上 下
11 / 26
後編 二人の追走劇

11 無知の知◇

しおりを挟む


 知っていることと、知らなかったこと。
 天秤に掛けたら後者に傾く。

 ララとフィルガルドが婚約したのは半年ほど前の話。ぬかるみに馬車が嵌った際に助けてもらった礼として食事に誘ったのをきっかけに、何度かの逢瀬を重ねた後のことだった。

 別段驚く素振りも見せずに、ララは静かに「承知いたしました」と答えた。今思えば婚約の申し出に対して返す言葉としては、やや感情に欠ける。まるで受け入れることが務めなのだとばかりに。



「分からないんだが、」

 フィルガルドが突然発した声に、若い衛兵は肩を上げて驚いた顔を向けた。

「ど、どうしましたか?」

 一度咳払いをして、さもどうでも良いことのような顔を取り繕って口を開く。浅い考え事がうっかり溢れた時みたいに。

「女性は意中の男性から婚約を申し込まれたら、いったいどんな返答をするんだろうな」

「えぇっと……すみません、僕はまだ女性とお付き合いをしたことがないもので。きっと殿下の方が詳しいと思いますが……」

「想像で良いから考えてみてくれ」

 尚も詰めると困ったように眉を下げて男は目を白黒させる。やがて意を決したようにムンと拳を握ってフィルガルドを見上げた。その様は小さな仔犬が何かに立ち向かう姿に似ている。

「たぶん……たぶんですが、喜ぶんじゃないでしょうか?好意を寄せている相手からの告白ほど嬉しいことはないと思います。特に、女性にとって婚約は特別な意味を持ちますし」

「そうか。じゃあ、もしも女性が婚約の申し出に対して“承知した”と返す場合は、どんな気持ちなんだ?これも一種の照れ隠しのようなものか?」

「あっ、それは違いますね。以前友人の妹がかなり歳の離れた貴族に嫁入りしたそうなんですが、その娘は泣きながら“承知しました“と答える他なかったそうです。受け入れざるを得ない望まないプロポーズは、女たちからしたら悲劇でしょうね」

「………は?」

 フィルガルドの返事に、若い衛兵は「経験の浅い僕が持論を語ってすみません」と焦ったように言い添える。しかし、そんな謝罪はほとんど頭まで回っては来なかった。

 望まないプロポーズ。
 鈍器のように重たい言葉がフィルガルドの中でドプッと闇に沈む。そうだ、あの日、ララは笑顔を見せただろうか?生涯を共にしたいという申し出を彼女はいったいどんな顔で受け入れた?


 どうして信じて疑わなかったのだろう。

 婚約の前の出来事を振り返ってみる。
 ディアモンテ公爵家に伺った日、善人そうな公爵夫妻を前にして、フィルガルドは何も感じなかった。強いて言うなら、ほぼ全ての会話の受け答えは公爵によって行われ、ララと夫人が終始口数が少なかったことは気になった。また、公爵家にも関わらず、母と娘はまるで下級貴族のような服装をしていたのも不思議だった。倹約家なのだろう、と勝手に納得をしたのだが。

 婚約している間も、ララの様子は何ら変わらなかった。紹介したフィルガルドの友人たちとも、上手くやってくれていると思っていた。ララから何かを相談されることはなく、それは彼女が現状に不満がないことを意味していると考えたから。


「僕は……とんでもない勘違いをしていたのか?」

「え?」

 キョトンとした顔をする兵士を見つめる。
 呆然とする頭にスイッチを入れて、以前聞いたはずの男の名前を記憶から引っ張り出した。

「オリバー、少し出掛けたい」

「どちらまでですか?馬車の手配をいたします」

「行き付けの店があるんだ。ここのところ忙しくて顔を出していなかったが、信頼出来る相談相手がそこに居る。今すぐ話を聞いてもらいたい」

「承知いたしました」

 その答えは、いつかのララの返事と重なった。

 こうやって命令の一つとして彼女は受け入れたのだろうか。自分の意思ではなく家のため、もしくは王太子であるフィルガルドの面子を守るため。それならば最初から、そこに愛などあるはずがない。


しおりを挟む
感想 54

あなたにおすすめの小説

アリシアの恋は終わったのです【完結】

ことりちゃん
恋愛
昼休みの廊下で、アリシアはずっとずっと大好きだったマークから、いきなり頬を引っ叩かれた。 その瞬間、アリシアの恋は終わりを迎えた。 そこから長年の虚しい片想いに別れを告げ、新しい道へと歩き出すアリシア。 反対に、後になってアリシアの想いに触れ、遅すぎる行動に出るマーク。 案外吹っ切れて楽しく過ごす女子と、どうしようもなく後悔する残念な男子のお話です。 ーーーーー 12話で完結します。 よろしくお願いします(´∀`)

公爵令嬢の婚約解消宣言

宵闇 月
恋愛
拗らせ王太子と婚約者の公爵令嬢のお話。

婚約破棄を喜んで受け入れてみた結果

宵闇 月
恋愛
ある日婚約者に婚約破棄を告げられたリリアナ。 喜んで受け入れてみたら… ※ 八話完結で書き終えてます。

さよなら、皆さん。今宵、私はここを出ていきます

結城芙由奈 
恋愛
【復讐の為、今夜私は偽の家族と婚約者に別れを告げる―】 私は伯爵令嬢フィーネ・アドラー。優しい両親と18歳になったら結婚する予定の婚約者がいた。しかし、幸せな生活は両親の突然の死により、もろくも崩れ去る。私の後見人になると言って城に上がり込んできた叔父夫婦とその娘。私は彼らによって全てを奪われてしまった。愛する婚約者までも。 もうこれ以上は限界だった。復讐する為、私は今夜皆に別れを告げる決意をした―。 ※マークは残酷シーン有り ※(他サイトでも投稿中)

許婚と親友は両片思いだったので2人の仲を取り持つことにしました

結城芙由奈 
恋愛
<2人の仲を応援するので、どうか私を嫌わないでください> 私には子供のころから決められた許嫁がいた。ある日、久しぶりに再会した親友を紹介した私は次第に2人がお互いを好きになっていく様子に気が付いた。どちらも私にとっては大切な存在。2人から邪魔者と思われ、嫌われたくはないので、私は全力で許嫁と親友の仲を取り持つ事を心に決めた。すると彼の評判が悪くなっていき、それまで冷たかった彼の態度が軟化してきて話は意外な展開に・・・? ※「カクヨム」「小説家になろう」にも投稿しています

【完結】可愛くない、私ですので。

たまこ
恋愛
 華やかな装いを苦手としているアニエスは、周りから陰口を叩かれようと着飾ることはしなかった。地味なアニエスを疎ましく思っている様子の婚約者リシャールの隣には、アニエスではない別の女性が立つようになっていて……。

お二人共、どうぞお幸せに……もう二度と勘違いはしませんから

結城芙由奈 
恋愛
【もう私は必要ありませんよね?】 私には2人の幼なじみがいる。一人は美しくて親切な伯爵令嬢。もう一人は笑顔が素敵で穏やかな伯爵令息。 その一方、私は貴族とは名ばかりのしがない男爵家出身だった。けれど2人は身分差に関係なく私に優しく接してくれるとても大切な存在であり、私は密かに彼に恋していた。 ある日のこと。病弱だった父が亡くなり、家を手放さなければならない 自体に陥る。幼い弟は父の知り合いに引き取られることになったが、私は住む場所を失ってしまう。 そんな矢先、幼なじみの彼に「一生、面倒をみてあげるから家においで」と声をかけられた。まるで夢のような誘いに、私は喜んで彼の元へ身を寄せることになったのだが―― ※ 他サイトでも投稿中   途中まで鬱展開続きます(注意)

完結 振り向いてくれない彼を諦め距離を置いたら、それは困ると言う。

音爽(ネソウ)
恋愛
好きな人ができた、だけど相手は振り向いてくれそうもない。 どうやら彼は他人に無関心らしく、どんなに彼女が尽くしても良い反応は返らない。 仕方なく諦めて離れたら怒りだし泣いて縋ってきた。 「キミがいないと色々困る」自己中が過ぎる男に彼女は……

処理中です...