121 / 174
短編集 【L'Oiseau bleu】
その一秒は短いけれど輝く宝石の如く 5
しおりを挟む
翡翠を抱いたまま部屋に入って、鍵を閉めなおすと、一青はすぐに部屋の奥、ベッドの淵にそっと、身体を下ろしてくれた。少し、名残惜しい。
「……あ。の……。一青……あした。その。また、大泉先生の診察あるし。今夜は……その。いや……では、ないんだけど……」
昨夜のことが思い出されて、思わずしどろもどろになってしまう。一青が望んでくれるなら、セックスすることは嫌ではない。断じて嫌ではない。けれど、それを大泉医師に知られるのは恥ずかしい。一青はともかく、翡翠はいい年しているくせに、歯止めも効かずにヤりたい放題と、一青の親代わりに人に思われるのは恥ずかしいし、情けない。
「わかってる。今日はなんもしない。だから、ここに……そばにいさせて?」
誰も見てはいないのに、一青は翡翠の耳に口元を寄せて、誰にも教えられない秘密を告げるように囁いた。その低い囁きにぞくり。と、背筋を何かが駆けあがる。
そのまま、そっと、ベッドに身体を横たえられると、昨夜のことが頭を過る。もう、だめだと。ゆるして。と、何度言っても、一青は許してくれなかった。それが、堪らなく嬉しかった。思い出すと、駆け上がってくる熱が、受け入れる場所の奥に集まってた溜まっていくような気がする。
「……一青」
複雑な気持ちだった。
一青に求められるのは嬉しい。
元々、翡翠はあまりそういった欲求が強いほうではない。けれど。それでも、身体の奥に何かが生まれたものは、間違いなくほしいという欲だった。
「そんな顔……しないで。決心が鈍る」
一青が言っているような、そんな顔をしている自覚はあった。一青の腕を、その手のなぞる感覚を期待している自分がいることくらいは知っている。そして、それを隠せるほど、翡翠は恋愛経験豊富でも、駆け引き上手でもなかった。
「もしかして、俺のこと、試してる?」
するり。と、一青の手が頬を撫でて、そのまま髪に絡む。ぎし。と、音を立てて大きな身体が、包み込むように圧し掛かってくる。
微かに鼻腔を撫でる一青の香り。すぐ近くで翡翠を覗き込む青い瞳。鼓膜の奥を擽るような低くて甘い囁き。身体に感じる気遣うような心地よい重み。全部が確かにそこに一青がいるのだと教えてくれる。
「……試してなんて。俺だって。……我慢してるつもり。なんだけど」
好きだ。と、思いが溢れそうになった。
なったけれど、口にはしなかった。
してしまったら、止まれなくなるのは目に見えていた。
「一青こそ。俺のこと煽って遊ばないで」
一青が本気なことくらいわかっている。だから、そんな言葉で牽制したいのは一青ではなくて、自分自身だ。
翡翠は思う。
溺れてしまうのは簡単だし、今までの経緯を考えれば綺麗でもない自分が他人にどう思われようがどうでもいいかもしれない。でも、そうやってすべて手放して相手に委ねてしまうことが、翡翠にはまだ少し怖かった。
「遊んでなんていない。煽って。は……いるかもだけど」
少し真剣な顔になって、一青が言った。
一青はいつだって真摯に向き合ってくれる。今まで翡翠のそばにいた誰とも違う。もちろん、久米木と同じはずがない。
ずっと一緒だと、ずっと好きでいると、誓ってくれた言葉を信じている。それでも、未来は分からない。一青がではなく、彼にずっと好きでいてもらえるような自信が翡翠にはない。20年以上、誇れるところも、好かれるような長所も何もないと思い続けて、言われ続けた翡翠にとって、自分の価値を信じることは、自分を裏切り続けた世界を信じることよりも難しかった。
「でも。ごめん。わかってる。なんもしないから。ここにいて」
一青の重みが翡翠の身体の上からなくなった。身体をずらして横に寝そべって、腕を開いて誘う。請うような仕草に一青の優しさや、翡翠への気遣いが滲みだしているようで、彼に全てを委ね切れていないことが後ろめたくなってしまう。呪いが解けた今でも、そんなネガティブなことばかり考えている自分が嫌になる。
「……あ。の……。一青……あした。その。また、大泉先生の診察あるし。今夜は……その。いや……では、ないんだけど……」
昨夜のことが思い出されて、思わずしどろもどろになってしまう。一青が望んでくれるなら、セックスすることは嫌ではない。断じて嫌ではない。けれど、それを大泉医師に知られるのは恥ずかしい。一青はともかく、翡翠はいい年しているくせに、歯止めも効かずにヤりたい放題と、一青の親代わりに人に思われるのは恥ずかしいし、情けない。
「わかってる。今日はなんもしない。だから、ここに……そばにいさせて?」
誰も見てはいないのに、一青は翡翠の耳に口元を寄せて、誰にも教えられない秘密を告げるように囁いた。その低い囁きにぞくり。と、背筋を何かが駆けあがる。
そのまま、そっと、ベッドに身体を横たえられると、昨夜のことが頭を過る。もう、だめだと。ゆるして。と、何度言っても、一青は許してくれなかった。それが、堪らなく嬉しかった。思い出すと、駆け上がってくる熱が、受け入れる場所の奥に集まってた溜まっていくような気がする。
「……一青」
複雑な気持ちだった。
一青に求められるのは嬉しい。
元々、翡翠はあまりそういった欲求が強いほうではない。けれど。それでも、身体の奥に何かが生まれたものは、間違いなくほしいという欲だった。
「そんな顔……しないで。決心が鈍る」
一青が言っているような、そんな顔をしている自覚はあった。一青の腕を、その手のなぞる感覚を期待している自分がいることくらいは知っている。そして、それを隠せるほど、翡翠は恋愛経験豊富でも、駆け引き上手でもなかった。
「もしかして、俺のこと、試してる?」
するり。と、一青の手が頬を撫でて、そのまま髪に絡む。ぎし。と、音を立てて大きな身体が、包み込むように圧し掛かってくる。
微かに鼻腔を撫でる一青の香り。すぐ近くで翡翠を覗き込む青い瞳。鼓膜の奥を擽るような低くて甘い囁き。身体に感じる気遣うような心地よい重み。全部が確かにそこに一青がいるのだと教えてくれる。
「……試してなんて。俺だって。……我慢してるつもり。なんだけど」
好きだ。と、思いが溢れそうになった。
なったけれど、口にはしなかった。
してしまったら、止まれなくなるのは目に見えていた。
「一青こそ。俺のこと煽って遊ばないで」
一青が本気なことくらいわかっている。だから、そんな言葉で牽制したいのは一青ではなくて、自分自身だ。
翡翠は思う。
溺れてしまうのは簡単だし、今までの経緯を考えれば綺麗でもない自分が他人にどう思われようがどうでもいいかもしれない。でも、そうやってすべて手放して相手に委ねてしまうことが、翡翠にはまだ少し怖かった。
「遊んでなんていない。煽って。は……いるかもだけど」
少し真剣な顔になって、一青が言った。
一青はいつだって真摯に向き合ってくれる。今まで翡翠のそばにいた誰とも違う。もちろん、久米木と同じはずがない。
ずっと一緒だと、ずっと好きでいると、誓ってくれた言葉を信じている。それでも、未来は分からない。一青がではなく、彼にずっと好きでいてもらえるような自信が翡翠にはない。20年以上、誇れるところも、好かれるような長所も何もないと思い続けて、言われ続けた翡翠にとって、自分の価値を信じることは、自分を裏切り続けた世界を信じることよりも難しかった。
「でも。ごめん。わかってる。なんもしないから。ここにいて」
一青の重みが翡翠の身体の上からなくなった。身体をずらして横に寝そべって、腕を開いて誘う。請うような仕草に一青の優しさや、翡翠への気遣いが滲みだしているようで、彼に全てを委ね切れていないことが後ろめたくなってしまう。呪いが解けた今でも、そんなネガティブなことばかり考えている自分が嫌になる。
応援ありがとうございます!
0
お気に入りに追加
31
1 / 5
この作品を読んでいる人はこんな作品も読んでいます!
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる