? 「お前は俺のそばに居ろ。黙って愛されてればいい」 スパダリ、イケメン鬼上司×裏切られた傷心海斗は幸せを掴むことができるのか… 性描写には※を付けております。

放課後教室

Kokonuca.
BL
ある放課後の教室で彼に起こった凶事からすべて始まる

見ぃつけた。

茉莉花 香乃
BL
小学生の時、意地悪されて転校した。高校一年生の途中までは穏やかな生活だったのに、全寮制の学校に転入しなければならなくなった。そこで、出会ったのは… 他サイトにも公開しています

4人の兄に溺愛されてます

まつも☆きらら
BL
中学1年生の梨夢は5人兄弟の末っ子。4人の兄にとにかく溺愛されている。兄たちが大好きな梨夢だが、心配性な兄たちは時に過保護になりすぎて。

ハイスペックED~元凶の貧乏大学生と同居生活~

みきち@書籍発売中!
BL
イケメン投資家(24)が、学生時代に初恋拗らせてEDになり、元凶の貧乏大学生(19)と同居する話。 成り行きで添い寝してたらとんでも関係になっちゃう、コメディ風+お料理要素あり♪ イケメン投資家(高見)×貧乏大学生(主人公:凛)

【完結・BL】俺をフッた初恋相手が、転勤して上司になったんだが?【先輩×後輩】

彩華
BL
『俺、そんな目でお前のこと見れない』 高校一年の冬。俺の初恋は、見事に玉砕した。 その後、俺は見事にDTのまま。あっという間に25になり。何の変化もないまま、ごくごくありふれたサラリーマンになった俺。 そんな俺の前に、運命の悪戯か。再び初恋相手は現れて────!?

【完結】ぎゅって抱っこして

かずえ
BL
幼児教育学科の短大に通う村瀬一太。訳あって普通の高校に通えなかったため、働いて貯めたお金で二年間だけでもと大学に入学してみたが、学費と生活費を稼ぎつつ学校に通うのは、考えていたよりも厳しい……。 でも、頼れる者は誰もいない。 自分で頑張らなきゃ。 本気なら何でもできるはず。 でも、ある日、金持ちの坊っちゃんと心の中で呼んでいた松島晃に苦手なピアノの課題で助けてもらってから、どうにも自分の心がコントロールできなくなって……。

幸せの温度

本郷アキ
BL
※ラブ度高めです。直接的な表現もありますので、苦手な方はご注意ください。 まだ産まれたばかりの葉月を置いて、両親は天国の門を叩いた。 俺がしっかりしなきゃ──そう思っていた兄、睦月《むつき》17歳の前に表れたのは、両親の親友だという浅黄陽《あさぎよう》33歳。 陽は本当の家族のように接してくれるけれど、血の繋がりのない偽物の家族は終わりにしなければならない、だってずっと家族じゃいられないでしょ? そんなのただの言い訳。 俺にあんまり触らないで。 俺の気持ちに気付かないで。 ……陽の手で触れられるとおかしくなってしまうから。 俺のこと好きでもないのに、どうしてあんなことをしたの? 少しずつ育っていった恋心は、告白前に失恋決定。 家事に育児に翻弄されながら、少しずつ家族の形が出来上がっていく。 そんな中、睦月をストーキングする男が現れて──!?

処理中です...