真鍮とアイオライト 1

司書Y

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水鏡

水鏡 2

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 正直、怖くはない。某チャンネル様に怖い話として書き込んだらスレ違いだと怒られるレベルだと思う。 そう。市民交流センターの3階サロンで聞いていれば。いや、友達と宅飲みで話している場合でもだ。
 でも、今は笑えない。
 何故なら今。深夜11時を過ぎた今。自分はその噂話の舞台となったその場所にむかっているからだ。

 もともと、そのため池は俺の通勤路の途中にある。
 駐車代をケチってチャリ通をしている俺は、今日の夕方帰り道、その池の前でこけた。こけた時はなんということもなかった。ただ、心配そうにウインドウを下ろしながら徐行してくるタクシーの運ちゃんの視線が恥ずかしすぎて、こけた拍子に投げ出されたカバンを慌てて拾って“なんでもないです!”と、大声で言って逃げるようにその場を後にした。
 本当は肘がズル剥けていたし、自転車の塗装は剥げていたし、カバンは埃だらけだったけれど。家に帰りつくまでは我慢した。
 けれど、問題はそれで終わらなかった。

 カバンに入れていたはずのUSBメモリがない⇒
 明日の仕事でUSBメモリとその中身が必要⇒
 職場を出るときには確実に持っていたから、落としたとしたらこけた時としか考えられない⇒
 拾いに行かないといけない。

 以上論理的に考えた結果、俺は後は布団に入って寝るだけという夜11時過ぎになってから噂の場所に向かうことになってしまったのだった。

 初夏に移り変わる季節の風はまだ、少し肌寒い。けれど、風呂に入って火照った頬にはちょうどいい。髪を弄る風がシャンプーの香りと余韻を夜の中に溶かしていく。
 転んだ時にどこかが曲がってしまったのか、愛車はペダルをこぐたびにキィと、小さな音をあげる。県道とは名ばかりの片側一車線の田舎の道路はこの時間になればひっそりと静まり返っているから、その小さな悲鳴のような音がやけに耳についた。

『修理代。いくらかかるだろ』

 そんなことを独り言のように呟く。しかし、その声が思いのほか大きく聞こえて、どきりとした。そのくらいに、静かだ。
 ここにつくまでもすれ違ったのは大型のバイク一台だけだ。道は真っすぐで左右には家屋も少ない。見通しはいいのに来し方も、行く先も動くものの気配すら感じられない。
 街灯はまばらだが、今夜は月が明るく、整備された道で足もとにとりわけ注意を払わなければいけないようなこともなかった。

 こんなところでこけるなんて。

 夕方こけた場所で俺はブレーキをかけた。邪魔にならないよう脇道のほうに自転車を停め、改めてあたりを見回した。自転車ごとこけるような要素は見つからない。
 県道から3・40メートルほど脇に入ったところに神社があるのだが、もともと神主が常駐するような大きな神社でもないので、今はひっそりと静まり返っている。朱色の鳥居のわきに古い街灯がポツンとともっているのが返って静けさを際立たせているような気がした。

 っていうか、むしろ何故に寝る前に気付いてしまったのか。気づかないで寝てしまえれば、明日副館長に怒られれば済む話だったのに。

 心の中で悪態をつく。
 その神社と県道を繋ぐ道の脇に件の溜め池があった。
 ため池とはいっても、深さは50センチもない。だから、その池の周りは池の縁から5・60センチ程度の場所に、膝下くらいのロープを渡しただけの柵で囲われているだけで、入ろうと思えば誰でも池の縁まで入ることができる。
 一体何の用途に使われているかは不明だが、池の水は小さな川が入り込んで循環していて、濁ることなくいつも綺麗だった。
 もちろん、中学生の噂話なんて信じているわけじゃない。だから、池の縁からなるべく身を離して懐中電灯の明かりをつけたのは物理的に池に落ちることを防ぐためだ。論理的かつ合理的に必要性があったためで…。断じて怖いとかそんなことは…ない。
 別に誰にするでもない言い訳がましいことを考えながら、懐中電灯の光を巡らせると、キラリ。と、何かが光を反射した。メモリはプラスチック製で光沢があるヤツだったから、もしかしたら、と、もう一度そのあたりを照らす。そうすると今度は雑草の間から何かが懐中電灯の明かりを返してくるものがあるのがわかった。

『あれか?』

 確か、あれは夕方カバンが落ちた辺りだ。
 もしかしたら、気が急いていたのかもしれない。早く家に帰りたかった。こんなところに長居したくなかった。だから、警戒していなかったわけではなかったけれど、俺は不用意にそれに近づいてしまったんだ。 草で隠れてはいるけれど、水際まで数センチ。明かりをさらに近づける。
 ロープの柵を越え、雑草を片手でかき分け、そこを覗き込む。
 覗き込んだ先にあったのは。

『なんだよこれ』

 そこに落ちていたのは、金具の外れた古いキーホルダーだった。どこかで見たようなゆるキャラと小さな金色の鈴がついている。
 触れてもいないのに、その鈴がちりん。と、鳴ったような気がした。
 その音にも聞き覚えがあったような気がして、手を伸ばす。
 そこで、俺ははたと気付いた。
 いつの間にか、池のギリギリまで近づいてしまっている。僅かに顔をあげれば、水面が覗き込めてしまう位置に俺は立っていた。

 あの中学生たちのバカみたいな噂なんて信じていない。
 何かがあるなんて信じていないから、何もないのだと確認したい。
 けれど、万が一ってことないだろうか。と、不安になる。嫌な感じがするとか、心霊体験談ではよく言うけれど、俺はそんなもの感じられるような特殊能力は持ち合わせてはいない。もちろん、中学生の噂なんてっていうセリフが同じく心霊体験談では間違いなくフラグになりえるってよく知ってる。

 見ようか。見ないようにして逃げ出そうか。

 葛藤はほんの数秒だっただろう。
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