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第二章 ニケルトン侯爵家
10.悪役令嬢は決意する
しおりを挟む「おかえりなさい、アリア!今主人が帰って来て双子をお風呂に入れてくれているの。食堂へ行って好きに食べてね」
帰宅した私を出迎えながら、マグリタはにこやかな笑顔を見せた。しかし、その両目は私の腕に抱えられたモフモフの魔獣を捉えて丸くなる。魔獣は今や人慣れしたのか、目を閉じて気持ち良さそうに眠っていた。
「それは……?」
「ごめんなさい、マグリタさん。実は市場で持ち主と逸れてしまったみたいで…明日運営に問い合わせるので、それまで面倒をみても良いでしょうか?」
「あらあら、」
「確認も取らずに勝手にすみません……」
「いいわよ」
サラッとした返事に私は顔を上げた。
マグリタは変わらない笑顔を向けている。
「変わった魔獣ね。主人のお義父様の仕事柄、あっちの家に遊びに行くたびに色々な魔獣を見てきたけれど…」
「そうなのですか?」
「ええ。お人形さんみたいで大人しいし」
たしかに大人しい。眠っていることも関係しているけれど、ニケルトンの屋敷に入ってからというもの、小さな桃色の塊はシンと静まり返っている。借りてきた猫ならぬ借りてきた魔獣状態だ。
「そういえば貴女、髪を切ったの?もう少し長くて結んでいたはずだけど…?」
「はい。ちょっと気分を変えてみたくて」
「心機一転ってやつね。さては失恋でもした?」
イタズラっぽく笑うマグリタから犬用のリードをもらって、自分の部屋へと戻った。暴れ回るようには見えないけれど、念のため。
ベッドの上に寝転んで柔らかな毛並みに指を這わすと、温かな生き物はピクリと動いた。ゆっくりと開かれたガラス玉のような瞳は、冬景色を彷彿させるブルーグレー。眠そうに瞬きを繰り返しながら魔獣は身を擦り寄せてくる。
「貴方の飼い主はどんな人なの?」
「ブフッ!ブッフー!」
なるほど、分からない。
ひょっとすると魔力があった時のアリシアなら魔獣の話す言葉も理解できたのかもしれない。つくづく消え失せた魔力を残念に思う。
魔獣は私の気持ちなど知ってか知らずか、また眠りに落ちたようだった。そういえば物語の中では詳しく書かれていなかったけれど、この世界の魔獣は何を食べるのだろう。作中でも餌をやったという表記はあっても、何をあげたかまでは記載が無かったのだ。
(明日マグリタに聞いてみよう……)
窓の外にはすっかり暗くなった街が見える。遥か向こうに頭ひとつ飛び抜けて建つのはアビゲイルの王宮だろうか。
デズモンドの塔にアリシアが幽閉されるという断罪イベントは回避したから、もうこれ以上私に災難は降りかからないはず。アリシアが退場したことで、物語のヒーロー役である王太子は婚約破棄を申請し、新たにヒロインのリナリーと婚約を結ぶ運びとなるから。
そして、王宮で過ごすうちに聖女の力に目覚めたリナリーは正式に王室入りを認められ、一年後に王太子妃として盛大に結婚式を挙げる。国民は皆、平民出身のリナリーを歓迎して、あたたかな祝福の雰囲気に包まれて物語はハッピーエンドを迎えた。
その裏でひっそりと命を落としたアリシア・ネイブリーのことなどきっと誰も気に留めずに。
メインの二人が幸せの最高潮にある中、彼女の死はメモ書きのように簡単に語られた。流し読みしていたら気付かないぐらい淡々と。
今思えば、べつに死ななくても良かったのではないかと思う。アリシアがリナリーにした数々の嫌がらせはたしかに陰湿だけれど、そもそもヒーローである王太子エリオットがフラフラと他の女に夢中になるのがダメなのであって、自らの落ち度を認めずにアリシアだけに罰を与えるのは如何なものか。
(うーん…めちゃくちゃムカついてきたわ)
考え事をしているうちに、いつの間にか眉間に皺が寄っていたので慌てて指で伸ばす。過ぎたことを途中参加の私がとやかく言うことは出来ないのだけれど、自分がアリシアとなったことで、アリシアの処遇がとても気になる。
「ねえ、アリシア。貴方は最期に何を思ったの……?」
一人きりで、その短すぎる生涯を終えた悲劇の悪役令嬢。もしもリナリーが王都に花を売りに来なかったら、エリオットがリナリーに靡かなければ、もっとアリシアと向きあっていれば、きっと彼女が見た景色は違ったはずだ。
私は絶対に生き抜いてみせる。
彼女が見られなかった物語の続きを。
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