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短編集 【L'Oiseau bleu】
麒麟と九尾と一角と 2
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「……一青はまだ戻らんのかね?」
ウインドウの文字を視線で追いながら、大泉医師は話題を変えてきた。
「あ。はい」
マウスポインタの動く先を見つめていた翡翠は、その言葉に我に返ったように答える。
「戻ったら、声、かけてくれると思うから。まだだと思います」
一青は翡翠を病院に残して、所属事務所に報告に行っていた。
魔法庁を信じてはいない一青だったけれど、この大学附属病院には信頼を置いているらしい。もちろん、それは、大泉医師がここにいるからだと思うけれど、病院の警備に当たっているのが一青の所属ギルド『黎明月』のスレイヤーだということも大きい。
翡翠の診察や検査には大分時間がかかってしまうのはわかっていたので、その間翡翠を大泉医師や病院の警備スレイヤーに任せて外出しているのだ。大学病院にも、国家の利益に関わるほどの重要な研究をしている研究者が多数在籍し、最先端の技術や研究結果が無造作に保存されている。それらを守るため おそらく、ここ女神川学園大学附属病院の警備の堅牢さはこの国でも五本の指に入るほどだ。
「君の感じている……それは。不安? かね?」
老医師の声にいつの間にか俯いていた顔を上げると、彼は優しく微笑んでいた。
「魔光が揺らいでいる」
真っすぐに見つめる瞳に、答えに窮して、翡翠はその笑顔から顔を逸らした。
この病院の警備はいくら翡翠が国家元首並みの最重要警護対象であろうと十分に守り切れるだけの強さがある。それに、大泉医師がいることで、精神面でも翡翠にとって好条件であることは間違いない。
「……え……っと」
それでもなお、不安でならないのだ。
「……あの。不安というか……落ち着かないというか……いえ。警備に問題があるとか。そういうことじゃなくて。……ただ。その。……すみませ……ん」
語尾は小さくなって消えた。
ずっとついて回っている重苦しい感覚が、不安だということにはもちろん気付いていた。それがどうしてなのかもわかっている。
一青が近くにいないからだ。
頭ではここにいれば大丈夫だとわかっているし、ここで待っていれば一青が迎えに来てくれるのだということを信じている。
それが分かっていても、不安が消えない。
手が届く場所に。視界に映る場所に。いつでも、一青の姿を探している。探して見つからないと、途端に不安になる。
もし今、黒蛇の連中が現れたら。
もし今、”あいつ”に見つかってしまったら。
そんなことがありえないと分かっていても、怖いのだ。
見つかったら奪われる。自由も、尊厳も、力も、身体も、きっと、愛する人も。
心配をかけたくないし、いつもそばにいてほしいなんて、我儘が過ぎるとも分かっているし、現実的な問題として、そんなことが可能だとは思っていない。わかっているから、隠していた。つもりだった。
それなのに、大泉医師には気付かれてしまったようだった。
「翡翠。謝る必要なのないのだよ?」
パソコンから翡翠の方に向き直って、老医師が言う。
終始変わることない、穏やかな口調だった。翡翠の葛藤をわかっているよ。と、包み込んでくれるような表情だった。
「不安でいいんだ。それは、当たり前の心の動きだ。君が経験した過去を思えば、君が今そうして理性的でいられることの方が驚くべきことなのだ。
私が危惧しているのはね。君が不安を無理矢理に抑え込もうとしていないかということだ。不安だというなら、隠す必要はない。隠さずに一青に話せばいい。一青に言いにくいなら、私が聞こう。
いずれにせよ。一人で抱えてはいけない」
一言一言ゆっくりと、諭すように大泉医師は言った。不思議な説得力がある言葉に、翡翠は思わず頷く。
ウインドウの文字を視線で追いながら、大泉医師は話題を変えてきた。
「あ。はい」
マウスポインタの動く先を見つめていた翡翠は、その言葉に我に返ったように答える。
「戻ったら、声、かけてくれると思うから。まだだと思います」
一青は翡翠を病院に残して、所属事務所に報告に行っていた。
魔法庁を信じてはいない一青だったけれど、この大学附属病院には信頼を置いているらしい。もちろん、それは、大泉医師がここにいるからだと思うけれど、病院の警備に当たっているのが一青の所属ギルド『黎明月』のスレイヤーだということも大きい。
翡翠の診察や検査には大分時間がかかってしまうのはわかっていたので、その間翡翠を大泉医師や病院の警備スレイヤーに任せて外出しているのだ。大学病院にも、国家の利益に関わるほどの重要な研究をしている研究者が多数在籍し、最先端の技術や研究結果が無造作に保存されている。それらを守るため おそらく、ここ女神川学園大学附属病院の警備の堅牢さはこの国でも五本の指に入るほどだ。
「君の感じている……それは。不安? かね?」
老医師の声にいつの間にか俯いていた顔を上げると、彼は優しく微笑んでいた。
「魔光が揺らいでいる」
真っすぐに見つめる瞳に、答えに窮して、翡翠はその笑顔から顔を逸らした。
この病院の警備はいくら翡翠が国家元首並みの最重要警護対象であろうと十分に守り切れるだけの強さがある。それに、大泉医師がいることで、精神面でも翡翠にとって好条件であることは間違いない。
「……え……っと」
それでもなお、不安でならないのだ。
「……あの。不安というか……落ち着かないというか……いえ。警備に問題があるとか。そういうことじゃなくて。……ただ。その。……すみませ……ん」
語尾は小さくなって消えた。
ずっとついて回っている重苦しい感覚が、不安だということにはもちろん気付いていた。それがどうしてなのかもわかっている。
一青が近くにいないからだ。
頭ではここにいれば大丈夫だとわかっているし、ここで待っていれば一青が迎えに来てくれるのだということを信じている。
それが分かっていても、不安が消えない。
手が届く場所に。視界に映る場所に。いつでも、一青の姿を探している。探して見つからないと、途端に不安になる。
もし今、黒蛇の連中が現れたら。
もし今、”あいつ”に見つかってしまったら。
そんなことがありえないと分かっていても、怖いのだ。
見つかったら奪われる。自由も、尊厳も、力も、身体も、きっと、愛する人も。
心配をかけたくないし、いつもそばにいてほしいなんて、我儘が過ぎるとも分かっているし、現実的な問題として、そんなことが可能だとは思っていない。わかっているから、隠していた。つもりだった。
それなのに、大泉医師には気付かれてしまったようだった。
「翡翠。謝る必要なのないのだよ?」
パソコンから翡翠の方に向き直って、老医師が言う。
終始変わることない、穏やかな口調だった。翡翠の葛藤をわかっているよ。と、包み込んでくれるような表情だった。
「不安でいいんだ。それは、当たり前の心の動きだ。君が経験した過去を思えば、君が今そうして理性的でいられることの方が驚くべきことなのだ。
私が危惧しているのはね。君が不安を無理矢理に抑え込もうとしていないかということだ。不安だというなら、隠す必要はない。隠さずに一青に話せばいい。一青に言いにくいなら、私が聞こう。
いずれにせよ。一人で抱えてはいけない」
一言一言ゆっくりと、諭すように大泉医師は言った。不思議な説得力がある言葉に、翡翠は思わず頷く。
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