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後編 二人の追走劇

18 ネズミの失恋◆

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「そんなに泣くなら、きっと少しは気持ちがあったんだろうね。どうでも良い相手ならメソメソ泣くこともないだろうに」

 机に突っ伏して起き上がらないララの上から、マドレーヌの声が聞こえる。素っ気ない声音とは反対に背中を叩く手は優しい。

 フィルガルドが帰った後、ララは店の店主であるマドレーヌにすべてを話した。べつに何かを聞かれたわけではなかったけれど、誰かに打ち明けたい気分だったから。

 マドレーヌは黙って話を聞き終わると「ついてきな」と言い放って歩き出した。慌てて後を追ったララが辿り着いたのは、店の裏手にあるマドレーヌの家。周りのビルに押されるように立つその小さな建物の中で、ホットミルクを飲みながらなんとも言えない感情が溢れてきて今に至る。


「おかわりは?」

「………いただきます」

 あたたかくなったお腹を摩りながら答える。
 久しぶりに再会した元婚約者の前で格好を付けて酒を煽ったせいか、お腹が少し痛い。どうしてあんな真似をしてしまったんだろう。

 およそ一ヶ月ぶりのフィルガルドは、以前より痩せたように見えた。寝不足なのか、目元には隈すら浮かんでいた気がする。

(私のせいで………?)

 いいや、そんなことある筈がない。
 どうせまた彼の悪友であるポール・ウェリントンとの付き合いで朝まで飲む日々が続いているのだ。出会った頃のフィルガルドはそういう男だった。

 婚約してからは多少は出掛ける頻度も落ちたようだったけれど、相変わらず声が掛かれば遊びに出ていたし、ララと外出するときも決まって彼の友人絡みの用事だった。

 なのに、どうして今更。
 ララの両親を思い遣るような発言までして。


「………傷付いた顔をするのは狡いと思うの」

「はん?」

 キッチンの方からマドレーヌが聞き返す。

 ララは一度強く目を瞑って、今までのことを早送りのように頭の中で思い浮かべた。善人を装った腐敗した父親、人付き合いに熱心で婚約者を放置する恋人、そしてその取り巻きのような厄介な女たち。

 ララにとっては何もかもが不要だった。だから綺麗サッパリ切り捨てて、新しい人生を歩みたいと思った。ただそれを実行に移しただけ。

 それなのに、フィルガルドはララを追って来た。ディアモンテ公爵のため、というもっともらしい理由まで付けて。

 当然のように示した拒絶に、揺れた碧の目が忘れられない。


「彼ったら、まるで自分が被害者みたいな顔をしたのよ。どうしてあんな顔をしたのかしら?」

「どんな顔だい?」

「辛そうな顔……とっても苦しそうだったわ」

「そりゃあ、アンタ。好きな相手に拒絶されたら誰だってへこむだろうよ。失恋の痛みは王子だろうが排水管のネズミだろうが平等さ」

「失恋………?」

 ララは閉口して、暫し考えてみる。
 そして極めて明るい声で答えた。

「マドレーヌさん、それは無いわ。フィルガルドったら私と二人の時は天気か政治の話しかしないんだもの。きっと他の令嬢相手に話すような内容じゃ盛り上がらないと思ったんでしょうね」

「へぇ。そりゃまた失礼だねぇ」

「それに私たちったら半年の婚約期間でキスをしたこともないのよ。エスコートで手袋越しに手を繋いだのが唯一のスキンシップだわ」

 どう考えてもただの政略結婚よ、と笑い飛ばすララの前でマドレーヌは俄かに首を傾げた。だけど、これに関してはララにだって確信がある。ディアモンテ家は一応公爵家である上に、父は亡き祖父からかなりの資産を相続していると聞く。フィルガルドが数多くの令嬢と浮名を流していたことはララとて知っていたし、大人しい自分が相手なら結婚後も遊び続けられると思ったのだろう。

 そこまで考えて、ふっと息を吐いた。

 フィルガルドと唇を重ねたことはない。
 ララは、一度もそんな経験はない。

 彼の友人である伯爵家のキャサリン・べゴットあたりなら、王子のキスの上手さについて教えてくれるかもしれない。なんせ、二人はララの前で熱い口付けを交わす仲だったから。

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