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第一章 魔王と夜伽
00 プロローグ
しおりを挟む運命というものは、そう簡単には覆らないらしい。
それは転生先の異世界においても同じく。
「クロエ・グレイハウンド、君との婚約を破棄する」
サラサラとした黒髪の下の青い瞳を輝かせて、声も高々に男はそう告げる。私はあまりのショックでその場に崩れ落ちた。冷たい大理石の床が手に触れる。
先ほどまで流れていたクラシック音楽が今では鳴り止んでいる。どうして婚約破棄ってこういう皆が集まっている場所でされるんだろうか。今日は親しい友人たちを招いての舞踏会だと伺っていたのに、まさかショーの目玉がこんな寸劇だったとは。
この男の名前はライアス・アンシャンテ。
ペルルシア王国の王太子で、身長は175センチ、体重は70キロ前半を行ったり来たり。趣味は乗馬と兎狩りでチェスなどの頭脳戦はあまり強くない。好きな色は黒色で好みの女は胸と尻が大きな女。
──そう、ちょうど彼の右手に縋る侯爵令嬢のような。
「やだぁ……クロエ様がビビを睨んでおりますわ」
「大丈夫だ、ビビ。彼女は君に手を出せない」
「でも…!見てください、あの鷹のような目!」
ビビ・バレンシアはそう言って豊満な胸をライアスの腕に押し付ける。私は元婚約者の男がデレッと鼻の下を伸ばして照れる様子を見て吐き気を催した。
ビビの乳首が実はラクダの皮膚ような色をしていて、ライアスが彼女と結婚すれば彼の友人である貴族令息数人と穴兄弟になることを暴露してやろうか。いや、もう今更そんなことを言ってもきっと意味はない。「悪役令嬢」と呼ばれる理由を増やすようなものだろう。
そう、私は泣く子も黙る悪役令嬢だ。
前世の私の名前や具体的な記憶は消えているけれど、私は生まれた時からこの世界のことを完全に理解していた。だってここは大人向け恋愛ゲーム『溺愛ティータイム』の世界だから。
『ティータイム・ロマンス』は、ヒロインがお茶会を通して殿方と密会を重ね、意中の男に見初められるというシンデレラストーリー。
そんな物語の中における私の役名は悪役令嬢。
知った時は絶望したし、悲嘆に暮れた。
だって、悪役令嬢クロエはヒロインの恋路を邪魔して、最終的には自分の婚約者であるライアスをヒロインに取られてしまうめちゃくちゃ損な役回りなのだ。おまけにヒロインへの嫌がらせを罪に問われ、公爵令嬢から平民へと落とされる。
絶対に嫌だった。
憧れの世界に来たからには幸せになる!
そんな強い決心のもと、私は出来る限りヒロインのビビに優しく接して、お茶会におけるライアスとの関係にも注視した。なのに、なのに……
「いったいどうして婚約破棄なのですか…!?」
いつの間に二人の距離は縮まっていたの?
しかも、やった覚えのない嫌がらせがすべて私の仕業となって罪状まで渡される始末。これはとんでもないヒドインなのでは、ライアスにはお願いだから目を覚ましてほしい。
「クロエ、悪いが俺はもうビビに夢中だ。グレイハウンド公爵家は平民に格下げして、北部にあるシルヴァヌスへ移住してもらう」
「なんですって……!」
シルヴァヌスといえば王都から遥か遠く離れた僻地にある田園地帯だ。
男の数より牛の数の方が多いと令嬢たちがバカにしていたのを聞いたことがある。婚約破棄だけにとどまらず、そんな真似までするなんて。
「ライアス様…この、」
思わず放送禁止用語を垂れ流しそうになったけれど、私は耐えた。急遽考えが変わったのだ。
もうここからの挽回を図るのは恐らく無理だろう。婚約破棄は取り止めることが出来ないし、謂れのない罪を跳ね返すのも容易くはない。
ならば、どうすれば良いか。
こうなればいっそ、育ての母と父を引き連れて農地改革に励むのも良いかもしれない。そうすれば誰とも競い合わなくて済むし、爆乳ビビに懐柔されるライアスを見ることもない。
「………分かりました。受け入れます」
私は顔を上げてライアスの青い瞳を見つめた。
ビビの目が弧を描き、満面の笑みが浮かぶ。
今まで献身的に尽くしてきた婚約者をこんな乳だけ女に奪われるのは悔しいけれど、もう良い。ライアスの自己愛に満ちた話を聞かなくて済むなら清々する。
しかし、元婚約者が口を開いたと同時に地響きのような音が広間を揺らした。恐怖に慄く令嬢たちの叫び声が聞こえる。雷でも落ちたのか、一瞬にして辺りは闇に包まれた。
「あぁ、クロエ……!この時を待っていた…!」
バリバリッと何かが割れるような音がしたかと思うと、私の意識は途切れた。
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