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短編集 【L'Oiseau bleu】

穢れない赤い瞳を持つ人たち 1

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 傾きかけた陽光は春というよりももう初夏のようだった。随分と日が長くなった。と、一青が言っていたとおり、まだ夕方というには日差しも強い。
 とはいえ、数日前まで完全に空調が効いていて、窓すらない部屋にいた翡翠には、季節の流れはまだ実感がない。1年半前に途切れた季節は擦り切れた記憶の向こう側で、いきなり初夏に放り出されたようで、身体はまだ、その季節に順応していなかった。
 と。
 そんなことを考える余地など、翡翠にはなかった。決して忙殺されているというわけではない。理由は別にある。

 昼食も外で済ませて、一青の家に帰って来たのは3時過ぎになってからだった。今日は紅二も部活なしで帰ってくるそうだから、もういくらも時間はない。
 呪いが解けて信じられないくらいに身体が軽くなったからなんとか動けているけれど、昨日は散々ヤり倒したというのに我ながら元気だし現金だと思う。
 それでも、呪いのフィルターなしの世界も、大好きな人が隣にいて好きだと言って気にかけてくれる時間も、翡翠にとっては初めての経験ではしゃぐ自分を止められなかった。

 二人でのショッピングは思っていた以上に楽しい時間だった。と、言うよりも、一青と二人でいられる時間が翡翠にとっては今まで過ごしたどんな時間よりも幸せだった。
 同じショッピングモールに行ったはずなのに、まだ呪いが解けていなかった数日前に行ったときとは何もかもが違って見える。モノクロだった世界に色が付いたようだ。いい歳をして思わずはしゃいでしまう翡翠をバカにするでもなく窘めるでもなく、一青もずっと笑っていてくれたのは、同じように楽しいと思ってくれたのだろうかと、そんな想像をするのすら幸福だった。

 そんなことばかりで心の中をいっぱいにしていたから、季節のことなどどうでもよかったのだ。

「あのパスタの店。美味しかったな。また行きたい」

 開錠の呪文を小さく呟いてから鍵を開ける一青の後姿に翡翠はまだお出かけのテンションの余韻を残したまま話しかけた。

「そうだな。でも、せっかくだから、もっと違う店も行きたいな。翡翠、このドームのことはなんも知らないだろ? 色々教えてあげたい」

 一青は翡翠のこれまでのことを全部知っている。けれど、それは翡翠の伴侶となるゲートキーパーだからと、魔法庁が渡した資料を読んだからではない。一青は『どんな内容でも翡翠が話したいと思ったものではなければ聞く気はない』と言ってくれた。だから翡翠は大泉医師に話したような内容を、オブラートには包んだけれどすべて話した。
 ひかれることも覚悟の上だったけれど、一青は全部黙って聞いてくれた。それから、最後に『よく頑張ったな』と、優しく抱きしめてくれた。それだけで今まで生きてきた意味があったのだと思えた。
 きっと、楽しいこととか、嬉しいこととか、美味しいものとか、綺麗なものとか、そういうものが全部遠くて届かないところにあったのだと理解してくれている。そういうものを一つ一つ取り返す作業を一緒にしようと言ってくれているのだ。

「ん。教えて」

 翡翠自身も思う。一青が望んでくれる限りはずっと、楽しいときも、嬉しいときも、辛いときでも、悲しいときでも、何もない日常ですら一緒に過ごせたらいい。そうして、一つ一つ手に入れたものはきっと、大切な宝物になる。

「もちろん。いくらでも」

 そう言って、一青はドアを開けて恭しく頭を下げた。
 入れ。と、促しているのだ。
 だから、それに従うと、ふと、先日見た魔符が目に入った。あの話をした後、張り替えたらしいけれど、内側の一枚はまた黒く変色していた。あの日病院へ行くまでのほんの少しの時間でここまで魔符を消耗させる呪いの力にぞっとする。

「翡翠の呪いは解けたから、これも外側からの普通のに付け替えるよ。もうちょっと安いヤツ」

 じっと魔符を見つめる翡翠の視線に気付いて、一青が少しおどけたように言う。
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