真鍮とアイオライト 1

司書Y

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散歩道

散歩道 3

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 と。それが、俺が初めて、そういうものを認識した日の出来事だった。
 いやもう。なんというか、テンプレ通りの霊体験。どこぞの掲示板ではおなじみ過ぎて、書き込んだら怒られるレベルのやつだ。
 大抵の場合、この後に後日談が続く。
 シンプルなやつだと、目覚めると家にいて、ベッドで寝ていた。とか。
 帰ってこない俺を心配した親が道端で俺を見つけたとか。
 ひねっているやつなら、その日からその男に付きまとわれるようになったとか。
 友達から、そこで自殺したやつがいるときかされたとか。

 俺ですか?
 あります。後日談。

 今日も、俺は日課の散歩をしていた。仕事終わりで歩き始めると、この季節にはもう、真っ暗だ。
 いつも通り、危険防止のため片耳だけイヤホンをつけて怪談朗読を聞き流しながら白く斑な光の島のある黒い道を歩く。初めてあんな体験をした日と少し季節は違っているけれど、同じような時間だ。

『あ。こんばんわ』

 一際暗く感じられる場所を通り過ぎながら、俺は軽く会釈した。
 相手は、何の反応も示さない。
 ただ、視線をゆっくりと左右に彷徨わせながら、何かを呟いている。

 そう。俺が挨拶したのは、あの日正体不明の靄から生まれた男だ。
 人間の本能なんて役には立たないって、あのとき知った。振り返った男は俺に別に何もしてこなかった。何にも見えてないみたいにゆっくりと視線を彷徨わせた後、また、何かを呟き始めた。
 振り返ったせいなのか彼が何を言っているかもわかった。

 ゆうめしはイ〇ンのコロッケでいいや。
 こんげつのみおおくてしゅっぴいたい。
 はるなにラインしないと、おこられるな。
 あースマホどこやったっけ?

 彼はずっと、そんなことを呟いていた。俺はあっけにとられて、それを10分近く聞いていた。
 だから、その人が営業の仕事をしている人だったということも。彼女がはるなって名前だってことも。趣味がサッカーで地元のチームの観戦に行くのがストレス解消なんだけど、負け続きで余計にストレスが溜まっていることも。今の彼女と結婚するためにお金を貯めているってことも。母子家庭だから母親を早く安心させてあげたいってことも。
 知ってる。

 現れ方はかなりアレだったけれど、普通の人だった。
 別に世の中に格段の未練があるわけでも、俺や世界に恨みがあるわけでも、なんか邪悪な意志とか怨念とかそんなものを持っているわけでもない。ただの普通のサラリーマン。近所のお兄ちゃんと同じ。
 だから俺は、その日も、ぺこり。と、頭を下げてその人の前を通り過ぎた。それから、その人に背を向けて真っすぐ進んで、角を曲がるときにふと思いついて振り返ったけれど、その人はまだ、そこにいた。

 って、いうか、それから、ずっとその人はそこにいる。
 昼間通るといないのは、多分、プロジェクションマッピングみたいなもので、強い光があると見えづらくなるからなんじゃないかというのは、俺の勝手な見解だ。
 ちなみに、彼が見えていたのは自分だけで、隣のクラスの自称霊感持ちを連れてきても何にも反応がなかった。

 多分これは俺が持っている病気か、特異体質みたいなもので、本当は彼が存在していないじゃないかと思っている。
 だから、ほとんど誰にも彼のことを話さなかったし、彼の話す内容から彼の身元やこんなことになっている経緯を知ろうとか考えたりはしなかった。なんというか、自分が病気だと証明することも、病気じゃないと証明することも怖かった。
 ただ、そんな努力?も空しく、このあと、俺は彼のような人?を当たり前のように何度も見てしまうことになった。

 今日も彼は俺に目もくれずに、何かを呟き続ける。
 さすがに、何年もその前を通っているから、彼の呟きには目新しいものはなくなって、殆ど知っている情報になっていた。ビデオテープみたいに繰り返し再生し過ぎたせいで画像が粗くなっているような気がする。

 俺がいなければこの呟きは誰にも聞かれなくて、ただ黒い道路に落ちて、溜まっていつか消えてくのかな?

 それがいいことなのか悪い事なのか、俺にはわからない。
 けれど、いや。だから、俺は今日も挨拶だけして、その人の前を普通に通り過ぎたんだ。

 ありがとう。

 それなのに、その日は違った。
 初めて聞く言葉に俺は振り返った。
 けれど、そこにその人はいなかった。まるで、最初から何もなかったかのように、現れた時のように突然に彼はいなくなった。

『ありがとう。って、なに?』

 彼がいた場所を見つめて俺は呟く。
 彼が見えていたのは自分だけだったから、その意図を誰かに聞くことなんてできない。彼が消えてしまったのか、たまたま今見えなくなっただけなのかもわからない。
 そしてそれが、どうして今日だったのかもわからない。
 ただ、毎日同じように見えていた彼の中でも変化はあって。もしかしたら、俺が彼を見えるように彼にも俺が見えていて。俺が彼を見ていたことが、彼の言葉を道端に散らかすことなく受け取っていたことが、彼の何らかの救いになったのかもしれない。

 そんなふうに感じた。
 秋の終わりの散歩道だった。
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