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短編集 【L'Oiseau bleu】
その一秒は短いけれど輝く宝石の如く 1
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静かな部屋には耳障りな音は何も聞こえていなかった。ただ、遠くから、さわさわ。と、音未満の雑踏のざわめきの空気だけが伝わってくる。
一青は翡翠のために前の仮の部屋ではなく、鏑木家4階にある風呂もトイレもついて独立した1LDK部分を提供してくれた。もとは国政がここを訪れるとき使っていた部屋らしいのだが、緋色が亡くなって以来誰も使っていなかったらしい。そんな部屋を自分が使っていいのかと問うと、一青も紅二も翡翠が使うならいいと言ってくれた。
家具はそのままになっているものを使わせてもらうことにして、入って見たその部屋はなんだかすごく居心地のいい場所で、この家を作った緋色がここを国政のために作ったのだと思うと、どれだけの愛情があったのかを感じられる気がした。同時に、その場所を翡翠のために提供してくれる一青と紅二が自分を本当に大切に思ってくれているのだと言外に言われている気がして、また幸せな気持ちになる。
1秒の長さは何をしていても同じはずなのに、楽しいと感じているとどうして早く過ぎ去ってしまうのだろう。
なんだかすごく寝心地のいいマットレスに顔を埋めて、翡翠は考えていた。
時刻は11時。呪いの影響下から解放された身体は以前よりずっと健康的にはなっていたけれど、ここ数日の目まぐるしい変化に思ったより疲れているようだった。けれど、それは嫌な気分ではなく、心地よい疲労感とでもいうのだろうか、充実しているのだなと自分自身で感じられるほどだった。
翡翠が鏑木家にお試しではなく正式に家族の一員として迎えられたその日、少し手の込んだ料理でお祝いをして、一青とも紅二ともたくさん話しをして、たくさん笑って、気が付いたらもう9時を回っていた。翌日には紅二はもちろん学校があるし、翡翠も大泉医師の診察があるから、名残惜しかったけれどお開きにした。紅二が言った『続きは明日。それで、その続きは明後日』という言葉にこんな時間が当たり前になるのだと実感させられて、幸せ過ぎてすごく泣きたくなった。
一青に出会ってからまだほんの数日しかたってはいない。でも、奈落にいたのが遠い過去のようだ。あんな場所にいた心の傷が簡単に癒えることはないけれど、幸せに生きるための道筋を照らしてくれる光が確かに自分にも見えているのだと実感できる。
その全部が、一青に出会えたからだ。
一青との出会いが、翡翠の全てを変えてくれた。
「一青」
肩に落ちかかる鮮やかな翠の髪。同一人物だと殆どのものが認識できないほどの容姿の変化も受け入れることに抵抗は全くなかった。ずっと違和感を感じ続けていたからということもあるけれど、それ以上に一青の隣に立つのに少しでも相応しくなりたいという思いが強かったせいもあるかもしれない。
両手で自分の顔を撫でる。
その感触は呪いの解ける前と全く変わらない。かけられていた呪いが触覚ではなく、視覚情報を変える呪いだったからだ。だから時々鏡を確認せずにはいられなかった。けれど、何度確認しても、鏡の中には母によく似た青年がいた。
そんなことを繰り返しているうちにいつの間にかそれが自分の姿だということに慣れた気がする。
少なくとも一青は翡翠の外見を見て好きになったわけではないだろう。でなければ、平凡で目立たない道端の石ころみたいな自分のことなんて気付いてももらえなかった。否、助けるべき相手を一青が見逃すはずがない。それは分かっているし、そもそも一青が外見だけで恋愛対象を選ぶような浅はかな男だとは思わない。
だから、外観のことなんて本当はどうでもいいはずだ。それでも、一青が恥をかくような自分ではいたくなかった。これは、翡翠の心の中の問題なのだ。好きになった人にも、奈落でも何度も言われた。
鏡見てから言えよ。とか。
隣歩くなよ。恥ずかしい。とか。
顔見ると萎える。とか。
翡翠も外見より人間性が大切だとは思っている。けれど、そんなことを言われ続けていると、好きな人にそんなふうに思われることが怖くて仕方なくなってしまった。
一青に対する思いは、今まで誰に感じていた思いとも違う。今までの恋が偽物だったとは言わないが、この思いは特別だ。
失くしたくない。
失くしたら、生きていられない。
だから、せめて、嫌われるような要因は減らしておきたい。男の自分がこんなことに思いつめるなんてそれこそみっともないし、今までそれで生きてきたくせに今更と思うけれど、あの違和感の塊みたいな姿から、変われたことは単純に嬉しかった。それが、一青の好みのタイプだと一青本人ではなく紅二が言ってくれたのが心強かった。
一青は翡翠のために前の仮の部屋ではなく、鏑木家4階にある風呂もトイレもついて独立した1LDK部分を提供してくれた。もとは国政がここを訪れるとき使っていた部屋らしいのだが、緋色が亡くなって以来誰も使っていなかったらしい。そんな部屋を自分が使っていいのかと問うと、一青も紅二も翡翠が使うならいいと言ってくれた。
家具はそのままになっているものを使わせてもらうことにして、入って見たその部屋はなんだかすごく居心地のいい場所で、この家を作った緋色がここを国政のために作ったのだと思うと、どれだけの愛情があったのかを感じられる気がした。同時に、その場所を翡翠のために提供してくれる一青と紅二が自分を本当に大切に思ってくれているのだと言外に言われている気がして、また幸せな気持ちになる。
1秒の長さは何をしていても同じはずなのに、楽しいと感じているとどうして早く過ぎ去ってしまうのだろう。
なんだかすごく寝心地のいいマットレスに顔を埋めて、翡翠は考えていた。
時刻は11時。呪いの影響下から解放された身体は以前よりずっと健康的にはなっていたけれど、ここ数日の目まぐるしい変化に思ったより疲れているようだった。けれど、それは嫌な気分ではなく、心地よい疲労感とでもいうのだろうか、充実しているのだなと自分自身で感じられるほどだった。
翡翠が鏑木家にお試しではなく正式に家族の一員として迎えられたその日、少し手の込んだ料理でお祝いをして、一青とも紅二ともたくさん話しをして、たくさん笑って、気が付いたらもう9時を回っていた。翌日には紅二はもちろん学校があるし、翡翠も大泉医師の診察があるから、名残惜しかったけれどお開きにした。紅二が言った『続きは明日。それで、その続きは明後日』という言葉にこんな時間が当たり前になるのだと実感させられて、幸せ過ぎてすごく泣きたくなった。
一青に出会ってからまだほんの数日しかたってはいない。でも、奈落にいたのが遠い過去のようだ。あんな場所にいた心の傷が簡単に癒えることはないけれど、幸せに生きるための道筋を照らしてくれる光が確かに自分にも見えているのだと実感できる。
その全部が、一青に出会えたからだ。
一青との出会いが、翡翠の全てを変えてくれた。
「一青」
肩に落ちかかる鮮やかな翠の髪。同一人物だと殆どのものが認識できないほどの容姿の変化も受け入れることに抵抗は全くなかった。ずっと違和感を感じ続けていたからということもあるけれど、それ以上に一青の隣に立つのに少しでも相応しくなりたいという思いが強かったせいもあるかもしれない。
両手で自分の顔を撫でる。
その感触は呪いの解ける前と全く変わらない。かけられていた呪いが触覚ではなく、視覚情報を変える呪いだったからだ。だから時々鏡を確認せずにはいられなかった。けれど、何度確認しても、鏡の中には母によく似た青年がいた。
そんなことを繰り返しているうちにいつの間にかそれが自分の姿だということに慣れた気がする。
少なくとも一青は翡翠の外見を見て好きになったわけではないだろう。でなければ、平凡で目立たない道端の石ころみたいな自分のことなんて気付いてももらえなかった。否、助けるべき相手を一青が見逃すはずがない。それは分かっているし、そもそも一青が外見だけで恋愛対象を選ぶような浅はかな男だとは思わない。
だから、外観のことなんて本当はどうでもいいはずだ。それでも、一青が恥をかくような自分ではいたくなかった。これは、翡翠の心の中の問題なのだ。好きになった人にも、奈落でも何度も言われた。
鏡見てから言えよ。とか。
隣歩くなよ。恥ずかしい。とか。
顔見ると萎える。とか。
翡翠も外見より人間性が大切だとは思っている。けれど、そんなことを言われ続けていると、好きな人にそんなふうに思われることが怖くて仕方なくなってしまった。
一青に対する思いは、今まで誰に感じていた思いとも違う。今までの恋が偽物だったとは言わないが、この思いは特別だ。
失くしたくない。
失くしたら、生きていられない。
だから、せめて、嫌われるような要因は減らしておきたい。男の自分がこんなことに思いつめるなんてそれこそみっともないし、今までそれで生きてきたくせに今更と思うけれど、あの違和感の塊みたいな姿から、変われたことは単純に嬉しかった。それが、一青の好みのタイプだと一青本人ではなく紅二が言ってくれたのが心強かった。
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