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37.狼と兎
しおりを挟むどういうわけか、いつまで経っても衝撃は襲って来なかった。
僕は恐る恐る目を開ける。
目に入ったのは、すごい速さで通り過ぎて行く木々。ダリアは僕を抱き抱えたままで、足に戦車でも付いているのかと思うぐらい高速で走っていた。
獣人と人の違いなのだろうか。恐怖は感じないけれど、今しがた起きてしまった残酷な現実はどれだけ離れても僕らの背中に貼り付いているようで。
「ヒューイ、ごめん」
「え?」
「俺はお前を守れなかった。乱暴されてお前が最悪の気分で居る間も、俺は自分が何も知らずに呑気に生きてたと思うと死にたくなるよ」
「そんな、大袈裟だよ…!」
「本当にごめん、今日のことは忘れないから」
それっきりダリアは黙り込んでしまった。
僕は何か気分が晴れる話題を探したけれど、上手い話が見つけられなくて沈黙を貫いた。暗い夜の中を、街を超えて、いくつかの川を渡って移動するうちに、僕はうつらうつらとしてしまう。
ダリアの腕の中は安心する。
僕が彼に背負わせてしまった罪、これからの日々を思うと不安で堪らない。だけど、この腕に抱かれているうちは、僕は自分が絶対的な安全の中に居るのだと思えた。
「ダリア……ありがとう、」
小さな声で呟く。
その声を拾ってか、狼は少し笑った気がした。
◇◇◇
「なるほど、それで旧友を頼りに来たってわけね」
白い耳をパタパタと数度振ってレニは溜め息を吐く。
僕は移動中にいつの間にか眠ってしまっていて、ダリアに起こされた時、そこがどこなのか瞬時に分からなかった。オレンジ色の火が灯し出す壁面は泥壁のようで、ずっと続いた先でいくつかの道に分岐している。
どうしようかな、と言いながらその場を離れた兎の獣人は、盆の上に三つ並べたティーカップを持ってすぐに戻って来た。僕は差し出されたカップを受け取りながら頭を下げる。
「君たちは訳ありのお尋ね者ってわけだ」
「あの女はヒューイを侮辱して下衆に差し出した」
「それでも僕たちがこの国で生きている以上、君のやったことは法に反するし、まぁ死刑だろうね」
サラッと恐ろしいことを言うレニに僕は息を呑む。
「覚悟はしてるよ。でも、こいつは関係ない。俺と居ることでヒューイを危険に晒すことになる。暫くここで預かってくれないか?」
「そんな、ダリア、置いていかないでよ…!」
「大丈夫だ。レニの家はラビットホールと呼ばれる迷路構造になっているから見つかる心配は少ない。俺たちの家よりは遥かに安全だと言える」
「ダリアはどうするの!?」
僕の質問にダリアはただ微笑むだけだった。
嫌な汗が背中を流れ落ちる。僕のせいで追われる身となった彼は、すべての罪を自分一人で背負うつもりなのではないか。
(そんなのはおかしい…ダメだ……)
尚も抗議を続けようとしたのに、どういうわけか視界がぐにゃりと歪んだ。僕は地面に手を突いて、自分の呼吸に集中する。身体が重たくて熱い。
寒さの中を薄着で移動したから?
それとももうこの身体は限界なのだろうか?
いずれにせよ、ダリアは知らない。彼が必死になって守ろうとしているちっぽけな僕という存在は、放っておいてもじきに朽ちて消える。それならばもう少し、命が続く限りはどうかそばに居てほしい。責任とか、守るとか、そんなのどうだって良いから、どうか手を握っていてほしいと。
伝えなければいけないのに。
ふっと視界が暗転して、僕は意識を手放した。
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