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短編集 【L'Oiseau bleu】
麒麟と九尾と一角と
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国立女神川学園大学病院魔道医学科診察室。
数日前からすっかり馴染みの部屋になった場所に翡翠はいた。
部屋にはほかに誰もない。大きなスチール製のデスクの上にパソコンと綺麗に分類された資料。何冊かの医学書。走り書きのあるメモ用紙。どこの部位なのかわからないけれど、レプリカの骨。ペン立てにはたくさんのペンや文具がささっている。
机の正面の壁はホワイトボードになっていて手書きの付箋や、院内の配布物が所狭しと張り付けられていた。その一角に子供が書いたと思しき豪快なクレヨンの人物画が貼ってある。きっと、この机の主の患者が彼に送ったものだろう。笑い皺のある顔は緻密とは言い難いけれど、よく特徴を捉えていると思う。
それ以外にも、子供の筆跡と思われる手紙。折り紙で折られた鶴や飛行機や花。それらが貼られている場所は、その周囲の事務的な雰囲気とは少し違っていて、きっと、大切にしているのだろうと想像ができた。
大泉医師の椅子の前に置かれた丸椅子に座って、翡翠はそれを眺めていた。
時刻はもう、4時近い。さっきまでずっと、嫌になるくらいたくさんの検査を受けさせられていた。それはもう、身体の隅から隅まですべてを暴かれたような気分だ。
ただ、大泉医師による配慮と思われるけれど、どの職員も翡翠をあくまでごくごく一般の患者のように扱ってくれた。翡翠を実験動物のように扱っていたフロンティアラインの系列病院にいたときとはまったく待遇が違う。
だから、疲れてはいたけれど、翡翠のことを知るため。知って心身の健康を保つため。と大泉医師の言葉を素直に受け入れることができた。
病室は静かだ。
遠くから、さわさわ。と、人の息遣い。気配のような音が聞こえて来る。時折、院内の呼び出しの放送も聞こえる。
目を閉じて耳を澄ませば、何なのかは分からないけれど、機械の作動音や内線電話の呼び出し音。足音や話声までも聞き取ることができた。
「……あ」
そうして耳を澄ましていたからだろう。遠くから、聞き覚えのある足音が聞こえた。それは、迷うことなく翡翠のいる部屋の方向に向かってくる。
と。思っていたけれど、途中でふと、立ち止まったようだ。
それから、低い話声。よく聞き取れない。もしかしたら、翡翠に聞かれないように配慮しているのかもしれない。話声が途切れると、さっきの足音とは違う足音が二つ、遠ざかっていった。それが、遠くなって周囲のざわめきに溶けるほど小さくなってから、さっきの足音が翡翠の部屋の方に再び歩き出した。
そして、今度は立ち止まることなく部屋の前まで来て、こここん。と、ノックの音がした。
「……はい」
部屋の主というわけもないのに。と、躊躇いがちに応えると、スライド式のドアが開いた。
「やあ。お疲れ様だったね?」
ドアを開けたのは想像通りの人だった。
魔道医療科教授の大泉医師だ。人懐こい笑顔を浮かべて、そう言うと、部屋の主は翡翠の前を通り抜けて、デスクの前の椅子に座った。
「検査が多くて、嫌になっただろう?」
机の上の走り書きに少し視線を向けてから、大泉医師は翡翠に視線を移した。深い色の優しい瞳はまるで、孫を見る祖父のような色合いだ。
「……嫌というわけではないんですが。調べることがそんなにあることに、純粋に驚きました」
だから、翡翠も素直に感想を口にすると、大泉医師は笑顔をさらに濃くして、パソコンの電源をONにした。ヴン。と、小さな作動音。すぐに画面にメーカーのロゴが表示される。
「本来ならまだまだ調べなければいけないことはあるんだが……とりあえずは君の健康状態を把握するのに必要最低限にしておいたよ。追加の検査が必要になるかもしれないが、それはまた今度にしよう。君が心身の健康のバランスを崩すようでは意味がないからね」
立ち上がったパソコンを慣れた手つきで捜査して、診断結果を画面に表示させる。次々と表示されるウインドウを翡翠も何気なく見つめていた。
数日前からすっかり馴染みの部屋になった場所に翡翠はいた。
部屋にはほかに誰もない。大きなスチール製のデスクの上にパソコンと綺麗に分類された資料。何冊かの医学書。走り書きのあるメモ用紙。どこの部位なのかわからないけれど、レプリカの骨。ペン立てにはたくさんのペンや文具がささっている。
机の正面の壁はホワイトボードになっていて手書きの付箋や、院内の配布物が所狭しと張り付けられていた。その一角に子供が書いたと思しき豪快なクレヨンの人物画が貼ってある。きっと、この机の主の患者が彼に送ったものだろう。笑い皺のある顔は緻密とは言い難いけれど、よく特徴を捉えていると思う。
それ以外にも、子供の筆跡と思われる手紙。折り紙で折られた鶴や飛行機や花。それらが貼られている場所は、その周囲の事務的な雰囲気とは少し違っていて、きっと、大切にしているのだろうと想像ができた。
大泉医師の椅子の前に置かれた丸椅子に座って、翡翠はそれを眺めていた。
時刻はもう、4時近い。さっきまでずっと、嫌になるくらいたくさんの検査を受けさせられていた。それはもう、身体の隅から隅まですべてを暴かれたような気分だ。
ただ、大泉医師による配慮と思われるけれど、どの職員も翡翠をあくまでごくごく一般の患者のように扱ってくれた。翡翠を実験動物のように扱っていたフロンティアラインの系列病院にいたときとはまったく待遇が違う。
だから、疲れてはいたけれど、翡翠のことを知るため。知って心身の健康を保つため。と大泉医師の言葉を素直に受け入れることができた。
病室は静かだ。
遠くから、さわさわ。と、人の息遣い。気配のような音が聞こえて来る。時折、院内の呼び出しの放送も聞こえる。
目を閉じて耳を澄ませば、何なのかは分からないけれど、機械の作動音や内線電話の呼び出し音。足音や話声までも聞き取ることができた。
「……あ」
そうして耳を澄ましていたからだろう。遠くから、聞き覚えのある足音が聞こえた。それは、迷うことなく翡翠のいる部屋の方向に向かってくる。
と。思っていたけれど、途中でふと、立ち止まったようだ。
それから、低い話声。よく聞き取れない。もしかしたら、翡翠に聞かれないように配慮しているのかもしれない。話声が途切れると、さっきの足音とは違う足音が二つ、遠ざかっていった。それが、遠くなって周囲のざわめきに溶けるほど小さくなってから、さっきの足音が翡翠の部屋の方に再び歩き出した。
そして、今度は立ち止まることなく部屋の前まで来て、こここん。と、ノックの音がした。
「……はい」
部屋の主というわけもないのに。と、躊躇いがちに応えると、スライド式のドアが開いた。
「やあ。お疲れ様だったね?」
ドアを開けたのは想像通りの人だった。
魔道医療科教授の大泉医師だ。人懐こい笑顔を浮かべて、そう言うと、部屋の主は翡翠の前を通り抜けて、デスクの前の椅子に座った。
「検査が多くて、嫌になっただろう?」
机の上の走り書きに少し視線を向けてから、大泉医師は翡翠に視線を移した。深い色の優しい瞳はまるで、孫を見る祖父のような色合いだ。
「……嫌というわけではないんですが。調べることがそんなにあることに、純粋に驚きました」
だから、翡翠も素直に感想を口にすると、大泉医師は笑顔をさらに濃くして、パソコンの電源をONにした。ヴン。と、小さな作動音。すぐに画面にメーカーのロゴが表示される。
「本来ならまだまだ調べなければいけないことはあるんだが……とりあえずは君の健康状態を把握するのに必要最低限にしておいたよ。追加の検査が必要になるかもしれないが、それはまた今度にしよう。君が心身の健康のバランスを崩すようでは意味がないからね」
立ち上がったパソコンを慣れた手つきで捜査して、診断結果を画面に表示させる。次々と表示されるウインドウを翡翠も何気なく見つめていた。
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