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第五章 祈りの王都ダナ

62.悪役令嬢は婚約者を知る

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「こんな場所まで連れ出して…どういうおつもりですか?」

 精一杯の配慮を心掛けたけれど、口から出たのは相手への敵意が滲んだ言葉だった。空の上のアリシアからは怒りの鉄槌が飛んで来そうだ。

 しかし、エリオットは気にする様子もなく、遥か彼方の街の灯りに目をやりながら黙っている。何を考えているのか分からない灰色の瞳は私を不安にさせた。

「リナリー様が下で待っています。貴方が私とこのように抜け出すことが、また在らぬ噂の種となるのですよ!」
「婚約者を連れ出して話をすることに何か問題があるか?」
「殿下がリナリー様に心を奪われていることは周知の事実です。それに…リナリー様もきっと……」
「リナリーは聖なる力に目覚めるらしい」
「え?」
「王宮の占い師が先日言っていた。大きな力の波動を感じるそうだ。彼女が聖女になる日も遠くない」

 遠くを見つめたままでエリオットはそう言葉を続ける。

 私はハッとした。こんな場所まで私を呼び出した理由に思い当たる節があったから。人前で言い渡さず、私だけにこっそりと伝えてくれるのは彼の優しさなのだろうか。

 来るべき婚約破棄のイベントが今まさに起ころうとしている。身体全体が心臓になってしまったように、ドクンドクンと大きな鼓動を私は感じる。なんて返事をすれば良いのだろう。フリだけでも悲しむべきだろうか。それとも食い気味に「喜んで!」と言うべき?


「アリシア、俺たちの婚約が発表された時、君はまだ十二歳の幼い少女だった。デビュタントも済ませていない子供が自分の婚約者だなんて、と正直困惑した」
「……すみませんね」
「しかし、君は年を重ねるごとに貴婦人としての在り方を身に付けていった。人伝いにかなり努力をしたと聞いたが」
「ええ、そのよう…そうですね」

 血の滲むような努力を。
 ただ一人の心を手に入れるために。

「ただ…同時に、心配な部分もあった」
「?」
「自覚していると思うが、君は精神的に脆い部分があっただろう?塞ぎ込んで暫く会いに来ない時もあれば、急に怒って帰ってしまうこともあった。理由を聞いても話してはくれない。俺が信用されていないことは分かっていたが…」
「違います!」

 私は咄嗟に否定した。
 アリシアはエリオットを信用していなかったわけではない。ただ、彼女の強いプライドと嫌われたくない心が邪魔をして話せなかっただけ。

「話せない理由がありました…信じていない訳ではなく」
「そうなのか。お互い歩み寄りが足らなかったのかもしれないな…俺にとっての君は、いつも白昼夢のような存在だったから」
「白昼夢?」
「実態がない、掴みどころのない夢だ。君はいつも何かと戦っているように不機嫌で、ともすればふと目を向けた時に何か言いたげな顔で見ていることもあった」

 それは。それは、彼女が本当に戦っていたから。
 たった一人で、自分の中に棲まう悪魔と。

 しかし、エリオットがそこまでアリシアのことを気に掛けていたことは意外だった。愛情のない彼のことだから、アリシアとの面会や食事もただの形式的な行事としてこなしているだけだと思っていたのに。

「そんな折に、リナリーと出会った」
「………、」
「初めて街で彼女と会った時、俺たちは一緒に車に乗っていた。覚えているか?君がリナリーの売っている花を見て綺麗だと言って、俺は車を停めてもらってその花を買いに出た」
「ええ。小さな黄色い花ですよね?」
「そうだ、ちょうどこの時期に咲く…今も庭から甘い香りがするだろう?君が好きだと言うから植えてもらった」

 言われて私はスンスンと鼻を動かす。

 風に乗って鼻腔をくすぐるのは金木犀の匂い。あの時、作中でエリオットが買い求めていたのは金木犀の花だったのか、と私は一読者として少し胸を震わせた。

 そんな私の感動も他所に、エリオットは尚も言葉を探すように少し目を泳がせた後で口を開いた。今日の彼は随分とおしゃべりだと思う。

「今朝、リナリーから告白された。彼女は君が王都へ戻っていることを知らなかったから…見つからない婚約者を待つのではなく、自分を選んでほしいと」

 やはり。リナリーから行動を起こすとは思わなかったけれど、物語は確実に彼女のハッピーエンドへ向けて動き出している。私は焦りを顔に出さないように心掛けて、エリオットに向き直った。

「そうなのですね。大丈夫です、殿下がリナリー様に恋していらっしゃるというお話は伺っていますし…」
「いや、断ったんだ」
「………はい?」
「今日この場へ君を連れ出したのは、アリシア…君との結婚について話すためだ。君が拒絶しなければだが」
「で…殿下?ご乱心ですか…?」
「魔獣になって暫く君の普段の姿を見て、やはり妃として側に居てほしいのは君しかいないと思った。なので、王宮入りの日取りをーーー」

 最後の方はよく聞こえなかった。
 というのも、気絶していたので。

 主人公が着実に幸せを掴んでいく王道のシンデレラストーリーが最大の魅力である『エタニティ・ラブサイコ』。ヒロインのリナリーに皆は即落ち。見た目良し、人柄良しの彼女は氷のような王太子の心を溶かして、その愛を……

 ………なんで、手に入れないの?

 薄れていく意識の隅で、誰かの恋心を揶揄うように微かな花の香りがした。

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