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第四章 リンメル・ベス

73.安静◆ヴィンセント視点

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「そこのデカいのは絶対安静、お前も同様」
「イヤです」
「馬鹿たれ!医者の命令は絶対だ!」
「そうよそうよ!生意気なのよアンタ!」

 ラグとドグに怒鳴り付けられながら、僕は目を覚さないゴーダを見つめていた。

 こんなに大きな身体のゴーダが瀕死の状態になったぐらいだ。きっと僕がまともにぶつかっていたら死んでいたと思う。吐き出した息は冷え切った室内で白く霞んで消えた。

「すみません、でも、行かなきゃいけない」
「そんな状態でどこへ行くの!死ぬわよ!」
「死にません」
「馬鹿おっしゃい!」
「僕は、先生に会うまでは死ねない」

 ラグはもう何も言わなかった。

 部屋の隅で煙草を蒸すエルを振り返る。
 彼女なら分かってくれるのではないかと思った。

 エルと名乗っていたこの華奢な女が、実はヴェルザンディの組織を仕切っていたボスの娘であるという事実は、どうにも信じがたいことだった。僕はジュディに会うまで不定期に関係を持っていた彼女からは、微塵もそんな気配はなかったから。

 人を見た目で判断するような真似はして来なかったつもりだけど、僕は無意識下でその手法を取っていたのかもしれない。


「ヴィンセント、行かないで」
「……君までそんなこと言うんだな」
「馬鹿な理由で死ぬことはないわ。裏で生きる男ってみんなそう。父だって……」
「僕は君の父親とは違う」
「同じよ。しょうもないことに命を賭けないで」

 歩み寄って来たエルはそう言って僕の頬に手を添えた。

「しょうもないかどうかは僕が決めることで、これは僕にとっては全部を賭けるに値するよ」
「ただの娼婦よ!貴方、きっと騙されてる」
「騙されてるなら、その嘘を吐き続けてくれれば良いだけだ。たとえ嘘でも僕が死ぬまで気付かなければ、それは真実だって言える」
「………本当に、馬鹿な人」

 それから暫く重たい沈黙が流れて、ラグとドグの兄弟は部屋の外へ出て行った。僕はゴーダの瞼が開かないか期待しつつ、そのゴツゴツした手を握ってみる。

 ジュディは今頃どうしているのだろう。
 あの悪王の息子は、彼女を丁重に扱っているだろうか。

 きっと娼館に居るよりは良い暮らしが出来ているはずだ。掃除も洗濯もする必要はないし、誰か分からない男に抱かれることもない。だけど、自分に似た帝国の皇子が、自分の知らないところで彼女に触れていると思うと良い気はしなかった。

(早く……早く行かないと、)

 聞いた話では明日、皇子は隣国から新たに皇太子妃を迎えるらしい。そんなめでたい場に邪魔するのは悪いと思いけれど、祝福に来た客を装えばテオドルスに接触することも可能なのではないかと思っていた。


「もういいわ。送ってあげる、乗って」
「ありがとう、助かる」
「惚れた弱みよ。あとは知らないからね」

 僕は頷いて、車の鍵を持って歩き出すエルの後を追った。

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