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絵本
絵本 1
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雨の降る夜だ。
静かに。静かに。
細く、白い、印象を残して、空から地面へと雫が落ちる。
その雨音が、遠く、近く、聞こえる。
風はない。
だから、雨は僅かに壁に触れて、伝って、あまり長くない廂から、板敷きの床に落ちて音を立てる。
ぴちょん。
と、とぎれとぎれに、小さな音で。
ふと、視線を手元の本から大きなガラス張りの窓の外に移す。
外はもう、すっかりと日が暮れている。
窓の向こうはこの街ではそこそこに賑わっている通りなのだけれど、人の姿はあまり見えない。
雨のせいだろうか?
ガラス張りの窓から光が届く場所を赤い傘を差した女性が通り過ぎる。
なんだか、その赤に不穏なイメージが浮かんで、俺は伊達眼鏡をぐい。と、少し乱暴に押し上げた。
静かだ。
図書館の児童書用カウンターに座って、俺は返却された本の確認作業をしている。お隣の子育て支援センターはもう閉館しているから、誰もいない。見える範囲には誰もいない。
雨の日の夕方以降は利用者が少ない。一般のカウンターならまだしも、児童用のカウンターなんて、開店休業状態だ。
さみしい。
けれど、俺はこの時間も好きだった。
手に持っていた絵本を置いて、立ち上がる。それから、ゆっくりと、カウンター前の読書用の机の間を抜ける。
その先の児童文学の棚の間を歩く。
昼間の喧騒が嘘のように静かだ。
子供たちの笑顔や笑い声が、耳の奥に反響するように聞こえた気がした。小さい子の母親に話しかける声も、図書館は静かにするところだと知ったばかりの子供のひそめた囁き声も、もう少し大きい子の親の声の大きさを窘める声も微笑ましく、思い出せばそれは心の中で再生を始めた。
そんな静かなざわめきは、少しの不穏な色にささくれた心の表面を優しく撫でてくれる。
文学の棚を端まで歩き、そこから右に曲がって、児童文庫、その先の0類の棚を抜けると、そこは窓、というよりも、ガラスの外壁だ。道より少しだけ下がった場所に図書館の床はあって、窓の外には広いウッドデッキが広がっている。
雨に濡れたベンチが寂し気に見えるのは、さっきの不穏なイメージのせいだろうか。
仕事中に何考えてんの? 俺。
頭を振って思ったことを打ち消してから、俺はカウンターに戻ろうと、視線を巡らせた。
その時だった。
ちりん。
と。聞こえたのと同時に、ウッドデッキの向こうの道路を一台の車が通り過ぎた。そのヘッドライトが俺の視界をホワイトアウトさせる。道路から少し床が下がっているから、車のライトがもろに視界を白く埋めてしまったみたいだった。
眩しさに目を閉じようとした刹那、その白い視界の中、誰かが横切った。
それは、小さな子供のように、俺には見えた。
はっとして、目を開けると、そこにはもう、誰かの姿もなかった。
もう一度、目を閉じて瞼の裏に映った残像を見つめる。その残像の中に何物も見つけることができずに、ため息をついて俺は目を開けた。もう、車も走り去って、また、通りは静けさの中にいる。
もう一度目を閉じて開いても、そこに何か不穏なものが現れることはなかった。
静かに。静かに。
細く、白い、印象を残して、空から地面へと雫が落ちる。
その雨音が、遠く、近く、聞こえる。
風はない。
だから、雨は僅かに壁に触れて、伝って、あまり長くない廂から、板敷きの床に落ちて音を立てる。
ぴちょん。
と、とぎれとぎれに、小さな音で。
ふと、視線を手元の本から大きなガラス張りの窓の外に移す。
外はもう、すっかりと日が暮れている。
窓の向こうはこの街ではそこそこに賑わっている通りなのだけれど、人の姿はあまり見えない。
雨のせいだろうか?
ガラス張りの窓から光が届く場所を赤い傘を差した女性が通り過ぎる。
なんだか、その赤に不穏なイメージが浮かんで、俺は伊達眼鏡をぐい。と、少し乱暴に押し上げた。
静かだ。
図書館の児童書用カウンターに座って、俺は返却された本の確認作業をしている。お隣の子育て支援センターはもう閉館しているから、誰もいない。見える範囲には誰もいない。
雨の日の夕方以降は利用者が少ない。一般のカウンターならまだしも、児童用のカウンターなんて、開店休業状態だ。
さみしい。
けれど、俺はこの時間も好きだった。
手に持っていた絵本を置いて、立ち上がる。それから、ゆっくりと、カウンター前の読書用の机の間を抜ける。
その先の児童文学の棚の間を歩く。
昼間の喧騒が嘘のように静かだ。
子供たちの笑顔や笑い声が、耳の奥に反響するように聞こえた気がした。小さい子の母親に話しかける声も、図書館は静かにするところだと知ったばかりの子供のひそめた囁き声も、もう少し大きい子の親の声の大きさを窘める声も微笑ましく、思い出せばそれは心の中で再生を始めた。
そんな静かなざわめきは、少しの不穏な色にささくれた心の表面を優しく撫でてくれる。
文学の棚を端まで歩き、そこから右に曲がって、児童文庫、その先の0類の棚を抜けると、そこは窓、というよりも、ガラスの外壁だ。道より少しだけ下がった場所に図書館の床はあって、窓の外には広いウッドデッキが広がっている。
雨に濡れたベンチが寂し気に見えるのは、さっきの不穏なイメージのせいだろうか。
仕事中に何考えてんの? 俺。
頭を振って思ったことを打ち消してから、俺はカウンターに戻ろうと、視線を巡らせた。
その時だった。
ちりん。
と。聞こえたのと同時に、ウッドデッキの向こうの道路を一台の車が通り過ぎた。そのヘッドライトが俺の視界をホワイトアウトさせる。道路から少し床が下がっているから、車のライトがもろに視界を白く埋めてしまったみたいだった。
眩しさに目を閉じようとした刹那、その白い視界の中、誰かが横切った。
それは、小さな子供のように、俺には見えた。
はっとして、目を開けると、そこにはもう、誰かの姿もなかった。
もう一度、目を閉じて瞼の裏に映った残像を見つめる。その残像の中に何物も見つけることができずに、ため息をついて俺は目を開けた。もう、車も走り去って、また、通りは静けさの中にいる。
もう一度目を閉じて開いても、そこに何か不穏なものが現れることはなかった。
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