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The Ugly Duckling
medical examination 8/17
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「名前を教えてもらえるか?」
その老人の声は、とても落ち着いていて、静かで、しかし威厳に満ちていた。
緩やかに癖のある白髪は彼の生きてきた年月を感じさせるが、くたびれたというような言葉はおおよそ彼には相応しくない。
「水瀬翡翠です」
翡翠は答えた。
これは確認作業だ。彼は自分の名を知っている。もちろん、名前だけでなく、その他の情報も殆ど得ているはずだ。
「生年月日は?」
「魔道暦300年8月30日生まれで、23歳です」
淀みなく翡翠は答える。
「出身は?」
「わかりません。や……たぶん、茨城県那珂市です」
その質問で翡翠は少しだけ言い淀んだ。
翡翠には5歳以前の記憶がない。だから、その頃どこに住んでいたのか、正確にはわからない。
「たぶんとは?」
深い緑色の瞳。言葉には非難めいたニュアンスはない。ただ、純粋な知識欲だけがそこにある。
「5歳で、児童養護施設に入所する前の記憶がありません」
「ご両親は?」
「5歳の時点ではいませんでした。後から聞いた話では失踪? したそうです。俺が保護された当時の実家だったという場所を見に行ってみましたが……小規模のゲートにのまれて、近所の家ごとなくなっていました。
戸籍上では父は正兼。母は翠というらしいです。施設の人に聞きました。それ以上は調べてもいないです」
このことを話すと、大抵の人は憐みの表情を浮かべる。けれど、翡翠は悲しくはない。ただ、何とも言えない焦燥感だけがある。
何か大切なことを忘れていて、それを思い出さないと大変なことになるような感覚があるのだが、それが何なのかを思い出すことができない。そして、その感覚が辛くて、翡翠はなるべくこのことを考えないようにしていた。
「ずっと、その児童養護施設にいたのかね?」
けれど、やはり、老人の目には憐みの色は見えなかった。
「いえ。小学校の入学前の魔道検診で“中程度”の魔光と診断されたので、一部上場企業のフロンティアラインの魔光アカデミーに入所しました。住居もその時に、茨城県の取手市のほうに移りました」
フロンティアラインは、甲府証券取引所の一部に上場されている企業だ。魔道機械の開発、製造、販売や、魔道発電による電力の販売を主に取り扱っている。しかし、ゲートの所有数が少なく、現在伸び悩んでいる企業だ。
「それからはずっと?」
「中学を卒業するまでは……高校は国立筑波大学附属高校の特殊戦闘学部、混合戦闘科です」
「混合戦闘科? 失礼だが、君はあまり戦闘には向かないように見受けられるが?」
「はい。体術のほうはあまり……っていっても、魔光も大したことはないですが……魔道薬学と魔符学が得意で……学年でもそこそこの成績をとっていたから、赤点ギリギリでも実技試験もパスできたって感じです」
体術の成績のことは謙遜ではない。事実、翡翠の体術の成績は大抵が10段階評価で1か2だった。身体が小さいことも原因の一つだが、実技ではおそらくクラスでも下から数えたほうが早かった。
ただ、こちらは謙遜なのだが、座学のほうは200人ほどの学年で常に5本の指に入る程度には成績がよかった。魔光の総量はあまり高くはないのだが、それを魔道薬学や、自作の魔符で補っていたのだ。
「ほう。魔道薬学か。それは、落ち着いたら、そちらの仕事をするのもいいかもしれんな。ゲートを持つものは、国家への奉仕を求められる。魔道薬の精製なら、あまり自由を侵害される心配もない」
目を細めて、老人は言った。まるで、孫を見ているような優し気な表情だ。
言葉のニュアンスから、彼もあまり魔法庁を信じてはいないようだと翡翠は思う。きっと、翡翠のこれからを心配してくれているのだろう。
「……あの……スレイヤーに復帰することは…不可能でしょうか」
けれど、できることなら、翡翠の望みはスレイヤーに戻ることだった。波賀都のように自由に生きたいと、思う。
「うむ。ゲートキーパーにもよるのだが……いや。その話はまた後にしよう」
しかし、老人は言葉を濁した。それがどれくらい大変で難しいことなのか彼は理解しているのだろう。翡翠も理解していないわけではなかった。
「はい」
だから、素直に翡翠は返事を返す。今ここで議論することではないということも、翡翠にはわかっていた。
その老人の声は、とても落ち着いていて、静かで、しかし威厳に満ちていた。
緩やかに癖のある白髪は彼の生きてきた年月を感じさせるが、くたびれたというような言葉はおおよそ彼には相応しくない。
「水瀬翡翠です」
翡翠は答えた。
これは確認作業だ。彼は自分の名を知っている。もちろん、名前だけでなく、その他の情報も殆ど得ているはずだ。
「生年月日は?」
「魔道暦300年8月30日生まれで、23歳です」
淀みなく翡翠は答える。
「出身は?」
「わかりません。や……たぶん、茨城県那珂市です」
その質問で翡翠は少しだけ言い淀んだ。
翡翠には5歳以前の記憶がない。だから、その頃どこに住んでいたのか、正確にはわからない。
「たぶんとは?」
深い緑色の瞳。言葉には非難めいたニュアンスはない。ただ、純粋な知識欲だけがそこにある。
「5歳で、児童養護施設に入所する前の記憶がありません」
「ご両親は?」
「5歳の時点ではいませんでした。後から聞いた話では失踪? したそうです。俺が保護された当時の実家だったという場所を見に行ってみましたが……小規模のゲートにのまれて、近所の家ごとなくなっていました。
戸籍上では父は正兼。母は翠というらしいです。施設の人に聞きました。それ以上は調べてもいないです」
このことを話すと、大抵の人は憐みの表情を浮かべる。けれど、翡翠は悲しくはない。ただ、何とも言えない焦燥感だけがある。
何か大切なことを忘れていて、それを思い出さないと大変なことになるような感覚があるのだが、それが何なのかを思い出すことができない。そして、その感覚が辛くて、翡翠はなるべくこのことを考えないようにしていた。
「ずっと、その児童養護施設にいたのかね?」
けれど、やはり、老人の目には憐みの色は見えなかった。
「いえ。小学校の入学前の魔道検診で“中程度”の魔光と診断されたので、一部上場企業のフロンティアラインの魔光アカデミーに入所しました。住居もその時に、茨城県の取手市のほうに移りました」
フロンティアラインは、甲府証券取引所の一部に上場されている企業だ。魔道機械の開発、製造、販売や、魔道発電による電力の販売を主に取り扱っている。しかし、ゲートの所有数が少なく、現在伸び悩んでいる企業だ。
「それからはずっと?」
「中学を卒業するまでは……高校は国立筑波大学附属高校の特殊戦闘学部、混合戦闘科です」
「混合戦闘科? 失礼だが、君はあまり戦闘には向かないように見受けられるが?」
「はい。体術のほうはあまり……っていっても、魔光も大したことはないですが……魔道薬学と魔符学が得意で……学年でもそこそこの成績をとっていたから、赤点ギリギリでも実技試験もパスできたって感じです」
体術の成績のことは謙遜ではない。事実、翡翠の体術の成績は大抵が10段階評価で1か2だった。身体が小さいことも原因の一つだが、実技ではおそらくクラスでも下から数えたほうが早かった。
ただ、こちらは謙遜なのだが、座学のほうは200人ほどの学年で常に5本の指に入る程度には成績がよかった。魔光の総量はあまり高くはないのだが、それを魔道薬学や、自作の魔符で補っていたのだ。
「ほう。魔道薬学か。それは、落ち着いたら、そちらの仕事をするのもいいかもしれんな。ゲートを持つものは、国家への奉仕を求められる。魔道薬の精製なら、あまり自由を侵害される心配もない」
目を細めて、老人は言った。まるで、孫を見ているような優し気な表情だ。
言葉のニュアンスから、彼もあまり魔法庁を信じてはいないようだと翡翠は思う。きっと、翡翠のこれからを心配してくれているのだろう。
「……あの……スレイヤーに復帰することは…不可能でしょうか」
けれど、できることなら、翡翠の望みはスレイヤーに戻ることだった。波賀都のように自由に生きたいと、思う。
「うむ。ゲートキーパーにもよるのだが……いや。その話はまた後にしよう」
しかし、老人は言葉を濁した。それがどれくらい大変で難しいことなのか彼は理解しているのだろう。翡翠も理解していないわけではなかった。
「はい」
だから、素直に翡翠は返事を返す。今ここで議論することではないということも、翡翠にはわかっていた。
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