真鍮とアイオライト 1

司書Y

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水鏡

水鏡 5

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 けれど、固い感触はいつまでも訪れることはなかった。かわりに、誰かに腕を掴まれてぐい。と、引き戻される。

『え?』

 細い五本の棒状の何かが腕に絡んでいる感覚に、一瞬ぞっとした。けれど、それが、さっき足に絡みついていた何かとは違って、冷たくも硬くもないことに気付く。
 だから、俺はおそるおそる視線をあげた。

『大丈夫っすか?』

 そこにいたのは、随分と背の高い青年だった。月明かりに照らされた顔はかるく引くくらいのイケメンだ。

『…はあ』

 さっきまでのことと相まって、あまり現実感がないその容姿に、思わずそう答えた。
 それは考えてみれば本当に間が抜けていて、随分と礼儀知らずだったのではないかと、あとになってから、述懐する。でも、その時は何も考えられなかった。状況は完全に俺のキャパシティを超えていた。

『こんなところでこけたら顔に砂利がめり込みますよ?』

 砂利道に僅かに視線を遣ってから、俺がちゃんと立っていることを確認して、青年は手を離した。つられて視線を下に落とすと、視界の端に水面が映る。
 波紋が立って、歪んだ月が見える。
 ぱしゃん。と、さっきの音は小石か何かが水面を打った音だろうか。
 水面に映ったモノが歪んで消えたから、あの声も消えたのだろうか。
 というか、そもそもあれはなんだったんだろうか。

『あれ?』

 今までも、そこそこいろいろな目に逢ってきたけれど、こんな明らかな敵意? 害意? は、初めて感じた。いや、あれはそう言うものなんだろうか。
 いわゆる、悪意。と、呼ばれるような何か。
 なんだか、少しだけ違う気がした。
 そんなことをまた、取り留めもなく考えていると、背の高い青年は何かに気付いたように身を屈めて何かを拾い上げた。

『これ、お兄さんのすか?』

 その手には、夕方失くしたフラッシュメモリがあった。
 え? と、また、疑問が増える。
 確かにそこは、さっき探したはずの場所だ。あの古いキーホルダーが落ちていた辺りだ。他の場所ならともかく、草を分けた跡もあるから、間違いないはずだった。

『…え?』

 俺の返事を聞いて、青年はす。と、それをこちらに向かって差し出した。
 さっきも思ったのだが、青年はちょっとこんな田舎にはなかなかいないようなイケメンだった。
 多分、大学生くらい。美術室にある石膏像のような整った、それでいて灰汁のない顔立ち。おそらくチタンフレームのシャープな印象の眼鏡。感情を読み取れるほどの表情はない。
 長めの髪を後ろに流している。少しだけ額に下ろした髪が、青白い肌に落とす月影がまるで作り物のように見えて、この世の生き物ではないんじゃないかなんて、三文小説のようなつまらない感想が頭を過る。
 俺だって、割と平均的成人男性だと思うけれど、間違いなく頭一つ分は背が高い気がする。それ以上に腰の位置の高さが違う。にもかかわらず、服装はいたって普通。ユ〇クロで全部そろいそうな感じは、おしゃれにことさら気を使っているようには見えない。
 それでも、総合しても上の上。
 自分が妙齢の女子なら、運命の王子様だと、目を輝かせてしまうところだ。

『違いました?』

 しかも、なんだかよくわからない、且つ己の力では絶対に不可避な危機的状況から、救ってくれたのだとなると、1.5倍(当社比)には、輝いて見えることだろう。
 まさに、少女漫画における黄金の予定調和だ。

『や。あの。俺のです』

 しかし、俺は妙齢の女性でもなければ、これは少女漫画ではない。颯爽と現れたイケメンなだけの不審人物に簡単に心を許してしまえるほどの乙女回路を俺は持ち合わせてはいなかった。
 だがしかし。だがしかし。だ。
 助けてくれたのかはともかくとして、落とし物を拾ってくれた人を俺にしか根拠のわからない理由で不審人物扱いするのも、節度のある大人としてはよろしくない。
 だから、俺は差し出してくるそれを恐る恐る受け取った。
 見た目は何の問題もない。傷もないし、濡れたり汚れたりもしていない。落とした時のままだ。
 けれど、それが何か別の気持ちの悪いもののように思える。

『それじゃ』

 受け取ったフラッシュメモリを眺めている間に、イケメン君はくるり。と、背中を向けて、さっさと歩きだしてしまった。

『え?』

 少女漫画みたいに、おっちょこちょいをばかにされる展開も。意味深な言葉を残して去る的な展開もない。
 ミステリーみたいな怪しげなメモを渡されるような展開も。受け取ったフラッシュメモリが違うものだった展開もない。いや。メモリが入れ替えられているってことはあるかもしれないけれど、メモリに貼ってある自作のステッカーまで再現しているとは思えないし。
 ホラーみたいにドロドロのヤバ気な液体が付着していたとかいう展開もなさそうだ。最悪、なんかヤバい画像が記録されていて消せなくなっているとかはあるかもしれないから、家に帰ったら確認してみよう。
 とにかく、まるで何もなかったように、イケメン君は去っていった。

『あ』

 そこで、思い出す。

『お礼。言ってない』

 けれど、イケメン君の背中は、もう、見えなくなっていた。

『え?』

 見通しはいい。暗い道には遮るものはない。
 それなのに、僅かに気をとられている間に、彼はいなくなった。

『…はい??』

 ど。っと、嫌な汗が噴き出す。
 また、どこからか、ちりん。と、音が聞こえた気がして、俺は慌てて自転車に飛び乗って、全速力で家路についた。

 その後。家でフラッシュを確認したが、ヤバい画像が記録されているというようなことはなかった。
 のだが、仕事用の資料のデータが何ページにもわたってズレていて、副館長の終始笑顔で穏やかな口調でありながら、その圧たるや深海200米というお説教が何よりも恐ろしかった俺だった。
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