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第二章 ニケルトン侯爵家

12.悪役令嬢は気取られる

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「え?お出掛けですか?」

 乳母生活も中盤に差し掛かろうとした水曜日、朝食を食べた後にマグリタに呼び出された。どうやら今日は以前話に聞いていた旦那様方の両親に会いに行くらしい。

 以前少しだけ顔を合わせたニケルトン家の当主グレイは忙しそうではあったが礼儀正しく、侯爵という家柄もあってかおっとりした雰囲気の方だった。温和なグレイに明るいマグリタという組み合わせはよく合っていると思う。

 ちょうど魔力の消失についても聞いてみたいと思っていたし、魔法に詳しい人物に会える機会は有難い。マグリタの誘いに頷いて、私は部屋へ戻ってペコロスと共に出掛ける準備をした。ペコロスは今朝からずっと眠そうで、何を話しかけても夢の中のようにぼんやりしている。

「ペコロス、お出掛けしましょう。貴方のこともなにか分かるかもしれないわ。お友達もいるかも」
「ブフー」

 いっこうに自分で歩こうとしないから、仕方ないので抱き上げて鞄を手に取る。ペコロスを抱く際、毛深い前足が私の胸元に当たってサラに貰ったネックレスの紐が切れた。直す時間は無さそうなので、机の上に置いて部屋を出る。

 階下に降りると、もうマグリタと双子の子供はそこで待っていた。

「おしょいよっ!」
「めだよ!アリア!」
「ごめんなさい、お待たせして…」

 ぷっくりと頬を膨らませてリュックの肩紐を握り締めるロムルスとレムスに頭を下げて、私はマグリタに向き直る。

「奥様、旦那様は?」
「ああ…えっと、実は仕事が長引いているらしくてね。ご両親のお家で待ち合わせることになっているの」
「そうなんですね」
「こんな時まで嫌よね~」

 溜め息を吐きながら困った顔をするマグリタと一緒に車へと乗り込む。運転手がすべての荷物をトランクへと運び入れると、車は静かに走り出した。

 アリシアの家族、ネイブリー家は伯爵家だったから、侯爵家であるニケルトンの方が爵位は上だ。当然だけど屋敷の厳かさや贅沢品に掛ける金額も異なる。物語において伯爵家も決して貧乏ではないし、むしろ一般家庭よりは圧倒的に裕福なのだけれど、ニケルトンの規模はそれを上回るものだった。

 作中で、アリシアが王宮を訪れて、エリオットの部屋でお茶を飲む際に出されたカップの美しさに見惚れる場面があったけれど、きっと王族ともなればその暮らしはより豪勢なものなのだろう。その点だけは、経験出来ないのが残念だ。

「そういえば、旦那様はどのようなお仕事を?」
「ん~お堅い仕事よ。たまに手伝っているけれど、私にはさっぱり分からないもの」

 頭の横で手を広げてお手上げのポーズを取るマグリタは可愛らしい。アリシアもこんな感じで、天真爛漫な姿をエリオットの前で見せていたら、リナリーにその座を奪われることもなかったのだろうか。

 まあ、どう転んでも悪役令嬢は悪役なんだろうけど。

 ゴトンと揺れて車は広大な敷地に入って行った。魔法学の先生をされているという双子の祖父の趣味なのか、庭には多様な植物が咲き乱れ、敷地内には様々な施設がくっ付いている。


「おじいちゃ!」
「おじいちゃー!」

 車から飛び降りる双子を出迎えたのは白髪に口髭を生やした優しそうな老人。なるほど、このお人好しそうな笑顔は息子であるグレイによく似ている。

 マグリタも嬉しそうな笑顔で私を紹介してくれた。

「お義父様、こちらは今子供たちの面倒を見てくれているアリアさんです。アリア、クロノス・ニケルトン公爵よ」
「はじめまして、アリアです。一週間ほど奥様の元で働かせてもらっています」
「ああ!君が代理の……」
「とても良い子で助かっているの」

 ニコニコとそう言い添えてくれるマグリタは本当に天使のようだ。私は感謝の思いで胸がいっぱいになった。このビン底眼鏡を掛けていなかったら、薄ら浮かんだ涙に気付かれたかもしれない。

 その時、それまでクロノスの手を取ってはしゃいでいた双子がふいに顔を輝かせて走り出した。彼らが向かう先に私は目を遣る。案の定、そこには両手を広げて笑うグレイの姿があった。

 しかし、私の目はその隣に立つ人物に釘付けになった。

 スラリと伸びた手脚に少し長めの金色の髪。退屈そうに閉じられた瞼の下に潜む瞳の色を私は知っている。見えなくても分かる。彼がどんな風に人に愛を伝えるのか、なんと言って不要な人間を拒絶するのか、私は一言一句知っている。

 棒立ちになって動けない私の前で、男は静かにその目を開く。氷のように冷たい灰色の瞳が細められた。


「懐かしい匂いがする。失礼だが、どこかで会ったことがあるか?」


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