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第四章 リンメル・ベス
77.愚者◆ヴィンセント視点
しおりを挟む僕は、またもや生きていた。
ある意味強運なことに、ヘザーの爆発によって起こった風で勢いよく後方に吹き飛んで階段を転がり落ちた。あのまま廊下側に飛ばされていたら熱に焼かれて壁の染みみたいになっていたかもしれないけれど。
瓦礫の山の上を注意深く歩きながら、アルの部屋を目指す。
僕には分からなかった。ヘザーを切り付けたのは誰なのだろう。まともに考えれば、アルではない。実の娘に容赦なく刃物を差し込める父親など居るとは思えない。それぐらいは、父親というもの自体を知らない僕だって分かる。
だけど、この屋敷の中に僕ら以外の人間が居るとも考えられない。どこかの泥棒が無礼にも忍び込んでヘザーを刺したという可能性は、かなり薄いと思われる。
(………そこまで、鬼にならないでほしいけど)
僕が知っているアル・パレルモはそんな人間ではなかったはずだ。僕を組織に招き入れてくれたボスは少なくとも、人の心を持っていた。
廊下の突き当たりにその部屋はあった。
わずかに開いた扉からは灯りが漏れている。
入った瞬間蜂の巣は御免なので、とりあえず隙間から中を覗き見る。見慣れた朱色の革張りの椅子の上で、アルは手を組んで座っていた。
「ヴィンセントか……入れ」
「嫌ですよ。貴方が丸腰であるはずがない」
「話が終わるまでは手を出さない。本当だ」
そう言って両手を顔の横に掲げて立ち上がるから、僕は用心しながら恐る恐る部屋へと入ってみた。
なんてことない、いつもの部屋だ。
この部屋で何度もアルと話をした。共に煙草を蒸した日もあったし、仲間の死を嘆いた日もあった。そこにはゴーダが居たり、ウルとベルの兄弟が居たり、ヘザーが居たりした。
アルはいつもこのワインを垂らしたような赤色の椅子に座って、皆の話に耳を傾けていた。あまりお喋りな方ではなかったから、たいていは僕たちの話を聞いて笑ったり、表情だけ変えてみせたりしていた。
「……こんな風にお前と話す日が来るとはな」
深いしゃがれた声が僕の耳に届く。
「僕も、正直驚いています。ここに来るまでにヘザーお嬢様を見掛けましたが、あれは貴方が…?」
「ああ…ヴィンセント!どうして俺が実の娘を手に掛ける殺人鬼に見えようか!俺は家族をこよなく愛する父親だぞ?」
やや演技じみたアルの姿を僕は黙って見ていた。
会話を楽しみたいのか、時間を稼ぎたいのか知らないけれど、僕にはそのどちらも出来そうにない。僕は冗談というものがあまり好きではないし、持ち合わせる時間も少なかったから。
「ヘザーの死因は腹部の大量出血です。おそらく大動脈に達していたんでしょうね。心臓を刺さなかったのは、僕を足止めさせるための時間稼ぎですか?」
「お前は嫌なことを言うなぁ。断定的に喋るな」
「外部から来た人間が刺したのなら抵抗した形跡が残るはずです。傷は腹部だけ、とても深く刃物は食い込んでいた。よほど親しい相手からの近距離からの攻撃…違いますか?」
アルは何も返事をせずに、ポケットから出した煙草に火を付けた。
その癖の強い匂いを結局彼は卒業出来なかったようだ。トリニティのキース・ベンネルはアルの昔馴染みである風なことを言っていたけれど、彼が今も尚、禁煙に失敗し続けていると知ったらどんな反応を示すのだろう。
「人生は…何もしない怠け者にとっては気が遠くなるほど長いが、何かを成し得たい野望を持った人間にはあまりに短い」
「貴方はもう十分大成しましたよ」
「俺だって男だ。どうせなら最後にドカンと大きな花火を打ち上げたい…そりゃあ誰だって抱えるロマンだろう?」
「…………、」
「ヴィンセント、マフィアなんて日陰産業だ。トリニティの奴らが進めているように事業を展開するのも良いだろう。そしてそのためには、皇帝の後押しなんかがあれば完璧だ」
なるほど、と僕は内心納得していた。
たしかにアルの言うことはもっともだ。僕らがずっとこうして金貸しや、管轄する店から巻き上げるみかじめ料だけで生き存えるとは思えない。何か他の道を模索するのは当然の行いだろう。
「……それで、僕を使って強請ろうとしたんですか?」
「強請ると言っちゃあ言葉が悪いが、まぁ交渉を有利に進める駒になるかとは思っていたよ。お前には価値がある」
「皇帝は僕に興味なんかないですし、僕を連れて行ったところで面会拒否されて終わりですよ」
僕は至極真っ当な意見を述べたつもりだったけれど、アルは同意しないようだった。
机の下で手が動いたのを察知したので、仕事机を飛び越えてアルに掴み掛かる。撃たれる前に動きを封じれば良いかと思ったけれど、そんなに簡単な話では無かった。
突き出された男の手は、シャツの上から僕の腹を掴んでいた。内臓を抉るように強い力を加えられれば、いとも簡単に白い布地に赤い血が滲み出す。
「ニックに聞いた話では……この辺に刺さったらしいが」
「あのボンクラは生きて貴方の元へ帰ったんですね」
「そう言ってやるな。あれでも悪いヤツじゃない」
僕は、僕を殺そうとしたあのひょろっとした意気地なしをどうすれば良いヤツだと思えるのか知りたい。
「………アンタには、良い父親であってほしかった」
体重を掛けて胸を圧迫する。
気絶しそうな腹の痛みに耐えながら、僕はアルの首に手を回した。触ってみて、年齢を感じる肌であったり、流れる体温の温かさに僕は少し驚いた。一気に締め上げれば、もう人形のように動かなくなる。
きっと分かっていたのだと思う。
僕をここに来させて、自分を殺させるつもりだったのではないかとすら思えた。それぐらい、マフィアのボスにしては呆気ない最期だった。道連れにされたヘザーのことなどが頭にどんどん湧いてきて、僕は暫く目を閉じる。
アルのジャケットを探ると、いつもの煙草があった。
一緒に入っていたライターで火を付けてみる。
僕はたぶん、この匂いを忘れることはないだろう。
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