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はなびら

05-2

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「ありがとな。じゃあ、帰ろうか」

 そ。っと、一青の手が背中に触れる。促されて立ち上がると、一青が荷物を持ってくれる。

「大丈夫。自分で持てるよ」

 そんなふうに、ご機嫌を取ってくれなくても大丈夫だよ。
 と、苦笑して、荷物を受け取ろうと、手を伸ばす。そうすると、その手を掴んで、一青が、ぐい。と、翡翠を引き寄せた。

「……あ」

 そのまま、腕の中に閉じ込められる。

「一青……?」

 ぎゅう。と、強く抱かれて、翡翠は苦しさに身を捩った。

「そんなふうに……聞き分けよくならないで?」

 耳元に一青が囁く。甘い。甘い声。一瞬で鼓動が早くなって、翡翠はびくり。と、身を竦めた。

「でも。本当に……一青が悪くないの。わかってるし」

 悪戯が一青の責任でないことくらいは分かっているし、今回は無駄足だったけれど、呼び出しが来たとき、スレイヤーであれば、駆け付けるのは当たり前だ。少なくとも、翡翠は、聞き分けよくなければいけないと自戒しているわけではない。スレイヤーを伴侶として持つものが、当たり前のこととして受け入れていることを翡翠も受け入れているだけだった。

「わかってる。……俺のほうが。翡翠といられる時間が少なくなるのが辛いだけ」

 ちゅ。と、音がするような可愛いキスが髪の落ちてくる。優しい恋人の優しい言葉と扱いが嬉しくて、翡翠はもう、それだけで全部満たされてしまう。場所なんてどこでもいいし、何もしなくてもいい。翡翠はスレイヤーである一青を好きになった。だから、昨日、一青が言っていたのと同じ。ただ、こうして自分のところに帰ってくれれば翡翠はそれでいいと思う。

「大丈夫。約束しただろ? 俺はどこにも行かない。だから、時間は沢山あるよ」

 一青の背に手を回して抱きしめる。
 一青と出会ってからの数日間、二人はべったりと、四六時中一緒だった。それこそ、どこへ行くのも一緒だったし、不安がる翡翠を一青は離そうとはしなかった。しかし、翡翠に護衛がついて、一青が仕事に復帰してから数週間は、あまり二人きりの時間を取ることができなくなっていた。一青は泊まりの仕事はなかったから、一日一度は必ず顔を合わせることはできたけれど、出来立ての恋人同士には少し物足りない。と、一青が思ってもおかしくない。

「今日は一青の好きなもの作るよ。……紅二が寝たら、一緒にお風呂入ろう?」

 いつもは一家の大黒柱として、一人前のスレイヤーとして、歳の割に落ち着いた一青が、時折見せてくれるようになった甘えが、堪らなく可愛く思えて、翡翠は精一杯明るく、優しい声で言う。そんなふうに甘えられるくらい自分の隣では安心してくれていると思うと嬉しい。

「翡翠の全部。俺が洗ってもいい?」

 身体を離して、翡翠の顔を覗き込んで、一青が言った。伺うような表情に、鳩尾のあたりがぎゅ。と、締め付けられるみたいだ。つまりは、きゅん。と、している。

「いいよ。一青は俺が洗ってあげる」

 そう答えると、一青は少年のような笑顔を浮かべた。

「じゃあ。帰ろうか。何が食べたい?」

 翡翠が背伸びをして、ちゅ。と、頬にキスをすると、一青は少し思案気な顔をする。それから、翡翠の頬にキスを返してくれた。

「うん……翡翠が作るもんは大抵美味いけど……今日は肉食いたい」

 一青の若者らしい答えにくすり。と、笑って、翡翠も少し思案する。

「じゃあ……サムギョプサルとかいいかな?」

 翡翠の提案に一青の顔が明るくなった。どうやら、お気に召したようだ。
 身体を離して、いこうか。と、促され、歩き出す。そして、部屋を出たところで、一青は立ち止まり、部屋の方を振り返って鍵を掛けた。

「あ。鍵返してくるから、ちょっと待ってて」

 ちゃり。と、音をさせて、翡翠が待っていられるように借りてくれた応接室の鍵を振って見せて、一青が言う。翡翠が頷くのを待ってから、一青は背を向けた。
 そこで、翡翠ははっとした。
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