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第三章 南の楽園マリソル
28.悪役令嬢は過去を知る
しおりを挟む何かを恐れるように、ぎゅっと組んだ両手を見つめたまま、ルイジアナは様子を窺うように小さな声で言葉を紡ぐ。
「お嬢様は変わってしまいました…アリシアお嬢様本人を前にして、このようなことをお伝えするのは酷く申し訳ないことなのですが」
「いいえ、良いの。続けてください」
「二十歳のお誕生日を迎えた後のことです。お嬢様は一週間ほど体調を崩しておられました。それまでも心の不調が原因で塞ぎ込むことはあったのですが…その時はまるで、」
「……まるで?」
「何か、狂気的な恐ろしさがありました。夜中になるとお嬢様の部屋からは叫び声が聞こえるのです」
そこで一度、ルイジアナは天を仰いだ。当時の様子を思い出すかのように暫くの間、目を閉じる。わずかに震える彼女の身体を見るに、その時のアリシアの様子がいかに恐ろしいものだったのかは容易に想像出来た。
黒魔法の影響なのだろうか。心身の調和を乱した結果、晩年のアリシアは他人から見てもすぐに異常と悟られるような状態になっていたということ?
リナリーがエリオットと結婚するのは彼女が二十二歳の時。そして同時期にアリシアはデズモンドの塔で命を落とすわけだから、リナリーと同い年のアリシアは二十二歳でその生涯を終える。ヒロインと敵対する悪役令嬢の人生がこうも対照的な結末を迎えるのはあまりにも悲しいことだ。クロノスの話では、アリシアは成人を機にピタリと相談に来なくなると言っていたけれど、何か関係があるのだろうか。
「姿や形は私の知っている美しいアリシアお嬢様でした。しかし、その目付きや佇まいは……ごめんなさい、言葉が…」
困ったように目を泳がせて息を乱すルイジアナに私は紅茶を勧める。自分もカップに口を付けながら、起こり得る可能性について思いを巡らせる。
どういうことだろう。
十二歳で呪われたアリシアは精神のバランスを崩しつつもなんとか日常生活を送っていたようにクロノスは語っていたけれど、その後何か大きな変化があったのだろうか?
「まるで、悪魔が取り憑いたようだったのです」
「………え?」
「二十歳の誕生日の後、部屋に籠って寝込んでいたお嬢様の様子を見たメイドの一人が言っていました。髪を振り乱して床に這いつくばったお嬢様の様子は、悪魔のようだったと」
「悪魔…?私が……?」
「申し訳ありません…!かつての雇用主であるネイブリー家の方のことを侮辱するつもりはないのです。ただ、あの唸り声は人間のものとは思えず、」
黙って聞きながら、私は思い当たったことも質問した。
「お父様とお母様は?医者に診せたりしなかったのかしら?」
「旦那様と奥様はその一週間、郊外の叔母様の家を訪問されていました。お嬢様に関するすべての管理は側近であるメイドのサラに委ねられていたのです」
「そうなのね。サラにもきっと怖い思いをさせた筈だわ…」
「サラは逃げ出すことはありませんでした。何人かのメイドは恐怖のあまり、お嬢様のお部屋に近付くことを拒否しましたが、サラだけは献身的にお世話を続けていましたよ」
彼女は立派な使用人です、と感心したように述べるルイジアナは頷いてみせる。それには私も同意だ。
デズモンド行きが決まった時もサラは私に着いて来てくれるという意思表示をしてくれたし、夜間に逃げるように屋敷を去った私のことも見送ってくれた。メイドの鑑のような忠誠心はアリシアにとっても喜ばしいものだっただろう。
しかし、これでまた知らないことが増えてしまった。クロノスに聞いたことと合わせると、つまりアリシアは呪われて不調になったことに加えて晩年は明らかな精神不良に見舞われると。使用人たちすら恐怖するその変貌が如何なるものだったのかは分からないけれど、相当異常な様子だったということ。
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